記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

幾つかの物語の考察のまとめ,2024年5月15日


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5



注意

 これらの物語の重要な展開を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』にご注意ください。

小説

『ソリトンの悪魔』
『AΩ』(小林泰三)
『灰色の車輪』(小林泰三)
『源氏物語』
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web原作,書籍)

特撮映画

『シン・仮面ライダー』
『シン・ウルトラマン』

漫画

『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー』
『モテるマンガ』
『真実のカウンセリング』
『マンガで分かる心療内科』
『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』
『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編』
『クレヨンしんちゃん』
『新クレヨンしんちゃん』
『歳と魔法はキス次第』
『決してマネしないでください。』

特撮オリジナルビデオ

『ウルトラマンネオス』

テレビアニメ

『新世紀エヴァンゲリオン』
『クレヨンしんちゃん』

アニメ映画

『クレヨンしんちゃん ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』

はじめに

 今回は、とりとめのない情報の集まりですが、これまでの記事で書こうとして書けなかったこともあります。

『ソリトンの悪魔』や『AΩ』の「同族とその体の区別」

 『ソリトンの悪魔』原作では、海中の特殊な波動が生命体となったタイタンボールの一個体が、人間の軍事技術の音の影響でサーペントという敵になり、様々な海難事故を起こします。
 そこで、人間の味方となったタイタンボールの協力で、サーペントと同じ生命体の体に意識を移して変身した人間が立ち向かいます。
 その途中で、サーペントと戦うときに、その波動を崩して倒す方法を学ぶのですが、タイタンボールの説明する個体は平然とした口調で、倒すときに出る波は「君が吸収すれば良い」と人間にすすめています。
 タイタンボールはコンピューターに近い知性を持ち、いくら人間に頼まれても、「サーペントを倒すためのOSに当たるものが自分達にない」と断るのですが、完全に無情ではなく、むしろ「人間を守るためでも、仲間だったサーペントを殺すのは心苦しい」と表現しています。
 しかしそのタイタンボールでも、サーペントを倒したときに発生する波、つまり同族の体の欠片を吸収、言い換えれば捕食するのには、何も考えていない可能性があります。ただ言わなかっただけかもしれませんが。
 同族を殺すことと、その遺体を食べることが別だという感覚は、人間以外の特殊な生命体にもあるようです。
 小林泰三さんの『AΩ』では、宇宙の大半を占めるプラズマで構成された生命体が登場して、人間に限らず地球生命全体とは異質な体であり、むしろ地球生命の固体と液体と気体の体の方が異質だとみなしているようです。
 プラズマ生命体なので分かりにくいのですが、彼らには「妻」に当たる同族の心配をする精神こそあっても、その遺体を食べて分析するのは平気なようです。
 そのときは、まだプラズマなので残酷に感じにくいのですが、そのプラズマ生命体の一個体の「ガ」は地球に来て、自分達と地球生命にとって共通の危険な存在の「影」と戦うために、人間の体を凄惨に利用しており、その1つとして、人間の体で、「影」の影響を受けた人間の遺体をなめるなどの行為をしました。それは彼にとって元々当たり前のことを人間の体に置き換えたのでしょう。実際に、「ガ」は人間が同族の遺体に特別な感情を抱くのを「奇妙」だとみなしています。逆に「ガ」は同化する人間に悪感情を抱かず、意思疎通出来ない苛立ちはあっても、その人間からの悪口には怒りませんでしたし、「人類は温厚な種族だから我々が滅ぼす確率は低い」と述べています。
 『ソリトンの悪魔』でも、波動生命体が人間の体を得る可能性があったのですが、波動やプラズマならまだましに映る、「大事にする同族の遺体の一部を摂取する」行為が、有機生命では凄惨に映るのでしょう。

