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自己紹介に代えて

幼少の頃から、職人さんの仕事は私をとりこにした。下校の途中、たとえば鍛冶屋さんを見ると立ち止まり、じっと見入って飽きずに時をすごす。働く大人は、私の未来を描くかがみだった。
「ぼんぼん、はよう帰らんと、母ちゃんが心配するぞ」
いつも、そう声をかけられたものである。

そんな私は
親に負担をかけまいと、早く働く人間になりたくて、当時、競争率の高い名門の工業高校を選択。
卒業後は、大手総合化学メーカーに入社。
「あとは出世コースで、安心だな」と、周囲は祝ってくれたのだが…
大企業ゆえの、職場の先輩も上司も一流ブランドの学卒ばかり。

そんな環境では、もって生まれた自分の資性が育たない。
なんと、5年目、自身の希望で転勤を願い出、それが叶う。
そこは生産性・効率化の研究室。ただし、すべて自力で成果を出す。
石の上にも3年と言おうか、4年目にはユニークな研究の成功例を産む。
私は、知性より知恵におもしろさを覚えていた。

だが直後、あいにく部署がリストラで消滅。ガーン!
意気消沈も、幸運にもタイアップで活動中にあったのが、生産性向上を指導するコンサルファーム

これぞ渡りに船。そのファームに挑め! 
独自の発想で生きよう。スペシャリストと連携できる生き方も開花した。
いよいよ天職と決め込み、私は転身を決意。以降35年間。

この間、生産性向上のテーマにて、上述コンサルファーム(当時コンサル120名)に在籍し、改善の実践指導 10年間。のみならず、既成の指導技術にこだわらず、独自のテクニックを開発・普及して実績を重ねる。年一回の技術発表大会にて、最優秀2回、優秀5回などで賞金も稼ぐ。

私には発想で乗り切る資質があったことを自負している。

その後独立し、いくつかのプラットホームとしてS能率大学委嘱講師15年間。大手電機メーカー技術職の教育研修15年間。以降、これらを礎に、多くの企業でコンサル活動を展開。東奔西走。

しかし、それら活動の末葉時点にて、私の活動の手も足も止まってしまう。それは、提携する某ファームからの受嘱案件(戦略思考の研修)を辞退して以降である。

上述の辞退の一件は、私の中で動物的に反応した事件。
なぜなら、その戦略論のかなめの部分で、勝ち負けをつくり出す。負け組をつくれば、実体経済/業界全体が成長しない。したがって好循環が創生できない。それに、事業が「流行りに乗ることは競合/負けをも増やす」のである。
企業たちは、全体最適化への事業革新に興味をもつべきと考えた。

直近の10余年は、その課題研究に傾倒し、対策構想を思索してきた。
これは私にとって、最後の天命といえる。
その草稿はまとまるも、普及への障壁は強大なり。

蛇足ですが、私の趣味はというと
ウクレレのインストルメンタルで楽しむことです。
ポロン ポロン♪~

それでは、このあともよろしくお願いします。



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