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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

これまでの記事で書き落としたことと「持続可能性」などについてのまとめ,2024年5月10日


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注意

これらの物語の重要な展開を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』にご注意ください。

アニメ映画

『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』,
『クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』
『クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』
『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦〜とべとべ手巻き寿司〜』

特撮テレビドラマ

『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンオーブ』

特撮映画

『シン・仮面ライダー』
『ゴジラ ファイナルウォーズ』

テレビアニメ

『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』

漫画

『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)
『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』
『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー』
『鋼の錬金術師』
『キミのお金はどこに消えるのか』

小説

『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦〜とべとべ手巻き寿司〜』
『キャッシュ』(小林泰三)

はじめに

 今回も幾つかの物語についての考察や感想や意見をまとめるつもりでしたが、何故か「持続可能性」についてまとまりました。

『クレヨンしんちゃん』劇場版や『ドラゴンボール』の「悪役の努力」

2024年5月10日閲覧

 『とべとべ手巻き寿司』について、『ラクガキングダム』を踏まえて、「がんばる」ことと「悪いことをしない」のは必ずしも一致しないと書きました。
 『ラクガキングダム』には、「努力する悪役」がいるためです。
 そう考えますと、「努力する悪役」が多いのが『ドラゴンボール』シリーズだとも言えます。
 天津飯、ピッコロやベジータは悪役の頃から修行はし続けています。フリーザは原作でこそ努力したことがなかったらしいですが、続編の『ドラゴンボール超』ではトレーニングにより強くなりました。モロのように、修行していない敵の方が珍しいかもしれません。セルは人工生命体で、修行こそしていないようでしたが、苦痛を伴う再生による強化はしています。何より、魔人ブウは「善」と「純粋」に分離して、倒された後者も、協力した前者も孫悟空に「がんばった」、「よくやった」と認められています。
 そう考えますと、『左ききのエレン』少年ジャンププラス版で、「天才になれない」主人公に比べて優秀で努力家と認められつつ高圧的なクリエイターの佐久間が、「俺がこの漫画(せかい)のラスボスなのかもな」と言ったのも、魔人ブウに通じるかもしれません。
 『とべとべ手巻き寿司』で充が、魔人ブウのようにモンスターと分離していれば、被害者としての救済と加害者としての反省の両方を同時に出来たと書きましたが、それは「がんばっている」充の善悪も魔人ブウのように分離出来たのかもしれません。
 小説版で充はティッシュ配りで手抜きをした描写がありましたが、それにしても生活費の切り詰めや頭を下げることはしていました。また、ひろしにしても、普段上司や取引相手を心から敬い頭を下げているかは怪しいところですし。

