メサイアになれなかった雌豚

「人の良いところを探す」
「情けは人のためならず」
そんな言葉をモットーに生きてきた。
少なくともここ20年弱ぐらいは…。

でも、私は誰かを救えなかった。
一人分しか生きることができなかった。
自分の小ささと無力さを知った。

私は3歳のときに、今は天国にいる叔母から譲り受けたピアノで初めて音楽に触れた。
まだ父が就職試験に受かったばかりで、家賃3万円の借家暮らしだったので、このピアノがなかったら豚生は大きく違っていたと思う。
(汲み取り式トイレの平屋建ての借家だったが頑丈だったのでピアノを置くことは何故か許された)

私があまりに楽しそうに弾くものだから、母が良心的受講料のピアノ教室に通わせてくれた。
でも、私は問題児だった。
課題曲は勝手にアレンジし始めるし、
好きなアニソンを勝手に耳コピして遊ぶし、
母が迎えに来るまで少し時間があった時なんて
「びっくりさせちゃお!」と思い他の教室に隠れた。
グランドピアノに隠れて「うしし」と思っていたらコワモテの大柄なおっちゃんが入ってきて、
野太い美声オペラを始めるものだから、
当時5歳未満の子豚は鳴き出してしまった。
自業自得の迷惑なガキンチョである。

そんな落ち着きのないガキンチョだが何とか中学2年生まではピアノを続けることができた。

引っ越しも相まって何度か教室が変わったが、最後の先生には特に嬉しい影響を受けた。
今でもずっと感謝している。
先生は笑顔のチャーミングな女性で、課題曲ではなく「雌豚ちゃんが好きな曲を」と提案してくれた。
それならと、大好きなアニソンやずっと弾いてみたかったクラシック曲の楽譜を持ってきて、
先生と一緒にオリジナル課題プログラムを作った。

中でも思い入れ深いのは、田中公平先生のワンピース劇伴。
ワンピースの尾田先生は私と同郷であり、
田中公平先生の音楽は小さい頃から触れてきた。
技能はともかく想い入れはとてもあったので、終始楽しく練習できた。
1年に1度の発表会では、先生がその曲をオープニングとして弾かせてくれた。
(個人としての発表曲としては、ショパンの曲だったが)
発表会の会場が熊本だったこともあり(?)たくさんのあたたかい拍手をいただいた。
こんなに音楽ってあったかいんだと思った瞬間だった。

そのほかにも、先生はずっと弾いてみたかったドビュッシーの夢を習わせてくれた。
幻想即興曲ほど速度が凄い訳ではないが、経験が浅い私には解釈が難しかった。

悩んでいると、先生が助言をくれた。
「雌豚ちゃん、どうしてこの曲は夢ってタイトルだと思う?」
私は無い頭を振り絞って、寝ている時に見る夢や高校球児にとっての甲子園などの夢を思い浮かべた。
けっきょく明確な答えは出せなかったけれど、
1音1音模索しながら丁寧に弾いていると、
曲や作曲家さんと対話しているように思え、とても楽しかった。
私はこの先生のおかげで、ピアノが今も大好きだ。
へたっぴだけど…………(詳しくは私のYouTubeを参照されたし)

高校受験を終えて、私は喋ることの勉強を始めた。
テレビで綺麗な日本語を話すアナウンサーさん達に憧れたからだ。
ふだん話す熊本弁を封印し、お小遣いを貯めてNHKアクセント辞典を買った。
今では版がリニューアルされているが、今も私の宝物だ。
教室に通ったり、コンクールに出たりもしたが、けっきょく喋る仕事には就けなかった。
声が幼すぎると講師の方に指摘されたこともあった。
何より努力不足だったんだろうなと思う。
それに、高学歴でもないし、美人でもないし…。

ただ、歌い手を始めてから全国の方々とお話しするようになり、「訛ってないね」と言っていただけるのがとても嬉しかった。
話したい相手と、「あ!これ方言か!(あわわわ)」ってならずに会話が続けられることがとても嬉しかった。

それから何を間違ってか、雌豚はインターネットの世界にどっぷりとハマってしまった。
父が所有していたVAI○のパソコンを勝手に使い、家電量販店で買った運動会用マイク(約3,000円)を直に挿して歌った。
当然不審者である。

当時歌を歌うということはテレビの世界かレコーディングスタジオか、アマチュアでもカラオケボックスやバンド練習など、人と交わりながら行うイメージだった。
歌ってみたの収録は、基本ヘッドホンでカラオケを聴きながら行う。
レコーディングスタジオでもなく、観客もおらず、バンドメンバーもいない空間で。
当然不審者である。

でも両親は何故か(よっぽどの奇声でない限り)咎めずに見守ってくれた。
初めて母に褒められたのが、「蒼のエーテル」だった。
もしかしたら歌うことが自分には合っているのかもしれないと思った。

それからはもうインターネットで暴れまくり。
お天道様に顔負けできない過激な替え歌もたくさん。
歩くネットタトゥー系歌い手である。ごめんなさい。
そんなわけで、平成10年代ぐらいから不審な歌活動を始めた。

たくさんのインターネットのお友達ができ、某CDなどたくさんの経験をさせていただけた。
私は有名豚かもしれないと錯覚した痛い時期もあった。
(今も痛い厨二病…。)

