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「いいよ」という言葉をわたしは使わない。

◆「人に聞きなさい」

幼い頃、わたしは自宅でもどこでも、
「トイレに行ってもいい?」
と両親に尋ねていた。
当然「行くな」だなんて言われるはずがないのだけど、
「もちろん、どうぞ」
と言われてから、わたしはタタタッと廊下を駆ける。

勝手な憶測ではあるけれど、これは、うんと小さい頃から
「わからないことがあったら、人に聞きなさい。みんなやさしいから」
というのが、厳しさのカケラもないわが家の、
唯一の教えだったからではなかったろうか。
ひとりっ子のわたしは、ずいぶんとぼんやりと育ち、
両親は何をさせるのもきっと、とても心配だったのだと思う。

おそらくはそんな影響で、
高校生ぐらいまでのわたしは、すこしでも不安なことがあれば、
なんでもかんでも、
「とりあえず尋ねておこう」という性分だったように思う。
道でも、勉強でも、持ち物でも、なんでもだ。
ぼんやりしているわたしよりは、
「他の誰か」のほうがきっと正しかろうと、
ひとまずあれもこれも尋ねておいた。
そして、本当にみんな、親切によく教えてくれる人たちばかりだった。

◆そして、世紀の大発見をした

そんな調子だったから、たとえば
一緒にバレエを習っている仲良しの友だちにも、
「一緒に帰っていいー?」
と、何故だかわたしは毎週尋ねていた。
「だめ」なはずがないように思うけれど、
小さな胸にはなにか「今週はだめかもしれない」といった一抹の不安があったのかもしれない。

「一緒に帰っていいー?」
「いいよー」

と友だちに許可を得て、一緒に帰ってもらう。
いま思えば、どこかそれはすこし不憫な会話だけれど、
そんなことは特に気にせず、とにもかくにも、
わたしは、いつもそんなふうに尋ねていた。
そして、そんなことよりも実はこれは、
当時6歳のわたしが、とんでもない「大発見」をした話なのだ。

「一緒に帰っていいー?」と尋ねたとき、
「いいよー」と言われるよりも、
「うん、帰ろー!」と言われるほうが、すごくすごく嬉しい……!!
そのことに、このとき、わたしは気づいた。

当時、そんな言葉こそ知らなかったけれど、
これは「世紀の大発見」だと思った。

以来、わたしはその日を境に「いいよ」という言葉は、
あまり使わなくなる。

そして、それは大人になった今でもだ。

「良かったら、ご一緒していいですか?」と言われたらば、
「ああ、行きましょう、行きましょう」
と返事をしている。
「ここ、わたしも座っていいですか?」と食堂なんかで聞かれたらば、
「食べましょ、食べましょ」
と隣の席をあける。
仕事で「これでいいですかね?」と聞かれたなら、
いいものには「こうしよう!ばっちり。最高だね」
と戻す。
「日曜日は、車で行こうか」とメッセージが来たなら、
「そうしよう、わーい」
と、まぬけな動物が飛び跳ねている絵文字と一緒に返事をした。

きっと「いいよ」よりは、うんとこっちがいい。
だって、そのほうが、あのとき6歳のわたしは嬉しかったからだ。

◆お笑いから知る、2度目の「世紀の大発見」

同じような「大発見」を、実はわたしは高校生のときにも経験している。
毎日は、本当に、ヒントと伏線と発見の山だ。

当時、わたしは「ブラックマヨネーズ」のラジオを、
MDに録音してまで、繰り返し繰り返し聞いていた。
後にも先にも、あんなに笑い転げるラジオがあったろうか、と
今でもたまに懐かしくてたまらなくなる。
名前は、『ブラックマヨネーズのずぼりらじお』と言った。

余談だけれど、
そのおもしろさを、わたしはきちんと証明だってできる。

高校1年生の夏、元来、体の弱かった母はそのときも、
「検査入院」として数週間入院していた。
体を切開した当日、消灯時間はとうに過ぎ、当然寝ているものだとばかり思っていた母からの真夜中のメールに、わたしは思わず飛び起きた。

「ブラマヨのラジオ、我慢できずに聞いちゃった。縫ったお腹ちょっと開いちゃった。怒られちゃった。でも面白かったね」

ブラマヨには、縫った傷口をちょっと開けるぐらいの力があった。
本当に、大した番組だったのだ。

そして話は少し逸れたけれど、
「なぜ、この二人の会話はこんなに絡みあって、混ざり合って、最高におもしろく、聞いていて気分良く、痛快なのか」
ということを、メモ帳に書き起こしたりしてはよく考えていた。
そして、ふたりのトークライブを見て、
視覚的にその様子を感じたとき、
「なるほど!!!!」
と体にビビビと電流が走ったような衝撃があったのだ。

