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食べたことばかり覚えている

 食べたことばかり覚えている。
 小さい頃よく親に言われた言葉だ。家族旅行で行った土地や、した事を言われても全く思い出せないのに「ほら、あれを食べた時だよ」とすぐに記憶が甦ってくるのだった。

 大人になった今では、流石に観光名所に訪れたことだとか、川下りをしたことだとかも記憶しておけているのだけれど、そうは言ってもやはり人生の幸せな記憶は大体食べることと結びついている気がする。

 例えば、実家を思い浮かべて真っ先に浮かんでくるのは台所とダイニングテーブルの映像だ。

 一般的な家庭料理がそうであるように、我が家の献立はおおむね名前の無い料理で構成されていた。
 冷蔵庫の中にあったものと母がスーパーで見かけた食材を組み合わせて、その日だけのメニューが作られることもざらだった。「これおいしい!」と思って料理名を聞いても「我輩は鍋である、名前はまだ無い。」という答えが返ってくるくらいだったので、後日あれがまた食べたいと話しても再現されることはまず無かった。

 好物のチャーハンが出た日は一旦まんぷくまで詰め込んで、風呂に入ってお腹に余裕を作ってからまた食べたりもしていて「そこまでして食べるかね」という親の笑い声に、妙な誇らしさを感じたりしていた。

 上京して親元を離れてからも、テーブルを囲む楽しさは暫く続いた。上京者向けの学生寮に住んでいたからだ。

 寮の地下に十数人で囲める大きなテーブルがあって、料理人のご夫妻が作ってくれる定食を食べることができた。学校から帰ってきて煮魚などを食べていると、同じように腹を空かせた他の寮生達がやってきて、ご飯を食べながら話をするのだった。
 お互いが食べ終わってもまだ話が尽きなくて、そのまま大浴場に向かいまた話をする、その時間が好きだった。 

 社会人になって一人暮らしをするようになった今考えると、人と食事を共にしていた約20年間はすごく贅沢な時間だったと思う。家に帰ると誰かが居て、一日の終わりにその日あったことを話しながらご飯を食べられることは幸せだ。
 

 たぶん「食事を共にする」というのは人類が洞窟に暮らしていた頃から変わらない、幸福の象徴なんじゃないだろうか。狩ってきたマンモスの肉をかじりながら、今日の冒険のハイライトとか土器作りで失敗したこととかを話していたんだろう。
 そう考えると、色んな体験を一緒にしたはずの昔の恋人のことを思い起こすとき、やっぱり食のことばかりが浮かんでくるのも仕方ない気がしてくる。

 誕生日に海老フライを揚げてもらったこと、団子をこねて月を眺めながら食べたこと、豚汁を仕込んで帰宅を待っていたら喜んでもらえたこと。

 愛だの恋だの言い出すよりもずっと昔から、人類の心に根付いているものを分け合ったのだからそりゃあ大事な思い出になるだろう。

 決して僕が食いしん坊だからではない。

 親元を離れ、寮を出て、完全に一人暮らしになったここ数年は、一人きりで食事をとることが増えた。その日の気分に合わせて好きな献立に出来るのは楽だけど、やっぱり味気ないなぁと思うことも多い。
 仕事帰りに街を歩いていて、肉を焼く匂いや出汁の香りを漂わせている家に出会うと「僕も混ぜてくれませんか?」と扉を叩きたい衝動に駆られる。

 かつては仕事帰りに友達と落ち合って、ご飯を食べたりすることで救われている部分もあったのだけど、ここ一年はそれすら出来なくなってしまった。

 スカイプしながらご飯なんてことを試してみたりもしたけれど、やっぱり物足りない。同じ空間で料理を食べて「ん、これ美味しい!」と目を見合わせたり、「絶対好きだからちょっと上げるわ」とお裾分けし合ったりすることが「一緒に食べること」だと思うからだ。

 小学生の頃「自分の良い所を聞いてくる」という宿題が出た時の、親の回答を未だに覚えている。他の子たちが「失敗してもめげずに野球を続けているところ」とか「ちゃんと弟と一緒に遊ぶ優しいところ」とか書かれている中、僕のプリントには「どれだけ少ないおやつでもお兄ちゃん達と分けて食べようとするところ」と書かれていた。
 
 当時は皆とズレていて恥ずかしくて仕方なかった回答も、今では納得している。僕の人生の根本にある価値観に、本人が自覚する前から親が気付いていてくれたのだなぁと思う。

 誰かと対面でご飯を食べて、当たり前のように分け合えるのはいつ頃になるだろうか。
 あの楽しさを取り戻すために、もう少しだけ色んなことを堪えてみようと思う。

 

 

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