『ソリトンの悪魔』と『真の安らぎはこの世になく』

 また、『ソリトンの悪魔』では、波動生命になった人間が敵の波動と重なるうちに、その狂った感情も吸収して凶暴化しかけました。
 『シン・仮面ライダー』漫画版『真の安らぎはこの世になく』では、元々食糧危機を解決するために、他の生命の「プラーナ」というエネルギーを吸収する技術があり、その科学者の緑川弘は人間のために、いつの間にか犯罪者などのプラーナを利用して行きました。犯罪で妻を失ったときに、「悪人の人権という常識は捨てた」と話しています。
 しかし、息子のイチローの命を救うためにプラーナを与えたことで、よりによって妻を殺した人間の精神と融合してしまい、それが凶暴化を招いています。まだ漫画版でイチローは知らないようでしたが、イチローはその影響で「母さんを殺した奴と同じ」、罪のない人間を感情任せに殺害することになりました。
 ただ、その犯罪者にも、虐待されたらしい過去が映っており、そのプラーナらしい声で、「許しなどとうにあきらめている」と、元々罪悪感が皆無ではなかったと取れる台詞もあります。
 これが何を意味するか分かりませんが、『ソリトンの悪魔』と『シン・仮面ライダー』にも繋げて考える余地がありそうです。

『AΩ』と『ウルトラマンネオス』

 また、『AΩ』は、超対称性粒子という現実の物理学で提唱される素粒子が災いをもたらしますが、それに近い時期の『ウルトラマンネオス』では、ダークマター、暗黒物質が地球に降り注ぐことで怪獣が生まれるようです。
 その怪獣のうち、珍しく人間に殺されなかったキングバモスの回には、特撮で扱いにくい、ある重要な人間の特徴がみられます。
 無人島に住む怪獣のうち、人間を捕食するロックイーターと、それを捕食するらしいキングバモスがおり、後者が人間のオルゴールの音楽に興味を示して友達になりました。
 しかし、ロックイーターから人間を守るために巨大化して、殺したのですが、その人間は、キングバモスがロックイーターの、眼の光の消えた、明らかに命を落とした体にまだ蹴りを入れ続けるのを「やめろ、もう充分だ」と止めました。するとキングバモスは暴走して、その「友達」のはずの人間まで襲いました。
 これは、次の回で「やはり人間と怪獣の共存は不可能だった」とまとめられましたが、単純に割り切れません。おそらく『AΩ』に通じる残酷な問題があります。
 キングバモスにとってロックイーターは友達を捕食しようとする敵であり、元々の自分にとっても獲物だったので、その死骸を傷付けても罪悪感がないのでしょう。さらに、埋葬をする動物は人間以外では珍しいらしく、『AΩ』のように、同族を大事にする生物でも人間以外はその遺体を軽んじる傾向があるとすれば、キングバモスがロックイーターの遺体を大事にせず、人間がするという感情が、怪獣と人間の違いなのかもしれません。
 キングバモスにとって、敵の遺体をかばうという人間の言動が、「友達でも許せない裏切り」だったのかもしれません。
 ここから、『AΩ』、『ソリトンの悪魔』、『ウルトラマンネオス』も繋がりそうです。 

「自分に近い生命や人物を利用する」エメリーの法則と物語

 『昆虫はすごい』によると、昆虫が他の種類の昆虫に寄生するとき、する側とされる側の系統が近くなる、エメリーの法則があるそうです。
 自分と近い種類だからこそ紛れ込むなどで利用しやすいようです。
 ここで思い出すのは、人間も自分に近いロボットを求めたり、奴隷に自分に近い要素を求めたりすることです。
 『ヒーローと正義』では、特撮の怪獣を動物園に入れるかなどの問題で、動物園には昔に人間の奴隷も入れられていた、むしろ従えやすいのでそちらの動物園の方が先だったのではないかという説があります。
 人間は自分に近い動物ほど、命令を理解したり効率的な作業をしたりしやすいので、奴隷として必要にする歴史があったかもしれません。奴隷と寄生の差異はまだ私には分かりませんが、エメリーの法則にも通じるかもしれません。
 小林泰三さんの『灰色の車輪』では、人間に近い体型で人間より優秀なロボットに、人間のような痛覚を与えて強引に従わせる科学者がいました。