たとえば小杉さんが、
「こないだ、ロフト行ったらさ、エレベーターに先に乗ってる人がおってさ、」
と話し始めたとする。
すると、吉田さんはすかさず聞くのだ。
「女の人?」
それを受けて小杉さんは、一段とヒートアップするように答える。
「いや、それがおっさんやねん。身長はオレくらいかなあ。そんぐらいの、50過ぎたようなおっさんやねん……!」
途端に、情景がくっきりとクリアに浮かび上がった。

たとえば小杉さんが、
「ついさっきやねんけど、定食屋みたいな店でひとりでちょっと飯食べててんけどさー」
すると、吉田さんは目を輝かせながら、こう尋ねる。
「周りは、お前が小杉やって気づいてんの?」
それを受けた小杉さんは、もっと饒舌に
「ああ、それが微妙やねん!奥に客が2組ぐらいおったかなあ。そっちは気づいてなかったと思うけど、店員も気づいてなかったんちゃうかなあ……、ほんでさあ!」
「おう、おう、」
とふたりの会話は続いた。

わたしはまたしても、「世紀の大発見」だと思った。

これまでわたしは、誰かが得意げに
「自分が体験した、ちょっとおもしろかった出来事」
を話し始めたなら、
「うん、うん」と相槌を打つことしかしてこなかった。
それは関西に生まれた人間の、
なにか心得のようなものだったのかもしれないけれど、
「邪魔をしてはいけない」
「話の腰を折ることだけは絶対に避けたい」
と、ずっとずっと思い込んできたのだ。

だけど、ブラックマヨネーズのふたりの会話を聞いていて、
わたしは思った。

「自分が話し始めたとき、かなり序盤で、本筋に関わらない細かな部分を質問してくれると、“興味を持って聞いてくれているんだ!”ということが、伝わってきて嬉しい!!そして、思い浮かべる情景がよりクリアになるような質問なら、尚のことありがたい!!」
ということに気づいた。

これは、すごい発見だった。

以来、やっぱりわたしは大人になった今も、誰かが話し始めたとき、
なるべく早めに、
「え、平日ですか?」だとか、
「こっちはひとり?」だとか、
ぱっと情景が思い浮かべやすくなり、こちらが万全に楽しめるような、質問をすることが多い。
そうすると、やはりそれに満足してくれるのか、複数人でいても、気づけばわたしの目ばかり見て、その人は夢中で話してくれることが、本当に多々ある。
「うん、うん…」と手元を見ながら相槌を打っているだけより、ずっとこっちの方がいい。
だって、小杉さんはすごくすごく嬉しそうに話していたんだから。
吉田さんは本当に、わたしにとって、人生で大切なことをとてもよく教えてくれる芸人さんだ。

そんなわけで、わたしはこれまで数々の大発見を繰り返しながら、
「こうしてもらえると嬉しい」を、心にたくさんメモして生きてきた。
やれることは、なるべく人にやってあげようと心がけながら、
「嬉しかったこと」を心にずっとずっと溜めてきたのだ。

◆ちょっぴりの切なさと発見

そしてつい最近。
またも、そんな大きな発見をしてしまったのだけど、
それは、ほんのすこし、さみしい気持ちも一緒に連れてくるものだった。

本職の会社勤めを少し休み、
「この先どう生きていこうか」と真剣に考えている今、
とにかくたくさんの人と話すようになった。

なにもかも、まだまだ悩んでいるけれど、
「健康を大切にしたいという希望」と、
「直近の夢と、将来の夢」は、わたしの中にくっきりとある。
そして、「ずっとずっと文章を書いていきたい」という想いが、
何よりも強いことにも、改めて気づいた。

そんな話をするとき、
わたしのことを本当に嬉しい気持ちにさせてくれたのはいつも、
「どうして?」という言葉だった。

「こういう順番に考えていきたいと思ってるの」と話したとき。
「できれば、これは節約したくないの」と話したとき。
それから、「こんなふうに思うのは、変かなあ?」と不安をこぼしたとき。
大切な友人はみな、
「どうして、そういう順番がいいと思ったの?」
「おお、いいね。それはどうしてそうしたいの?」
「変だと思わないけど、どうして不安になっちゃった?」
と尋ねてくれた。

そして、さらに踏み込むと、
「じゃあ、これと、これなら、どっちが大事そう?」
「たとえば、こういうやり方でもそれは叶うと思う?」
といった、やっぱり“丁寧な質問”をしてくれるのだ。

そこには、
「さらに具体的に、知りたいよ」という、
いわゆる「ブラマヨ吉田さんの聞く姿勢」のようなやさしさも感じたし、
「それを叶えるには、どうしたらいいか」
をわたしの真横に立って、一緒に考えてくれているサインのようにも感じた。
わたしははそれだけで、どれだけ安心したことか。

反対に、
「そんな順番で考えるのはありえないよ、だってさ——」
「節約って考え方が違うよ、こうしなよ」
「そんなのできっこないよ」
「“書く”とか自己実現もいいけど、そろそろ——」
と、特に関わりのない人の失敗談を聞かせてもらったり、
わたしがいちばん大切にしたい、と考えていることを「向かない」「できない」とも当然言われたりして、
そんなとき、「わたしは誰の人生を生きればいいのだっけ…」と途端に不安になったものだった。

