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ミャンマー・ヤンゴン、愚連隊の家探しの記録_vol.2

これは、愚連隊の我々が、ちょっとマシな住居を探すまでの真実の記録である。(現在進行形)

ミャンマー・ヤンゴン、愚連隊の家探しの記録_vol.1 の続編です。

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現在進行形の家探しの状況をお話する前に、2014年にヤンゴンに来てから半年間住んでいた家、そして現在の住居兼オフィスについて触れておこうと思います。

2014年4月末にヤンゴンにやってきた時の家。今思い出しても、涙が…

なんと言っても、当時は、「家に帰る」という言葉すら口にしたくなかったんです。オフィス(別に借りていました)で仕事して、夫が「そろそろ家に帰ろうか」なんて言おうもんなら、「あんなところ私の家じゃない!家なんて言わないで!タダの部屋だから!」「あんなところを家って呼べるなんて、信じられない!私の前で2度と家なんて言うな!」ってすごい勢いで突っかかっていました。

狂気の沙汰です。自分の妻がこんなんだったら嫌だよ。夫、よく耐えました。

まず、半年前に先にミャンマーに行っていた夫が契約したのは、まだ完成していない部屋でした。作ってある別の部屋を見せてもらって、同じようになりますから、と言われて契約したのです。家賃は950USD、もちろん1年分を先払いです。(今思えば、ミャンマーでそれは一番やってはいけない事。その通りになんてならないんですから、絶対に現物を見なくちゃいけません)

ミャンマーの物価は、日本よりもだいぶ安く、庶民が朝ごはんによく食べる麺料理が50円〜60円くらい。

その時は、特に外国人が住むような物件が不足していて、1000USD以下の物件なんてそうそうお目にかかれなかったんですって。サービスアパートが100件待ちの時代です。オフィスの賃料も渋谷かニューヨークかっていうくらい高かったんですよ。

だから、その当時としては、外国人が住む家として、950USDは格安の部類に入りました。でもね、冷静に考えると高くないですか?だって、日本で部屋借りてもそれくらい出せば割と普通のところに住めますよね。

なのに、モヒンガー60円の国で、950USDって…

大卒の初任給が、100USDだったこの国で、それだけ出せば、まあまあまともなところかな?と思いますでしょ?

それが全然。地獄でしたね。そもそも「ここと同じようになる」と言われてた部屋と全然違ってました。

ミャンマー式に言うと、グラウンドフロア、日本でいう1階です。ベビーカーが出し入れしやすいように、とは夫の談でしたが、そもそも周囲の道はベビーカーが押せるような環境じゃなかったんです。ぐちゃぐちゃでデコボコで、穴が沢山空いていて、野犬がたくさんウロウロしていて。

窓を開けると隣のローカルハウスの壁で、昼間でも薄暗くって、玄関入ったら靴箱置くスペースもないんです。ドアも窓も隙間だらけ。だから常に黒っぽい砂埃が床とかソファにこびりついて、掃除しても掃除してもぞうきんが真っ黒になってしまう。

ベッドルームはベッドを置いたらもうスペースがなくて、一応ついていたクローゼットの中はカビだらけ。クローゼットの扉もベッドでつっかかって開かなかったな。

その奥がなぜか水周りで、キッチンとバストイレ洗濯機置き場が一緒になってるんです。おかしいでしょ。トイレの匂い嗅ぎながら料理しなくちゃいけない状況で、そのキッチンも半畳くらいのスペースしかなくて。結局、その家で料理する事はありませんでした。料理できるスペースもなかったし、何より、1秒だってその場所に居たくなかったんです。

子供のミルクをそこで作るのも、哺乳瓶を洗うのも、ぞっとしました。でも作らなかったら子供が生きていけないのでやりましたが、哺乳瓶を洗うたびに悲しくて涙が出てきてしまって。思えば、産後でホルモンバランスもまだ整っていなかったのかな。(何でもホルモンのせいにしときましょ!)

狭いバスルームには、無理やりバスタブとトイレと洗面台と洗濯機を詰め込んであって、換気扇の隙間から虫が入り放題でした。(たぶん、換気扇の向き違ってたんじゃない?って。換気じゃなくて、外の虫と匂いを送り込むだけの存在)

バスタブには、毎日黒い虫がたくさん落ちていて、お風呂に入るには、まずその虫をジャーっと流してから。

今まで、日本式のお風呂で息子を沐浴させていたのに、これ、どうすればいいの。風呂に入ったら汚れちゃうんじゃないの。と思いながらも、息子も私も風呂に入らないわけにはいかないので、なんとか息を止めながら入浴させて。