2024年5月15日閲覧

 さらに、、『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(以下『ギフト無限ガチャ』)では、「無限ガチャ」という能力でものを出していたライトが、危険なダンジョンで大量の魔力を吸収すれば、優秀な人型カードも出せると判明し、そのカードを仲間として社会を変革するほどの勢力を作ります。
 しかし、自分が「無限ガチャ」を作動させるのに専念してはいられないので、カードによる自分とほぼ同じ能力を持つ分身「ダブルシャドー」を生み出し、常に複製の「無限ガチャ」を使わせ続けているようです。
 劇中ではライトが同種族のヒューマンの奴隷にされるなどの仕打ちに憤っていますが、分身を四六時中働かせることへの疑問はないようです。
 自分になるべく近く、休まず働く分身がほしいというのが、現実の多くの人間の本音かもしれません。
 さらに、ライトの妹のユメが別のところで働いていたのを引き取るためにもそのカードの分身を代わりに働かせていたのは、ユメの意思より、ライトの判断によるユメの安全などを優先したパターナリズムとも言えます。
 そのユメを雇っていた、ヒューマン王国王女のリリスが、ライトと政治的な協力関係になるために用意したリリスの分身は、やがて、リリスの求めるヒューマン全体の利益と一致しない、ライト個人の利益を重視する部下にとって不快な行動をするリリスを殺しても良いための身代わりとみなされていきました。
 ここに、分身を奴隷扱いすることが、ロボット三原則も踏まえて考察する余地があります。
 ロボット三原則は、「人間の安全、人間の意思、ロボットの安全」の順番に重視します。
 ライトの安全や意思のための分身、ユメの意思より安全のための分身、リリスの意思や安全より、用意するライト達のための分身は、このロボット三原則の順位を下げたものに当てはまります。
 さらに、人間に近いロボットを身代わりにしたがるうちに、『灰色の車輪』のようにロボットの方が人間より優秀になるという要素もあります。
 さらに、『ギフト無限ガチャ』では、ライトが個人的に世話になった、しかしライト達よりはるかに弱いヒューマンの村を守るために、ライト達の基準では弱いレベル3000のゴーレムを配置したのですが、それはゴーレムが不眠不休で働けるためでした。
 やはり、分身もゴーレムも、目的のために、権利なく働ける存在として、ライト達に認識されているかもしれません。

『モテるマンガ』のたとえに足りない、ゼロサムとプラスサムの区別や「忘己利他」の精神

 『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』について、劇中のたとえのうち、法律、貨幣、遺伝子、文化の区別が特に雑で、宗教なら許される「信じたならあとでクレームを入れるな」という言葉を政治や経済にまで一般化するような乱暴なところを感じました。