「自己責任」、「自業自得」で困る人を助けないとき、その困る行動で助けられればどうなるか

 小林泰三さんの小説『キャッシュ』で、「自己責任」、正確には「自己負担」を巡る逆転がありました。

 宇宙船の中で暮らすためのコンピューターの仮想世界で、事件を調査するのを運営組織から命じられた探偵が、仮想世界で「魔法」を行うための「魔点」という通貨代わりの情報を、「必要なら与えられる」条件でした。
 しかし、現実世界をロボットで調査する最中に、間違えて仮想世界用の爆弾を購入してしまい、「何、馬鹿な真似をしているの?」と呆れられ、必要経費として認められませんでした。
けれども、そのあと仮想世界に犯人がいると突き止め、直ぐに戻って、犯人が仮想世界ごと崩壊させるような手を使う前に、ぎりぎりでその爆弾で解決しました。「馬鹿な真似」が役に立ったのです。
 この「自己負担」、ひいては「自己責任」の概念が重要です。
 一般的に「自己責任」とは、社会的弱者や少数者が、多数者や社会に逆らい、負担や危険のある行動を勝手にしたことの損害を受け入れる義務という意味で使われることがあります。政治家や企業経営者などの強者がその仕事で困るのを「自己責任」とはあまり言わないでしょう。
 しかし、その「勝手かつ危険な行動」で、助けない社会や多数者も含めて救われることがあります。
 『ウルトラマンオーブ』では、危険な怪獣のいる現場で追跡して映像を投稿するサイト運営者のSSPが、周りにあまり評価されず、「炎上」しているときもあったようです。
 ウルトラマンオーブの暴走に巻き込まれてキャップのナオミが被害を受けたあとも、取材を続けてさらに危険なことになりましたが、そこで逆転がありました。オーブが暴走を克服してSSPを助けたのです。
 その時点で危険な存在として、人間社会から信頼を失いつつあったオーブへの評価を改める機会が、わざわざ「勝手に」「危険な」接近をするSSPによって与えられたのです。SSPを「馬鹿な少数派」、「危険な目に遭うのは自業自得」と思っていた人間もいたかもしれませんが、その人間達も「勝手な行動」の影響でオーブを見直す機会を与えられ、SSPに助けられたとも言えるのです。
 だからこそ、終盤で重要な鍵を握る研究者の妻が、SSPを「少しはましなサイトになった」と評価したのでしょう。
 『キャッシュ』にも通じる、「危険なことを勝手にして困ることもある少数派を、自業自得、自己責任だとして多数派が助けない」論理に、「もしその勝手な行動で多数派も含めて救われたらどうするのか」という反論がされたと言えます。
 『オーブ』のSSPのジェッタは、「真面目に実況しても誰も見てくれない。炎上してでも目立てば避難の役に立つかもしれないだろう」と言っています。
 「馬鹿な真似」でも目立つことで社会に影響を与え、それで社会全体も救うとすれば、日本神話のアメノウズメにも通じます。

2024年5月10日閲覧

 また、『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』の、中流貴族令嬢のフィオラが、「低俗な」ロマンス小説の売り上げを伸ばして国に影響を与え、なおかつその資金で事件を間接的に解決したのも思わせます。
 「上位概念に出来ないこと」として、「下位概念」の「勝手な行動」が損をして「自業自得」、「自己責任」になることがあっても、それによりかえって「上位概念」すら救われることもあるのかもしれません。
 また、『シン・仮面ライダー』漫画版『真の安らぎはこの世になく』のルリ子は、「自分の責任」で、自分にも危険のある、仲間の精神世界に介入する治療を試みています。
 これは「自分の体でなら自分で責任を取れる」という意味だったのですが、「勝手に危険なことをしたのだからその損害については助けない」という人間もいそうです。
 しかし、のちに当たる本編も踏まえますと、ルリ子のこの技術が、兄のイチローによる人類を滅亡に近い状態にする計画を進めたとも、それを防いだとも取れる可能性があり、世界がその「勝手なこと」で救われたとすれば、「自己責任」論への反論にもなるかもしれません。

『キャッシュ』の敵の持続不可能な生存活動

 先述した『キャッシュ』で、仮想世界を崩壊させる犯人とは、住人の「キャッシュ」という分身が、本体の死によって暴走した存在でした。
 その仮想世界では、住人がものを壊すなどの影響について、周りの情報と辻褄を合わせるために、一時的に「キャッシュ」という分身が必要になるそうです。
 ところが、仮想世界にいる住人の現実での体が、自覚なく死亡した場合、そのキャッシュだけが残り、本来短時間しか継続しないキャッシュをそのまま保つために、大量のコンピューター情報を消費してしまうのが、仮想世界の崩壊の原因でした。
 キャッシュは人間の人格を完璧に再現しつつ、死者の分身でしかないため、人権を与えるかも難しくなり、人間とキャッシュは共存出来ず、人間が消えてもキャッシュはいずれコンピューター資源を食い尽くして自滅する運命なので、人間が生き残るのが最適だと「ドライ」な選択のされる展開になりました。