玄関をあけると、おしっこみたいな匂いがしてなんだか臭くって。

水のスイッチが、なぜか隣のインド人の部屋の中にあって、よくインド人がスイッチ切ったり、モーターを燃やしちゃったりするんで、3日間水が出ない事もあったな。

なんで他人の家の中に我が家の水スイッチがあったのかも謎。

玄関の横には、そのインド人の商売道具(油まみれの何かの部品)がうずたかく積み上げられていて、汚かった…

じめじめしていて、あらゆるものがすぐにカビてしまいました。息子の絵本が湿度でシワシワになってカビた時は泣きました。

裏庭(と言われている場所)は、上階の人がゴミをバンバン捨てるので、ゴミが地層みたいに積み上がっていて、裏庭に通じるドアは恐ろしくて1回も開けられませんでした。(のちにドア自体を開かないように埋めてもらいました)

他の人、どうやって子育てしてるんだろう、って思いました。来たばっかりで友達なんていなかったから、誰に相談する事も出来なかったんです。

日本持ってきたベビーカーは、外では使えない事が分かったので、会社の室内で使うユリカゴと化していました。

そんなある日、和食の居酒屋さんがあるという事で、お店の中で使う用に、ベビーカーをタクシー(プロボックスでシートベルトもエアコンもない)に詰め込んで、息子をエルゴに入れて、夫と3人で行ってみたんです。

そうしたら、息子と同じくらいの子供を連れた家族連れが!子供連れで来てる人、いるんだ!きっと同じ苦労をして、解決方法だって知っているかもしれない。話しかけてみようかな、でもいきなり話しかけたら変よね、どうしよ…なんて思っている間に、そのご家族は食事を終えて帰って行きました。

そのご家族はね、店の横につけた運転手つきの大きなランドクルーザーに乗り込んで行きました。もちろん車内にはがっしりしたチャイルドシートがあって。その時は絶望しましたね。

(子連れで来ている人は、そもそもちゃんとした家に住んでるんだわ)

(苦労話なんて、あるわけない。苦労なんてしてるわけない)

(友達になれるわけがない、私の事なんて絶対バカにしてる)

いやいや、被害妄想ここに極まれり、です。

先方は、ただ家族連れで食事しにきて、車で帰っただけだっつーの!と自分で自分にチョップしたくなりますが、それだけ精神状態が極限だったのかなと思います。初めての子育て、初めてのミャンマー、この家。しかも家賃先払いしちゃってるから出ようにも出られない。

家にいたくなくて、休日はずーっと外出していました。ダウンタウンにあるシャングリラホテルのロビーで、ビールが3USDで飲めるんです。コーヒーは4USDだったかしら。そこが居心地よくて、当時0歳児の息子と一緒にずーっとソファに座ってました。ホテルのスタッフさんも、優しくしてくれて、息子を抱っこしてあやしてくれたり、名前を覚えて呼んでくれたり。心を救われました。さすがにソロソロ戻らないと、という時間になると、涙が出るくらい嫌だった。

日本に帰ったら良かったと思うのだけれど、当時はインターネットも遅くって。部屋の中だと、チケットを探すネット速度もなかったんですよね。

そもそもインターネット込みって聞いていたのに、ネットが繋がった事がなかった。

携帯電話のインターネットも、当時は遅かったんです。

それでも、なんとか探せば良かったのだけれど、すっかり悲劇のヒロインになっていた私は、「飛行機のチケットをとるお金もうちにはないんだ」なんて妄想にとらわれてしまって。

チケットとるお金くらいあるから、早く日本に帰りなはれ、ってあの時の自分に言ってあげたい。

風水ってそんなに参考にするわけではないけれど、日が当たらなかったり、風が通らなかったり、ジメジメしていたりする場所って、人間の心を蝕んでいくんだな、と実感しました。

3ヶ月後、ひとまず日本一時帰国した私と息子を、実家の両親が成田まで迎えに来てくれたんです。

私、とってもススけた、疲れた顔をしていていたそうです。

実家でお風呂に入ったら、ものすごい垢がたくさん出て、「ミャンマー成分が出た!」なんて大騒ぎになりました。

当時の夫はもっと辛かっただろうな、と今思います。

せっかく家族が来たのに、妻は常に泣いているか、怒り狂っているか、この甲斐性なしめ、(直接そんな事は言わないけれど、ちゃんとした待遇の人をすごく羨んで妬んでいたのでそういう意味に聞こえたと思う)みたいな事言っているか。

家族(というか私)が、何の心の支えにもならないどころか、毎日なだめてすかして、それなのに責められ続けていたんですからね。

一番の健闘賞は、確実に夫です。

半年後、今のオフィス兼住居に引っ越す事になりました。

この部屋を出られるのが嬉しくて嬉しくて、まだベッドがない状態だったのに、もう絶対にあそこには戻らない!と子供用のジョイントマットの上に寝たのを覚えています。

長くなったので、現在の住居兼オフィスの話は次回。

続く。

(カバー写真は当時のご近所さんのローカルハウスです。部屋は最悪だったけれど、近所のローカル達は子連れの私たちにすごく優しくて救われました)



2014年〜ミャンマー在住。IT企業を現地でやっている夫、現地のローカル幼稚園に通う3歳の息子と一緒に、日々アレコレドタバタやってます。サポート頂いたら、新しいモノコト探しに使わせて頂きたいです!