だけど、「親身であること」「わたしのために時間を割いてくれる、本当にありがたい人であること」は、どちらも変わらない。
どちらも変わるはずがないから、余計になんだか苦しくなった。
「書くなんて、そろそろやめた方がいい」
ともやはり言われた。
その人が、わたしの文章を読んでくれたことは、実は1度もないのだけど。

それでも、やっぱり、わたしの健康を想ってくれていることは、
とてもとても伝わったから、硝子のように、なんだかぐさりと本当に切なかった。

◆隣に立つこと

「相談を持ちかける」だなんて本当に我が儘だな、と思う。
自分から尋ねておいたりして、「こうした方がいいよ」という相手の答えに簡単に傷ついたりもするのだ。
ろくなものじゃない、と自分でも思うのだけど、
それでもやっぱり、わたしの背後から肩を掴んで「こうしなさい!」「こうしなよ!」と言われるよりも。
目の前に対峙して、「あなたにはできないよ」と通せんぼうされるよりも。
横に立ち、「なるほどなあ、どうしてこっちだと思ったの?」と聞いてくれる人の存在にとてもとても感謝した。

よく、
「男性は具体的なアドバイスを求めているけど、女性は共感してほしいだけだ」
だなんて、とんちんかんなことを聞くことがあるけれど、
誰だって、悩んでいるときや不安に思っているときは、
前や後ろでなく「真横」に立って、「今はどんな気持ち?」「たとえば、こうするのはどう思う?」と聞いてもらいながら、ほんの少し一緒に歩いてもらいたいだけなのじゃないかなあ。

◆無責任も心地いい

ついこの前、呆れるほど気軽で、気のおけない友人がごはんに連れて行ってくれた。
すると、その人は「みんな、人に“こうするべき!”って言うのが気持ちいいんやで」とビールを流し込みながら教えてくれる。
そして彼はいつも通り、「これっぽっちも責任なんか取らないよー」という口ぶりで、とても無責任に、
「まあでも、文章書いてくんやろうなあ。人の言葉で悩んでる暇あったら、文章書いてるほうがええもんな」
と言った。
そうなのだ。わたしは、自分以外の誰かに責任を取ってもらおうだなんて、これっぽっちも思わない。
プラプラと無責任に横を歩いてくれるのが、とてもとても心地よかった。

相談を受けるなら、「どこまでも親身に」あるいは「どこまでも無責任に」そっと隣を歩くのがいちばんということかもしれない。
これもまたわたしにとって、
身をもって探し当てた「大発見」だったのだ。

◆新たな、わが家の教え

ちなみに話を少し戻すと、
厳しさのカケラもない、わが両親だっだけれど、
「わからないことがあったら、人に聞きなさい。みんなやさしいから」
という教えは、そう長くは続かなかった。

大学に入ると、たとえば履修科目を決めるとき、ゼミを選ぶとき、就職希望のコースを選ぶとき…。
もちろん軽く母が相談には乗ってくれたけど、最後には決まって
「それは自分で考えなさい。練習練習。」
と言われるようになった。
事実、大学の最初のクラスで
「このレジュメは、1枚目に纏めた方がいいんですか?」
と教授に聞くと、Vネックのその教授は、
「そんなことは、質問しないでください」
と、なんとも冷たく呆れるように言った。

ルールが変わったのだ…!答えのないゾーンに入ったのだ…!
と最初こそ戸惑ったけれど、そこから急になにもかも楽しくなり、褒められることもすごく多くなった。

だからもし今後、
わたしのようなぼんやりとした中高生が悩んでいたら。
「今は、自分の頭で判断するには難しいことが多くて困っているかもしれないけれど。あるときから、急にルールが変わることがあるかもしれない。でも、大丈夫。そこからは答えなんてなくって、一生懸命自分なりの“これだ!”を探すのも、すごくおもしろいんじゃないかな」
と伝えてあげたいと思う。
だって、わたしはそんなふうに育ててもらってすごく助かったし、嬉しかったからだ。

◆もらったものを携える

そして、それは今のわたしにも、なんだか大切な言葉かもしれなかった。

「今は、自分の頭で判断するには難しいことが多くて困っているかもしれないけれど大丈夫。答えなんてなくって、一生懸命自分なりの“これだ!”を探すのも、すごくおもしろいんじゃないかな」

“大人”と呼ばれる年齢になって、「してもらって嬉しかったこと」を返していくターンに差し掛かっているとばかり思っていたけれど。
まだまだ「してもらって嬉しいこと」が本当にたくさんあって、それを、人にも自分にもたくさん与えてあげたい。

人は何歳になるのも初めてだから、いつだって迷うけれど。
「嬉しかったこと」を広い集めて、ちゃんと持ち歩いているわたしで居る。
それが自分の「在りたい姿」だということも、わたしにとって、なんだか小さくて、それでもすごく大切な発見だった。

日常は、本当に、ヒントと伏線と発見の山なのだ。



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