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三途の川の水は酒造に向いているだろうか

盆暮れ・正月になると寿司が食べたくなる。

物心がついてから中学生になるまで、毎年寿司のある宴会に参加していたからだ。

熊本に住む祖父は人を集めて酒を飲むのが好きで、毎年親戚一同を集めていた。
受験や就職など状況によってメンバーは毎年少しずつ違ったが、20人以上は居たと思う。

宴会の日、参加者達は昼過ぎから徐々に集まってくる。

福岡、鹿児島、遠くは大阪から来る人もいただろうか。全員の到着を待つことなく、来た人から順に思い思いに酒盛りを始めるので、大阪からの一団が到着する頃には座はすっかり出来上がっていたものだった。

酔っ払った人間には特有の香りがある。
アルコールが体内で分解された時に発される匂いなのか、何なのかは不明だが「居酒屋の香り」と言えば大体伝わるだろう。人が増え、酒量も増えていく毎に座敷に満ちてくその気配がとても好きだった。

全員の血が繋がっている訳でもないので不思議なのだが、そこには酔うほどに陽気になっていく人間ばかりが集まっていた。一番若い自分には分からない話が多かったけれど、大人達がニコニコと話しているのを見ていて、たまに構ってもらったりするのが好きだった。

この時に「酒席の香り」と「幸福」のイメージが結びついてしまったせいで、未だに居酒屋の前を通るだけでちょっぴり幸せになってしまう。

お誕生日席に座った祖父は、僕と同じように親戚達がわいわいしているのを楽しそうに見ていた。

さて、そんな祖父も去年亡くなった。

金曜日の昼、母から電話があり祖父が亡くなったことと翌土曜日の夜に通夜をすることを告げられた。

「お通夜とかお葬式とか、堅い感じでやる訳じゃないから気楽に来て良いよ。」
と言われた僕はいまいち意味が理解できず、とりあえず礼服だけを持って九州に飛んだ。

そして翌日、通夜会場を見た僕は母の言葉の意味を理解した。街のセレモニーホールを借りて設営されていたのは宴会場だったのだ。

祖父の子供達(私の母とその妹)で話し合った結果、「真面目な式典をやるより目の前で楽しくお酒を飲んでいた方が祖父は喜ぶんじゃないか」という結論に至り、親族だけの宴会という形にしたらしい。

家族葬とは言いつつ、関わりの深かった方々何名かがお焼香に訪れてくださったのだが、その場で唯一礼服を身に着けていた僕が受付を一手に引き受けたりしていた。

通夜にしてそれなのだから、翌日の葬式が一般的なはずもない。

人前葬式、という言葉があるかは分からないが、読経の代わりに1人1人祖父の前に行って語りかける時間がとられたり、最後は全員で祖父の好きだったスターダスト☆レビューの「木蓮の涙」を合唱したりと、自由な場だった。

年に2回、一堂に会することを心待ちにしていた祖父は今回の式を楽しんでくれただろうか。少なくとも送る側の僕たちが感じたのは寂しさだけではなかっただろう。

20代半ばを過ぎ、本格的にお酒を飲むようになった。
酔うほどに陽気になっていく自分に気がつく度に、この体に祖父の血が流れていることを感じる。

自分が天寿を全うする時が来たら、天国で祖父を囲んでどんちゃん騒ぎをしたい。酔っ払い側として参加する僕を見て、親戚達も「大人になったなぁ」と笑ってくれることだろう。

天国で宴席を設けるにあったって気になることが1つだけある。

三途の川の水は、酒造に向いているだろうか。

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