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私が手編み(ハンドニット)作品を売りたくない理由。

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売る気はまるで無いんだが

今回のお題は、ま、なんか「嫌な感じ」と思われる話かもしれないです。
なので、あくまで「個人的な所感」と思って読んでいただければ。

趣味で編み物始めて6年。
できたものをSNSなどにアップすると、友達が「すごいうまいね。これ売ったら?」と言ってくれることが時々あります。
「ありがとう〜。でも自分用に作ってるから、売り物にはならないですよ〜。」と答えてますが、そもそも売る気は一切ない。

実際売るってなると

多分、友人らが思ってる値段にはなりません。彼らはきっと市販品よりも安く買えると思ってるんです。それが易々と想像できるので「売るとかありえんなー」となるのです。
実際「売れるよ!」といってきたある友人に、素朴に「ほんなら、いくらやったら買う?」って聴いてみたら「えー?いくらだろう…わかんない。言い値?(笑)」と答えたんですね。ま、社交辞令というのも含めて、そんなもんです。
世間の「手作り作品」は「メーカー品や市販品より安いでしょ、むしろ安くないってなんなの?」と思われてて、それは「素人が作ったもんやから」と見なされてるから。

手編み作品を、今まで「商品」として一度も売ったことがないので、門外漢なのは承知で言いますが、ハンドメイド商品の世界ってなめられてるよなあ、と思ってます。

でも、商品価格を設定する原則として、原価計算しますよね。もしハンドニットでやるなら「材料費+作業時間(人件費)」。凝ったものやオリジナルで作ってるなら、そこに技術代やデザイン代も入ってくるでしょう。

手編みセーター1枚の原価を計算してみる

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まず毛糸の量。たとえばDARUMAのこの毛糸メリノスタイル極太 1玉638円の毛糸を9玉使うとします。
638x9=5,742円

で、1枚編むのに1日3時間×2週間かかるとして、最低労働賃金の時間給(東京で1,013円※2021/2月時点)で計算しますね。
1,013円×3×14=42,546円

合計:48,288円

最低労働賃金のランキング最下位の沖縄(792円※2021/2月時点)だったとしても、39,090円… 。もし半分の1週間で編めたとしても、22,000円強。

ユ●クロでセーター1枚が1,990円で買える時代に、「手編みのセーターにその値段は出さない」と大抵の人がいうでしょう。私ももちろん「現実的じゃないなあ」って思うんですが、経費は存在してるし、原価48,288円なのは変わりない。なので「手編みのものを正価で売るなんて無理ゲーじゃない?」と素朴に思っちゃうんですね。

そもそもハンドニットの商品価値って?

と改めて考えた時に、ある会社を思い出します。
宮城県気仙沼にある「気仙沼ニッティング」です。
https://www.knitting.co.jp/
こちらで売られているのが、まさしくハンドニット。購入申込者を採寸して編まれるオーダーメイドカーディガン「MM01」の価格は、154,000円です。
この会社を設立した経緯が綴られた本も出されてます。

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で、この本のレビューに気になるコメントがあって。
「もう少し買い手の事を考えた良心的な価格設定をお願いしたいです」とコメントしてた人がいて、私は「この人の言う"良心的な価格設定"ってなんだろうな?」と不思議に思ったんです。

カーディガン1枚が154,000円は"良心的"ではないのか?

コメント書いた人はきっと、この価格が"良心的ではない"と思ってるわけですよね。言葉を選ばなければ「製品に見合ってない」って言いたいんやろな、ってなった瞬間に「なめられてんなあ…」って私は思うんです。
だから、何でこの値段になるのかって不思議に思ったなら、さっきの原価計算を思い出してみたらいいのかなと。

気仙沼ニッティングでは、使う毛糸を一からオリジナルで開発して、購入者のサイズにぴったりと合わせたものを、1人の編み手さんが1ヶ月以上かかって編んでます。そのカーディガンが154,000円。それが編み手さんの1ヶ月のお給料と考えたら、安いんでしょうか?高いんでしょうか?

どちらにしろ、気仙沼ニッティングが「会社」として、ハンドニットを「製品」で売っているのであれば、「取引として成立する適正金額」として設定してると思うんですよね。

なので、レビューで言われている「良心的な価格」ってのは、私からすると安く買いたいだけの人が工程を知らずに言ってる、謎の価格設定ということになるわけです。

ディスりじゃなくて、こういう人は一生ユ●クロでセーター買った方がいいと思います。グローバル企業の大量生産、機械生産によるコストカット。それ故の安価設定を「市場相場価格」と思ってる人は多分、この理屈を理解できないでしょうし。それに154,000円を良心的じゃない、という人に買われるより、なんでその価格なのか、を理解してくれる人に買ってもらう方が、きっと売り手側も幸せですしね。

ハンドニット以外でも

たとえば伝統工芸の輪島塗りの漆器も同じだなと思います。漆器の制作は完全分業制です。椀木地、指物木地、曲物木地、塗師[ぬし]、沈金、蒔絵と6つに分かれていて、それぞれに職人さんがいる。1つの作品を作るのに20工程以上、100回以上もの手数が必要なのだそうです。

ある漆器作家の人がインタビューで「漆器は高くないですよ。関わってる人数と、作る手間、工程を考えれば安いぐらいです」と話されていて、何度も塗りを繰り返し、何日もかけて制作される過程を知れば、本当そうだなーと思います。

伝統的な手工芸とお前の趣味を一緒にすな、と思う人もいるかもしれませんが、「原価」という観点で見たら違いって別にないですよね?
素人が作ろうと、プロが作ろうと。
かかる材料、作りあげるまでの時間給は皆一様に負担しているわけだから。

ハンドニットのプロと素人の違いって何やろ?

これは人によって解釈が色々あるとは思いますが、私は作ったものに「欲しいのでお金を払います」と言われる要素(魅力とか質)があるかどうか、なのかなと思います。ちなみに、気仙沼ニッティングのデザインは三國万里子さんがされていて、これもまた価格の意味を理由づける1つになっていると思ってます。「この人がデザインしたものなら欲しい」って人いっぱいいますから。

で、その欲しい人(お客)にちゃんと納品する責任をもつか、もあると思うんですね。量産するのであれば、製品の均一さや納期を守る、そういうのもあるでしょう。一度、気仙沼ニッティングのカーディガンサンプル実物を見たことがありますが、編み目が恐ろしく均一かつ美しく、ため息が出るかのようでした。

それに比べると、正直、私は自分用に作ってるので「ま、この辺は適当でええわ、わからんし」と思いながら作業してることも結構あります。
時々、友人から毛糸代だけをもらって編むこともしますが、お金もらって作るもんなので、ものすごく気が引き締まるんですよね。自分の手を離れて、お金払った人のところにいくから、ちゃんとフィットするよう、着用してゆるんだりほつれたりせんように、ってすごい気を配る。

だから、手作りのものを「製品」にするって、結構な責任と覚悟がいるなーと思うんですよ。私はね。逆に、毎度そんなキリキリしながら作りたくないな…ということで自分用、趣味にとどめている、という部分もあります。

ハンドメイド作家さんて、こういう折り合いをどこでつけてるんでしょうね。皮肉でもなんでもなしに、素朴に疑問なんですよ。
「せっかく作ったし、少しでもお金になるなら売っちゃえ」
みたいなもんなんでしょうか。
ということで、また。

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