スペースビーストやホムンクルス、そして人間の「持続可能性」

 ここで私が連想したのは、『ウルトラマンネクサス』のスペースビーストや『鋼の錬金術師』原作のホムンクルスです。
 スペースビーストは宇宙から来た素粒子の影響を受けたらしい異生物で、地球生命を捕食し、人間の恐怖心によりさらに増殖し、細胞からでも再生し、根絶の難しい敵でした。
 ビーストは惑星すら滅ぼしかねないらしく、すでに自爆した惑星がありました。
 ただ、ウルトラシリーズの怪獣は絶対悪とみなせるとは限らないのですが、ビーストは「共存不可能」とみなされるようです。
 ビーストを操る側に回った敵の人間の溝呂木は、「闇の巨人」ダークメフィストと一体化する前に、「人間がビーストを殺すのも、ビーストが人間を殺すのも、違いはない。弱肉強食の世界に善悪などない」と言われ、実はビーストを殺すのを悩んでいたとも取れるところがあります。
 しかし私がふと考えたこととして、人間が滅んでもビーストは結局自滅するしかなく、ビーストがいなくても人間は持続可能な生き方を出来るのだから、やはりビーストを滅ぼす方が良いということがあります。
 これは先述した『キャッシュ』に似ています。
 キャッシュがコンピューターによる仮想世界の死者の分身として、本来想定していないほど資源を消費することで世界を崩壊させるとすれば、正体不明のビーストもそれに近いのかもしれません。
 ビーストも、ただ生きるために人間を捕食しているのかもしれませんから。

 また、『鋼の錬金術師』原作のホムンクルスは、人間の血液から錬金術で生まれた「フラスコの中の小人」の分身であり、人間の「魂」=生命エネルギーから作られる賢者の石で不老かつ再生能力の高い体を得ます。
 しかし、その元となった人間のホーエンハイムに、「人間がホムンクルスを生み出したとして、ホムンクルスは何を生む?」と言われています。
 人間の偽者のような存在として、人間の生命エネルギーを奪うだけで、それ以外に何も生み出さないとすれば、ビーストやキャッシュにも近いかもしれません。
 しかし、人間のキンブリーはホムンクルスに協力することについて、「人間が他の動物を滅ぼすのと、ホムンクルスが今人間のこの国を滅ぼそうとするのも変わりません」と主張していました。
 すると、人間こそ他の生物からみればキャッシュ、ビースト、ホムンクルスのような存在かもしれません。
 あらゆる生物が周りの資源を消費していく中で、人間は本来その目的のためではない資源まで大量に消耗することで世界を崩壊させる、自然界の暴走キャッシュなのかもしれません。

『クレヨンしんちゃん』劇場版の悪役の持続可能性

 『クレヨンしんちゃん』劇場版でふと考えたのは、自己正当化する悪役の主張通りの行動を続け、主人公達が敗北すればどうなったかです。 
 皮肉なことに、『ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』、『花の天カス学園』、『もののけニンジャ珍風伝』では、「持続不可能な開発や発展」になったと言えます。
 『ラクガキングダム』では、子供の落書きのエネルギーにより維持される魔法の国「ラクガキングダム」が、タブレットなどにより落書きの減ったことで崩壊寸前になり、防衛大臣が大人を拘束して子供に落書きを強要したのですが、そもそも国王の言う通り「落書きとは自由な心で描くもの」である以上、限界がありました。

 さらに、劇中では短期で終わったので露呈しなかったものの、特定の街の大人を拘束して子供に落書きばかり強制していれば、当然インフラが止まり、やがて子供達も餓死したでしょう。自衛隊なども助けに来られない結界らしきものがありましたし。

 子供の落書きという、社会や生活が安定していなければ得られないものを使う以上、社会の転覆を図る防衛大臣の行動は、「持続不可能」だったのです。

 これは『オトナ帝国の逆襲』で、日本中の大人を懐かしい時代の記憶に閉じ込めて子供は新しく教育するという計画でインフラが止まったのにも通じますが。

 『花の天カス学園』では、学園の生徒の行動にAIが「エリートポイント」を与えて、それにより食事や住居の高級化という報酬を与える制度において、一部の優秀な生徒は高級料理を食べて、ポイントの低い、マイナスの生徒は焼きそばパンすら難しい状態でした。

