ヨルダンを脱出、アスワンハイダムへ向かう。


ヨルダンには、一週間ほど滞在した。ペトラ遺跡に四日間通って堪能し、ファラーフェル(ひよこ豆のコロッケ)を味わい、村の広場で子供たちとサッカーをした。
滞在は、大工の一家の厚意に甘えて居候させてもらっていたものの、貧乏学生には、物価が高かった。そもそも、お金がなくなってカジノで稼いだあぶく銭しかもっていなかったから、ほかの大学生旅行者よりはるかに貧乏だった。
「エジプトに戻ろうと思う」とある夜、家長に告げた。
「なぜだ! 好きなだけいたらいいと言っているのに、こんなにすぐに帰るのは、私たちが嫌いなのか!?あと一年くらい、いればいいのに。一体、これでヨルダンの何がわかるというのか」と、家族全員から言われた。必ずしも英語で言われたわけではないが、だいたいが心配そうな顔をして尋ねてくるし、同じ単語を何度か繰り返すので、ニュアンスでだいたいわかった。
「そうではない、感謝している。ただ、旅を続けなければならないのだ。」と、旅人ぶって答えた。
最期の夜は、今までの感謝を込めて日本の味を作ります、と言って、親子丼とみそ汁を作った。どちらも、出汁を利かせて作ったつもりだが(出汁は味の素ですすみません)、そのおかげで「魚臭くて、僕たちの口には残念ながら合わないな……」と大量に残された。出汁と醤油の匂いも、発酵食品である味噌の匂いも、私たちは嗅ぎ慣れていて「おいしそう」と感じる。だが、それらは不慣れな人たちにとってはものすごく気持ち悪いものらしい。
大家族に見送られ、息子モハメッドの車に乗って、港へ向かった。港からはフェリーでエジプトへ逆戻りだ。飛行機を使う手もあったが、予約が面倒だったのでやめた(その時はインターネットなんてなかった)。
エジプトに到着し、地図を眺めて、次の目的をアスワンハイダムへ定めた。東の果てまで行ったのだから、次は南の果てまで行こうと思った。おんぼろバスを乗り継ぎ、アスワンハイダムへ向かった。

ありがとうございます。毎日流れる日々の中から、皆さんを元気にできるような記憶を選んで書きつづれたらと思っています。ペンで笑顔を創る がモットーです。