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「感性価値」って死語なの?

情報加工産業…って多分印刷業界が編み出した造語ですが、仮にそういう産業分野があるとして、「情報を加工することをビジネスにする」という意味ではインターネットの浸透以降とうに旗色が悪くなっていた2007年という時期に印刷業界で仕事を始めました。

なんやかやでしぶとく、それなりに愉快にこの仕事を続けていますが、もちろん全然甘かない。

体感としてはここ10年ちょっと、業界全体は一定の下降線を辿って縮小を続けているんではないかと思っていたのですが、ちょっと検索して市場規模を見てみると必ずしも一直線に下降している訳ではないことが分かります。

下の図は電通調べ「日本の広告費」から抽出されたグラフだそうですが…

(引用:https://mori-keiei.com/printing-2018/)

僕が働き始めた2007年から2011年までの5年間が最も大きな下降曲線を描いた時期で、その後は分野ごとの浮き沈みはあれ横ばいといった感じです。ただこれはあくまで広告費の推移なので、パッケージや資材、出版は含まれておらず、「印刷産業」の指標という意味では十分には参考に出来るものではありません。

そういう意味では製紙産業の需要推移を見る方が分かりやすいです。

日本製紙連合会 需要推移 紙・板紙内需(引用:https://www.jpa.gr.jp/states/paper/index.html#topic01)

こちらを見てもやはり2005年―2010年間の減少幅は最大で、衛生用紙以外軒並み減少しています。そしてその後はずっと縮小し続けていることが分かります。Eコマースの増加で段ボールの需要が増えたことで底上げされて下降線が緩やかに見えていますが、印刷・情報用紙では昨年には2005年の7割の水準まで落ち込んでいます。

このような具体的な数字を見ながら思い返すと、急激な需要の落ち込みにさらされていた時代だったからなのか、ゼロ年代の終わり頃は印刷という産業が自らのアイデンティティを必死に模索していた時代だったような気がします。冒頭の「情報加工産業」という言葉も、いつ頃から使われ出した言葉なのか知りませんが、自分達がやってきたビジネスの社会的な位置づけを再定義したいという自意識と同時に、何かインターネットに対するルサンチマンのようなものも嗅ぎ取れる気がします。似たような例では、同一コンテンツを複数のメディアで展開しましょうという意味の「クロスメディア」という言葉も、この頃業界内で頻出していました。

事実その時期、デジタルデバイスが急速に進化して生活の中に行き渡りはじめ、利便性においても画像の再現性においても、それまでは印刷技術の方にぎりぎり優位性のあったものをそれらが一気に追い越していきそうな気配がありました。

2007年には初代iPhone、初代Kindleが発売。EPUBが電子出版の国際規格に。

2008年頃には俄かにデジタルサイネージが注目され、紙のポスターは不要になるとも言われました。

2010年にはアップルがiPhoneにRetinaディスプレイを実装。iPadやKindle3の発売をうけて「電子書籍元年」と嘯かれたのもこの年です。

雑誌の休刊が相次いだことも焦燥感を煽っていた気がします。極私的な観測の範囲では、コミックボンボン(2007年休刊)、Lmagazine(関西ローカルのタウン誌/2008年休刊)、DTP WORLD(2009年休刊)、広告批評、STUDIO VOICE(2010年休刊)、SNOOZER(2011年休刊)など。

そんな時代に印刷物が生き残る活路として割と注目されたのは「感性価値を高めましょう」的な話(※)です。曰く、五感に訴えかける特殊印刷や紙、加工技術を使って印刷物の付加価値を上げましょう、と。そんな流れの影響もあってか、印刷技術とマテリアルにフォーカスした雑誌「デザインのひきだし」の創刊も2007年です。この頃、厚盛コーターニスとか縮み印刷、バーコ印刷、フロッキー印刷など紙の表面を立体的に見せる加工を施した雑誌や書籍を多く見かけました。

※「感性価値」というキーワードは2007年に経産省が産業政策の柱として打ち出したものなので、似たような話はいろんな業界であったのかもしれません。

僕自身、印刷産業に携わり、どちらかといえば色再現や質感再現のディテールを突き詰めるタイプの仕事をメインにやっているので、恐らく世間の標準的な感覚以上には印刷物に対するフェティシズムを持っている方だとは思います。ただ同時に「たかが紙とインキ」と思っているところもあって、殊更に印刷物の物質的な特性をポジティブに強調する言説には居心地の悪さを覚えていました。

で、それから10年。

業界の状況は決して好転していないばかりか、次のもっと大きな変化を前に打つ手なしの状況にあるにも関わらず、当時あったアイデンティティを暗中模索するようなムードは薄れたような気がしています。開き直ったのか、あるいはラクスルが登場して激安ネット印刷をデフレスパイラルの申し子からシェアリングエコノミーの新しい文脈に転換させたからか。これはあくまで地方の零細企業で働くサラリーマンの雑感なので、単に僕自身のマインドセットの問題なのかもしれません。

そもそも、自分自身はずっとちっちゃい会社でやってきてるだけに、自社の設備的リソースに固執せず、いかにアウトソーシングと組み合わせてモノをつくるかとか、顧客のある問題を解決するために本当に印刷物が最適解かとか、そんなことばかり考えてきたので、印刷が果たしてきた役割が別のテクノロジーに置き換わっていくことには「まぁそうだよね」という感想以外ありません。その上、第3次だか第4次だかの産業革命のとば口に立つ今、周りを見渡せば数十年後にそのままの形で残っている確信なんて持てない産業だらけです。

だから、このビジネスが生き残り続けるのかなんて悩みは、未来から見返せば、無声映画からトーキーに切り替わる時代の活動弁士の悩みみたいなもんで、そう思うと随分些末なものに見えてきます。

ところで、件の「感性価値を高めた印刷物」という生き残り戦略は正解だったのでしょうか?

効果は限定的だったと言わざるをえませんが、結局よく分かりません。

SNS時代で、ここ数年あきらかに「感性に訴えかけること」や「共感を生むこと」の価値は上がった気がしますが、当時言われていた送り手が付加する「感性価値」というやつとは無関係に、受け手がそれぞれのコミュニティー内で思い思いに価値を見出している、というのが実態に近いんじゃないかな。だから、アタリもあればハズレもある。

勝手に価値が見出されるというので思い浮かぶのは、アナログレコードとカセットテープの再評価です。

例えば2010年頃から再評価の流れが進んでいるアナログレコードの生産量は、2017年に至っても伸び続けています。この伸び方は結構すごい。

日本レコード協会 生産実績 過去10年間 アナログディスク(引用:http://www.riaj.or.jp/f/data/annual/ar_anlg.html)

これも僕自身の話でいくと、特に自宅内の視聴環境の問題もあり、Spotifyを使い出してからはアナログレコードを買う量も激減したので、CD時代から音楽配信時代への移行期にアナログレコードが伸びたのはとても良く理解が出来ましたが、音楽配信の主流がサブスクリプションモデルになった現在もまだこれだけ生産量が伸びているのは意外でした。

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社内の10年程前の参考資料を見返していて、今あまり聞かなくなったけどこの頃はよく聞いたなぁというキーワードをいくつか見つけたことを発端にこのノートを書きはじめましたが、何だか落としどころが分からなくなってきました。何にせよ、10年スパンで自分の働いてきた業界の変化を俯瞰的に振り返ることもなかったので、良いまとめになったような気がします。

「なんだかんだでいろんなバズワードに振り回されて生きてるよね、僕ら。」って話かな。強引にまとめると。

どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。