2024年5月15日閲覧

 『モテるマンガ』にもその雑なたとえがあり、そこにより一層の問題があるとみなしました。
 『モテるマンガ』2巻に、「女性からの相談に男性は解決策を出してはいけない。共感すべきである」、「パソコンが動かないという相談に、OSなどを尋ねるのはいけない。共感して欲しいのである」とあります。
 『マンガで分かる心療内科』の心内療が登場する『決してマネしないでください。』でも、似た提案はあります。
 これ自体は否定しません。つまり、どうすれば動くかの事実についての推測としての「解決策」より、意見に「共感」する必要があるのでしょう。
 しかし問題はそのときの、「男性も、職場で嫌な上司がいるときに、出世すれば、と解決策を言われれば嫌なはずだ」というたとえです。
 一見「解決策」を提案するのは同じでも、実際にはある重要な違いがあり、そこにたとえの雑さがあると考えています。
 それは、「自分が損をしてでも相手に得をさせたい」、「忘己利他」の精神の有無です。
 仏教の「忘己利他」の言葉を知らなくても、仏教徒でなくても、人間の多くには、「自分が損をしてでも相手に得をさせるのが良いことだ」という精神があるはずです。
 一般的に一番悪いことは「自分が得をするために相手に損をさせる」ことで、悪いと言い切れないこととして、「自分も損をすると分かっていて相手に損をさせる」ことがあり、「相手に損をさせるときに自分も損をする事実が分かっていない」のは「馬鹿」と言われることが多く、良いと言い切れないこととして、「相手に得をさせるが、自分も得をしている」ことがあるのでしょう。
 ここには、自分が損をすれば代わりに相手が必ず得をする、得をすれば相手が損をするゼロサムか、両方得をするプラスサムか、両方損をするマイナスサムかの問題もありそうです。
 しかしやはり一番の美談は、「誰かが損をしてでも、代わりに相手に得をさせた」ことが多いでしょう。
 ここで問題にしたいのは、同じ「解決策の助言」でも、「パソコンが動かないという相談にOSを尋ねる」のは、明らかに自分が考える手間をかけて相手の考える手間を省く、「忘己利他」の精神が通常はあることで、「職場で嫌なことがあるときに出世をすすめる」のは、相手の考える手間を省くために自分がかける努力をしていないことです。
 もちろん理系の男性の中には、パソコンの話が好きで、教えるのも楽しみのうちでプラスサムになるという人間もいるでしょうが、基本的に「助言」とはゼロサムの「自分が手間をかけて損をしてでも相手の手間を減らす」ことのはずです。
 その発想がなく、「出世すれば良い」という誰にでも思い付く、「分かり切った解決策」、「その詳しい方法が分からないから苦労している」と言える助言には、忘己利他の精神がみられません。
 このような乱暴な同一視をする辺りに、『モテるマンガ』には、一般的な人間には仏教を問わずあるはずの「忘己利他」の軽視がありそうです。
 センシティブなたとえですが、『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方』では、自殺しようとする人物に、「そんなのは駄目だよ」と言っても、「そんなの分かっている」と言われてしまうとあります。分かり切った情報の提案は、相手の考える手間を省く利他にもならず、さらに自分が考える手間をかける忘己にもなりません。
 センシティブですが、「パソコンが動かないという相談でOSを尋ねる」助言、「職場の悩みに出世をすすめる」助言、「自殺しようとする人にそんなことはいけないと言う」助言を並べますと、「分かり切った提案をしているだけ」の2番目は、1番目より3番目に近いはずです。
 OSの確認という助言が良くないという意見には同意しますが、そこにある忘己利他の精神は空回りしても評価すべきだと考えます。結果的に自分も相手も損をするマイナスサムになったとしても、ゼロサムのつもりで自分が損をする行動をした精神は悪いと言い切れません。
 たとえとは、1つを別の1つと比べるだけでなく、別の2つのどちらに近いか考えることも重要だと分かります。
 その区別が出来ていないのは、『モテるマンガ』で、ゼロサムとプラスサムとマイナスサム、忘己利他の論理の詰めが甘いと考えられます。