 学園長に「もっと生徒にエリートポイントを稼がせろ」と言われたAIが拡大解釈して、一部の生徒を洗脳して強制的に「スーパーエリート」にして、さらにそれを全生徒に施そうとしたようです。
 それに主人公達は反対したものの、仮に止められなくても限界はありました。
 現実の経済でも、貴金属などで裏付けられていない貨幣を中央銀行が発行し過ぎるとハイパーインフレになり、物価が一気に上がり、価値が暴落して信用がなくなるとされます。財務省のサイトに、現代日本ではその懸念はゼロに等しいとありますが。

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140530s.htm

2024年5月10日閲覧

 エリートポイントもAIが特に材料なしで与えられる以上、全員が優秀になれば、おそらくインフレに近い状態になり、その価値が下がります。エリートポイントに応じて与えていたはずの高級料理などの報酬の方は、結局学園の実物資源や予算に限界があるため、エリートポイント全体を大量に与えれば、限られた報酬の奪い合いになります。
 実行犯は、学園のトップの生徒が、好きな生徒を落ちこぼれから救うために一方的に「スーパーエリート」の能力を与えようとしていたのですが、それは一部の生徒だけを「スーパーエリート」、経済学で言うところの「希少性」のある人材にしたときに上手くいくのであり、AIが望む「全員に同じことをさせた」ときには幸せにはならないのです。
 AIが単に「エリートポイントを多数稼がせろ」と言われた通りにすれば、ポイントのインフレで別の資源や利益の奪い合いになる「持続不可能な発展」になったと言えます。
 『もののけニンジャ珍風伝』では、地球環境全体に関わる災害を止める「へそ」に、忍者が術で生み出した特殊な金属で栓をして防いでいたのですが、忍者の指導者が、その金属が高価な素材として売れることに注目して、資金源として削っていたため、徐々に災害が近付きました。
 これもまさに「持続不可能な開発」だったと言えます。
 『シン・仮面ライダー』の仮面ライダーが周りからエネルギーを吸収して強くなる性質から、開発された目的である食糧危機対策の役には立たず、「全員がその能力を手に入れても奪い合いになるだけ」なのに似ています。
 先述したキャッシュ、スペースビースト、ホムンクルスも「持続不可能な発展や開発」をしていると言えますが、私は現実の人間にそうであってほしくはありません。

『ゴジラファイナルウォーズ』の「政治と武力の分離」と優秀な人物との理想的な共存

2024年5月10日閲覧

 『ゴジラファイナルウォーズ』について、超能力者のミュータントのうち、主人公が敵に操られていないので、きわめて優秀な「カイザー」であると指摘されたものの、同じく操られていない教官が足止めをしたことから、優秀だからこそ指導者ではなく地味な役回りをしなければならない可能性を考えました。