そこから雌豚、いろんな人たちに悩み相談を受けることになった。
ちょっとした愚痴から、明日食べるご飯どうしようというものまで。

何もない貧乏雌豚だったけど、できる限り助けたいと思った。
両親にも協力してもらい、心ばかりの差し入れを送ったり、Skypeで一晩中話を聞いたりした。

話が逸れるが、母方の祖母は看護師だった。
実の子どもの他に、身寄りのない女の子を引き取って育てたりもしていた。
私の母も近くで泣いている思春期の女の子のもとにいき、10時間ほど寄り添ったこともあった。

私もできるかなと思い、思いつく限りの自分勝手な優しさを送ってきた。
中には勘違いやありがた迷惑なこともあったと思う。

でもそれが自分を苦しめる最大の原因となった。
とある家庭環境で苦しんだ方と一緒にいた時…。
役に立つ資格のための費用などを出したが、問題がすごく根深いところにあった。
私と知り合うよりずっと前の家庭環境のこととかトラウマとかコミュニケーションに悩んでいることとか、
トンネルを進んでも進んでも出口が見えなかった。

今思えば雌豚はおこがましかった。
行政や福祉のプロの方が介入するべき問題だったのだ。
お金を出せばその日は持つが、私も高給取りではないため共倒れしそうになった。

北斗の拳の「種もみじゃ…」じゃないけど、人助けをしたいなら未来につながる方法じゃないとダメなのだ。

また、個人的に辛かったのは、金銭的な負担より言葉だった。
経験の浅いあまちゃんだったので、深淵から生まれる言葉を知らず、どうしてそんな言葉をぶつけるのか分からないことがあった。

最後は働きすぎて救急隊の方のお世話になったり、地元の婦警さんが私側を庇ってくれる始末になった。
その時の私の口癖は、「私が悪いんですけど」だった。

その時のことを思い出すと脳が紐でぎゅーって縛られるような感覚がして、記憶が抜け落ちている


とにかく私は失敗だらけ、ツギハギだらけの生き様である。
高校や大学の同級生たちは、経営者になったりお医者さんになったり幸せな家庭を築いたりしているのに、
生き方が下手すぎて自己嫌悪に陥った。

救えなかった相手にも本当に申し訳なかったと思う。
ケアマネージャーさんや、プロの方々にもっと相談するべきだった。
最後は実家から戸籍謄本を取り寄せて行政書士さんに手続きしてもらった。

1年半かけて、ようやくどうしたいかが見つけられるようになってきた。
その中で救われたのは、アンパンマンのマーチの歌詞。
自分の幸せって何だろうって問いかけることすら許されないと思っていたけど、この歌詞で思い出した。

小さいころ拙いながらピアノをポロンポロンと叩いて楽しかったこと、
全国のみんなとラジオでお話ができて交流が広がったこと、
そして思いっきり歌声を出して何かを伝えること。
回り道もしたし世間的には失敗と言われる経験も沢山した。
中には私を「中途半端な自己満足優しさを押し付けやがって」と恨んでいる人もいると思う。

いろんなことを反省して、でも、「死んでやるもんか」って思えるようになった。
自分は人生の主人公なんだい!と心の中で反撃できるようになった。

ポジティブになったからか、周りの人たちも笑顔に見えてきた。
楽しそうにお散歩するワンちゃん、開花したお花を撮るおじいちゃん、
杖をつきながらも子どもたちを見守るおばあちゃん、
通勤途中で忙しいはずなのにマフラーを拾ってくれたサラリーマンの方、
ベビーカーを押すママを助けるOLさんetc
めっちゃ尊くて、不審者雌豚は、世界やさしいって思えるようになったよ。

もちろん、どの視点から見ても凄惨で過酷な環境や人はいる。
がんばれなんて気軽に言えないぐらいに辛い話も聞く。

そんな時に自分がやるべきことは、自分の命や生活費まで犠牲にして100パーセント捧げることじゃなくて、
自分も大切にしつつ周りの人たちも大切にするっていうシンプルなことだとようやく気づいた。
結局、共倒れしたら私もいつか働けなくなるんだよね…。

本当に過去に救えなかった方々、力不足でごめんなさい。
でも、私は私で幸せを探させてください。

とある偉大な作曲家さんに、たくさん助けたくても失敗してきたことを話したら
「でもその時、閣下がいてたすけられたことがあったのは事実だからさ」と励ましてくださった。
もうその言葉で、器の大きさを感じるよね。
私もいつか、そんな深くて端的な言葉を発せるよになりたい。

長くなってしまい、ごめんなさい。
これは私の禊です。
私なんかが幸せになっても良いのかなと今も悩みつつ、幸せになってやるぞー!という気持ちもあり…。

自分のことばかり書いてしまったが、
やっぱり歌を聴いてくれるリスナーさんたちは本当に尊い存在。
だからもし、私が過去に失敗したように、人のために自分まで犠牲にして苦しんでいる子がいたら、
自分のために生きることを諦めないでね。

もし血が繋がっていても、戸籍上は家族でも、自分のために生きる権利があるからね。
(もちろん自分らしく〜と言って、おまわりさん案件はダメだよ。)

メサイアになれなかった小さい生き物の禊でした。
最後まで読んでくれて、ありが豚。
あなたの幸せを願っています♡

雌豚閣下


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?