窃視とねずみ小僧のプラスサムとゼロサムの違い

 また、『マンガで分かる心療内科』では、窃視症、いわゆるのぞきをする除木という男が、「僕が画像をネットに流すのは、見られない人のために分け与える、ねずみ小僧と同じです」と主張し、心内は「ねずみ小僧は全て与えて私腹は肥やさないですよね。あなたは自分も見るでしょう?」と反論しています。
 たしかに覗き、窃視は悪いことですが、ここでねずみ小僧の金銭の盗みでたとえて私腹について反論するのは、情報と物質の区別、プラスサムとゼロサムの区別が付いていません。
 ねずみ小僧の盗む金銭とは、当時の場合はおそらく貴金属などが多く、不純物を混ぜる改鋳でもしない限り、価値の全体量を増やすことは出来ないはずです。だからこそ、自分が私腹を肥やせばその分与える量が減ると認識して、自分のものにはしないのでしょう。これはゼロサムの状況の「忘己利他」です。
 しかし窃視で問題になる情報は、複製可能なものもあり、だからこそ盗んで与える側も与えられる側も両方得をするプラスサムが可能ではあり、自分も得をしているからと、ねずみ小僧と違うからというのは悪いことの証明にはなり得ません。江戸時代で言えば、有料の本を立ち読みして、それを書き写して買えない人間に分け与えるようなものであり、それはねずみ小僧と異なり、自分もその内容を使うことは出来ます。
 『マンガで分かる心療内科』でも、新聞記事の写真を何枚か数えるテストの内容に、「著作権は大事だ」とありましたし。
 窃視で問題なのは、見られたくない人の情報を、医療のために服を脱がせるなどの切迫した理由なしにさらすことであり、自分が得をするかや、全体の幸福の量ではありません。
 その辺りの反論を順当にしないのは、やはり『マンガで分かる心療内科』や『モテるマンガ』に、プラスサムとゼロサムとマイナスサムの区別、多くの人間にある忘己利他の精神の認識が足りないようです。

民主主義国家と学校や企業の違い

 また、『マンガで分かる心療内科』と主張が異なるかもしれませんが、岸見一郎さんのアドラー心理学を扱う『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』では、「教育現場は民主主義でなければならず、暴力や怒りによる支配はいけない」とあります。
 これも、たとえが雑で、政治学や法律学の厳密な定義を軽んじています。
 まず、民主主義国家であろうと、法治国家なので暴力による支配はあります。ただその暴力の根拠である法律を決める政治家を、国民が選ぶだけのことです。また、立憲民主主義では、現在の国民に選ばれた政治家でも、過去に決められた国民の権利である憲法を守らなければならないという趣旨の記述が『保守と立憲』にあります。
 また、そもそも「民主主義」というのは、「政治家を国民の有権者が選ぶ」ことであり、教育現場や企業には適用出来ません。生徒は転校出来ても、よほどのクレームを入れない限り教師は変えられませんし、社員は入る企業を選べても、そのあと、社長などの経営者を選ぶことは出来ません。
 その単純な定義の区別をしていないのは、国家と学校や企業の区別、ひいては法律の分野の国家と貨幣の分野である職場やその前の段階だと言える学校が出来ていないのでしょう。
 おそらく、『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』では、岸見一郎さんにとって何となく良いものの集合体を「民主主義」だと表現して、民主主義なら他の良いものと結び付くはずだと単純に同一視していると考えられます。

「社会的弱者の自由意思や主観」で振り回す力

2024年5月15日閲覧

 『クレヨンしんちゃん』では、社会的強者の努力が弱者の主観で空回りしたり、弱者の努力と言えない一見劣った行動が強者の主観で勝利したり喜ばせたりして、それぞれ痛快さや爽快感があると書きました。
 これは、少なくとも経済学において、商品やサービスの価値は労働の客観的な量ではなく、買い手の主観で決まるという概念が重要そうです。
 人間には、どれほど論理的に見えても主観があり、それが「強者」の弱いところ、あるいは「弱者」が相手の弱いところに影響する強いところなどをもたらすと言えます。
 『クレヨンしんちゃん』劇場版『ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』では、子供の落書きによるエネルギーで活動する魔法の王国のラクガキングダムが、落書きの不足により滅びかけ、防衛大臣が落書きを子供に強制させようとしたのですが、国王は「落書きとは自由な心で書かなければならない」と反対しました。
 国王がその反対を、防衛大臣が「聞き飽きました」と言うほど繰り返したのは、それが当然の推測であるためでしょう。落書きは明らかに、「がんばって」、「強制的に」するものではありませんから。
 実際に、マサオが厳密には落書きに分類出来るはずの劇中の漫画の真似を「もっと自由な落書きを描きなさい!」と怒られたのは、「自由に書け」という強制が矛盾しており、自分で考え出す落書きが強制出来ないことを証明しています。
 ひろしも、この映画で偶然酔っ払い落書きを頼まれて描いたので、大人の例外として拘束されず、酔いが醒めたあとに「がんばって」貢献出来ました。しかしそれは、ひろしが「がんばる」だけでなく、前半で「自由に」、「がんばらなかった」ことも功を奏したのです。
 それはファンタジーだけでなく、現実でも自由な市場経済だからこそ高度な商品やサービスを生み出せるところがあり、政府が完全に制御する共産主義が上手く行かなかったのもそれが原因のはずです。つまり、「論理で表せない主観」だからこそ出来るものがあり、「自由な心による落書きのエネルギー」はその象徴とも考えられます。