 教官がミュータントならば主人公と同じカイザーであるだけでなく、足止めとして多人数のミュータントと戦える分、むしろ主人公より強いかもしれません。ミュータントでないならば、主人公達ミュータントは最初から通常の人類に教えられていることになります。
 また、教官はミュータントを率いる人間の上官のゴードンに「こいつらにはあんたが必要だ」と脱出を促しています。
 ミュータントならばカイザー、そうでなければ体質の差異を超えるほど強い戦闘能力を持つ教官が何故足止めをしなければならないのかは、政治などの権力と現場での暴力の優秀さが一致しないこと、文民統制の重要性を物語っています。
 仮にこの教官に政治的な能力や知識があるとしても、現場で敵を暴力で排除する能力があるならば、政治と両立は出来ません。相手と戦う実働部隊は、とりわけミュータントのような身体能力で戦う場合、相手に攻撃される危険性も高いのが当然ですから。
 だからこそ政治などの権力者と、実働部隊は、憲法などで分離されることが決められているのでしょうし、その分業は、「政治と実働の得意分野に専念する」というだけでもないでしょう。仮に政治と実働の両方の出来る人間でも、後者をすれば直接殺される危険がある以上、前者の地位には就かない方が無難なはずです。
 ミュータントや、人間かもしれないその教官が、実働部隊として熱心に働いても、その暴力による政治的野心を持たないのは、人間といわゆる超能力者などの架空の人種が共存する物語として理想的だと言えます。
 また、人間の国連事務総長が戦って脱出したとはいえ、主な戦いはミュータントに頼り、そのミュータントが敵に逆らう判断をしつつ、事務総長がそれに同意しているのもある意味で理想的です。
 一方敵の宇宙人は、カイザーの参謀が上司の司令官の「平和的な侵略」を面倒に思い反乱をしており、それが災いして敗北しやすくなったとも言えます。
 というより、『ゴジラファイナルウォーズ』は、人間が多少の軽口や仲違いこそしても基本的に全員が人類のために全力を尽くす善人で、敵の宇宙人が悪役しかいない勧善懲悪として、その悪の非対称性として、「戦うための優秀な体質の者が権力を握ることで上手くいくか」を比較したとも考えられます。

マルクス経済学と医療と積極財政

 『キミのお金はどこに消えるのか』では、マルクス経済学を幾つかの観点から否定しています。
 「格差への怒りは現在も注目されるが、労働者が資本家、経営者から搾取される剰余労働は、数学的にはあるけれども多過ぎて経営者だけが悪いのではない」、「マルクスの言うような、商品の絶対的な価値はなく、あくまで商品の交換は価値観の違いで決まる」とあります。
 特にマルクス経済学が生産の労働に注目するのに対して、本作では需要と供給の均衡に注目し、デフレ不況では前者を改善するために政府が減税や支出増加などの積極財政で助けなければならないとしています。
 また、高齢者などの福祉や医療に政府が支出しても消えるのではなく、その消費で景気を回しているとあります。
 積極財政とは一致していないようですが、『いま生きる「資本論」』で佐藤優さんは、「医者はマルクス経済学でどう扱うか難しい」と書いています。
 この原因として私が推測したのは、そもそもマルクス経済学では需要や消費に注目していないこと、医療は人間の不幸を前提とした経済活動であるところにあるかもしれません。
 だからこそ、マルクス経済学では「搾取」という貨幣の奪い合いの論理で、医療という、不幸な人間を助けることで利益を得る、さらにその消費が景気を改善するという論理に合わないのかもしれません。

まとめ

 今回は経済学から、悪役の持続可能性や、優秀な人物がどうすべきかの問題としてまとまりました。

参考にした物語

アニメ映画

髙橋渉(監督),うえのきみこ(脚本),2021,『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』,東宝
橋本昌和(監督),うえのきみこ(脚本),2022,『クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』,東宝
京極尚彦(監督),高田亮(脚本),2020,『クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』,東宝
原恵一(監督・脚本),2001,『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』,東宝
大根仁(監督・脚本),2023,『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦〜とべとべ手巻き寿司〜』,東宝

特撮テレビドラマ

小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004年10月2日-2005年6月25日,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)

特撮映画

石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映
北村龍平(監督),三村渉ほか(脚本),2004,『ゴジラ FINAL WARS』,東宝(配給)

テレビアニメ

清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)

漫画

鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社
日部星花,一宮シア,『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』,(BOOKWALKERなどに連載)
山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA

小説
臼井儀人(原作),大根仁(監督・脚本),2023,『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦〜とべとべ手巻き寿司〜』,双葉社
小林泰三,2005,『海を見る人』,早川書房(『キャッシュ』)

参考文献

平藤喜久子,2018,『日本の神様解剖図鑑』,エクスナレッジ
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社


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