2024年5月15日閲覧

 『歳と魔法はキス次第』でも、人間に対して圧倒的な能力を持つ魔法使いが、人間に正体を知られると弱体化して、戻るためにはその人間の「心からの願い」を叶えなければならないという設定が、「どれほど強い人物でも、弱い相手の自由意思だけはどうにも出来ない」論理的な事実において、「自由な落書き」に通じます。
 それがおそらく、この記事の「上位概念に出来ない」、「下位概念の自由意思を操作すること」にも繋がります。

https://note.com/meta13c/n/nc64486c75c4b

 
2024年5月15日閲覧



悪役や弱い味方の「努力」を認めること

 『ギフト無限ガチャ』小説書籍版9巻では、主人公のライト達の敵にも、「努力」を地の文で認められる人物がいました。
 どこまで意図的か分かりませんが、「悪役」の「努力」を認めるのは難しい問題も含みます。
 敵であるエルフのカイトやダークエルフのライエやエイラについては、「精進が足りない」、「力任せ」と、「努力」を否定していたのが主人公達の言い分でした。
 実際にはレベルの差異で押し切れる相手だったのであり、劇中で弱くてもレベルの差を覆す「努力」をしたのは、ミヤやエリオなどの守られる対象のヒューマンぐらいでした。
 また、8巻では、ライトに一度差別的な言動をしたものの、そのあと謝罪し、別の事情で心酔すると言えるほどの味方になったヨツハが現れています。問題はその妹が、やはりレベルの低いながらも、「努力」はある程度ライトの部下のカオスに認められていることです。
 その意味で、ライト達よりレベルの低い悪役や味方の「努力」を認めるのが、どのように影響するか分かりません。

嗅覚とデジタルと数値化と魂

2024年5月15日閲覧

 最近私は、生命と機械の境目について個人的に調べていたのですが、1つの要素として、生物の感覚を機械で再現出来るかに注目しました。
 視覚と聴覚はすでに再現され、触覚も物理的なものなので近いものがあるようですが、味覚と嗅覚は化学的なものだそうです。
 味覚はまだ、甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の5通りの受容体で決まるので機械で再現しやすいものの、嗅覚は何百もの化学的な受容体があり、機械化がもっとも難しいとされます。
 それと関連があるか分かりませんが、『新世紀エヴァンゲリオン』と『シン・ウルトラマン』では、匂いと魂とデジタル化で繋がるところがありそうです。
 『新世紀エヴァンゲリオン』では、人間の女性の魂を宿した人造人間のエヴァンゲリオンを、その人間の子供が操縦するようです。
 碇シンジは、母親のユイの魂の宿る初号機に乗り、ユイの分身だと言える綾波レイは、魂の不明な零号機に乗ります。
 シンジとレイが実験で機体を交換したとき、シンジは「綾波の匂いがする」と言い、別のパイロットのアスカに「変態じゃない?」と言われました。
 また、「魂のデジタル化は出来ません」という台詞もあります。
 一方、『エヴァ』と関連のみられる『シン・ウルトラマン』では、「匂いは数値化出来ない」というくだりがあります。
 ウルトラマンの巨大化と同じ基礎原理のベーターボックスで、人間が一度巨大化させられ、それが兵器として政府に渡されるのを危険だとして防ごうとした主人公達は、ベーターボックスに、被験者の情報が残っていれば追いかけられるとしました。
 それについて、「数値化された身体情報は外部から特定出来ない」とされましたが、匂いだけは例外だとして、人間の残り香を嗅いで調べました。
 ベーターボックスを持つメフィラスはそれで妨害されたのを「変態行為」と呼びました。
 デジタル化と数値化も微妙に異なりますが、『シン・ウルトラマン』で匂いの数値化は出来ないことと、『エヴァ』で魂のデジタル化は出来ないこと、魂と匂いの関連が示唆されることは、何か繋がるかもしれません。
 『源氏物語』では、人間の魂が生霊として抜け出て、その行き先の匂いを持ち帰り体に残るという描写がありますから、古来宗教的に、魂と匂いは関連付けられ、現代でも匂いの機械化が難しいことと繋がるかもしれません。
 『第三の脳』によると、人間の神経は細胞の1つ1つがオンとオフの状態を切り替えるデジタル情報を伝え、皮膚も「第三の脳」として、光や音に反応する情報を伝える媒体として、ケラチノサイトという部分がやはりオンとオフのデジタル情報を扱うようです。
 『生命はデジタルでできている』によると、生物の情報のうち、DNAは4通り、たんぱく質は20種類のアミノ酸の組み合わせで決まり、中間がないのでデジタル信号だそうですが、化学反応自体はアナログだそうです。アナログ回路でデジタル信号を扱う意味で、生命は人工物より進んでいるとありました。
 皮膚、神経、五感、アナログ、デジタル、嗅覚から、これらが繋がるかもしれません。

まとめ

 今回は統一性のないものの、様々な情報から考える余地がありました。

参考にした物語

小説

梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
小林泰三,2004,『AΩ』,角川ホラー文庫
小林泰三,2008,『天体の回転について』,ハヤカワSFシリーズ(『灰色の車輪』)
明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2024年5月15日閲覧
明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン
瀬戸内寂聴(訳),2007,『源氏物語』,講談社

漫画

作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社
山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2020-(発行期間,未完),『真実のカウンセリング』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2014(発行),『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2010-(発行期間,未完),『マンガで分かる心療内科』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画), 2017,『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2015-(未完),『モテるマンガ』,少年画報社
臼井儀人,1992-2010(発行期間),『クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
臼井儀人&UYスタジオ,2012-(発行期間,未完),『新クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
船野真帆,2021-2022,『歳と魔法はキス次第』,講談社
蛇蔵,2014-2016,『決してマネしないでください。』,講談社

特撮オリジナルビデオ

小原直樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),2001,『ウルトラマンネオス』,VAP

特撮映画

樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝
石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映

テレビアニメ

庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
臼井儀人(原作),ムトウユージ(監督),川辺美奈子ほか(脚本),1992-(未完),『クレヨンしんちゃん』,テレビ朝日

アニメ映画

京極尚彦(監督),高田亮(脚本),2020,『クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』,東宝

参考文献

田口善弘,2020,『生命はデジタルでできている:情報から見た新しい生命像』,講談社
白倉伸一郎,2004,『ヒーローと正義』,子どもの未来社
岸見一郎,2013,『嫌われる勇気』,ダイヤモンド社
岸見一郎,2016,『幸せになる勇気』,ダイヤモンド社
傳田光洋,2007,『第三の脳 皮膚から考える命、こころ、世界』,朝日新聞社
丸山宗利,2014,『昆虫はすごい』,光文社新書
中島岳志,2018,『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』,スタンド・ブックス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?