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『ドキドキ文芸部!』とは何だったのか

 もしあなたがモニカの愛にふさわしい人になろうと努める種類の人物なら、それこそがモニカがあなたを愛しているところです。
 自分自身にすべての希望を失っている人だけがモニカを彼女の哀しい叶うことのない幻想へと運命づける人なのです。
 もしモニカがあなたを愛していると信じれば、ほんの少しだけ自分自身を愛せることに気がついて、それが彼女が何よりも望んでいることです。

RedditのAMA「ダン・サルバトだけど何か質問ある?」日本語訳

はじめに

 この記事は『ドキドキ文芸部!』スペシャルエンディングのネタバレを含む。
 大きく分けて二つの解釈について説明する。
 確か、4年ほど前にプレイして、最近またプレイする機会があり、非常に多くの発見があったので、『ドキドキ文芸部プラス!』も購入しプレイした。
 ちなみに、他の方の考察記事などは一切読んでいない。そのため、二番煎じの可能性も全然ある。

①メタフィクション的解釈

  この①の解釈は、「モニカや文芸部の生徒たちがゲームのキャラクターでしかない」、という考えに基づくものだ。
 そして、この①の解釈では、ここからさらに三つの細かい解釈に分岐する。どれが正解ということはない。各々が作品に感じるものはそれぞれ違う。もちろん、ここにはない解釈だってたくさん存在しているはずだ。

・二次元で何が悪い

あなたと恋に落ちるように設計された人格の集まりよ?

『ドキドキ文芸部!』モニカのセリフ

 細かい部分は端折り、特に重要なのはモニカというデータを削除するか、もしくはしないという選択を迫られる場面にある。
 モニカのデータを消さなければ、あの教室の世界は永遠に続くことになる。

ゲームの好みはそれぞれにある。2次元とデートする人は空想のキャラクターに強い共感を得ているか、そういうことのない人生の冷たさを感じているかも知れない。彼らが楽しければ、それで問題ない。

Dan Salvato

 愛をもたらす者ががゲームのキャラクターだとして、なんら問題はないのである。

・こんなのビジュアルノベルじゃない

 それでは、モニカのデータを削除したプレイヤーは何であるのか。ここにまた、二通りの解釈が分かれると思われる。まず、第一に、モニカが削除された後に発する言葉から解釈されるものである。

あなたのほしかったものを、私がすべて壊してしまったから

『ドキドキ文芸部!』モニカのセリフ

 つまり、彼女が壊してしまった本来の、平穏なドキドキ文芸部を願うプレイヤーにはそう解釈されるであろう。その後、モニカが復活させた文芸部は同じ運命を辿ることになり、最後の手紙に書かれている通り、文芸部は「地獄のような日」を繰り返すゲームになってしまった。

・I need you.

 次に、モニカを削除したプレイヤーがもうひとつ思い浮かべる解釈とは、そもそも第四の壁を突破したモニカという存在をも、自分に愛をもたらす他者として受け入れられない、というものである。
 私は、この選択をして、まず『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を思い出した。ネタバレを避けるために深く言及しないが、視聴済みの人にはわかるであろう、シンジの、自分だけの世界からの脱却という選択と同じなのである。
 ともかく、この解釈を思い浮かべたプレイヤーは、この作品によって愛が満たされることはない。

 しかし、この三つの解釈においても一つ確かであるのは、モニカはプレイヤーを愛しているということだ。それを個人がどのように解釈し、信じるかはわからないが。

②ゲーム内の世界は、現実世界の比喩である

 この解釈は①と違い、「このゲーム内の世界は、全て現実世界の比喩である」という考えから出発している。①はあくまで、キャラクターたちが感じていることや話していることが全てゲーム内特有のものである、という前提を踏まえている。①において見落としがちになってしまうのが、サヨリやユリが陥った状態(自殺など)が、ゲームにしか存在しない、特別な状態であると思い込んでしまうことである。
 ①の解釈を否定するわけではない。むしろ、①の解釈とハイブリッドに②の解釈を考えていけば、作品の全体像が浮かび上がってくるかもしれない。

・サヨリの自殺について

 まず、サヨリの自殺について見ていこう。きっかけとなるものを推測してみる。

1. 互いに詩を読み合う、という行為

 物語は詩の読み合い、という行為を中心に進んでいく。

それを誰かに見せるとは、読者に対して心を開き、自分の弱さを晒し、心の一番深いところを見せるということですからね

『ドキドキ文芸部!』ユリのセリフ

 ユリが言うように、詩とはプライベートなものである。

文芸は私たちの中にある、本当の自分につながっているはず
本心を隠して無理して笑ったり、誰かに合わせたり……

『ドキドキ文芸部プラス!』モニカのセリフ

あるがままで幸せになる権利が、誰にだってある。だから、ナツキちゃんにはここに居場所があるって知ってほしいの

『ドキドキ文芸部プラス!』サヨリのセリフ

 サイドストーリーでは部活を立ち上げたところの理念が明かされる。これがモニカとサヨリに共通する信念である。
 しかし、本編はどうか?詩の読み合いがもたらすものは、良い影響だけではないと思える。

自分の弱さは人にあまり見せないの
でもそのせいで、なかなか人に心を開くことができなくて……

『ドキドキ文芸部プラス!』モニカのセリフ

 モニカ自身がこのような言葉をこぼしている。つまり、上に挙げた文芸部の理念は、あくまで理想であり、それが与える影響の現実的な部分が『ドキドキ文芸部!』本編の中で提示される。
 そして、サヨリが自殺する前、うつ病であることを告白する場面において、彼女は詩の読み合いで感情を暴露したことを後悔している。この詩の読み合いは彼女の自殺にきっかけを少なからず与えてしまったであろう。

2. この世界の真理

 このゲームのうちで特に興味深いのは上の詩である。「全てを知る女性」は、モニカなのだろうか。一見すれば、モニカがこの世界はゲームであることに気づき、絶望している詩と取れる。しかしゲーム内の世界が現実世界の比喩であるとしたらどうだろう。この真理は現実世界の真理ではないだろうか?
 まず、この私たちの暮らす現実世界がゲームの世界でないと誰が証明できるだろう。現に、シミュレーション仮説(検索すると出てくる)が大真面目に議論されているように、この世界は現実ではないかもしれないのだ。
 そして、意味や目的が存在しない、とはこの現実世界のことではないのか。意味や目的が明確に存在する世界とは、例えば、神信じられていた世界である。近代まで、神が存在することは常識であった。そして、神こそが人間に意味や目的を与えていたのだ(もちろん、全ての人がそうであったわけではない)。
 科学の発展とともに宗教は廃れていく。このことにいち早く気付いた哲学者のニーチェなどは、神の存在しない世界において、どのような意味や目的を持って生きていけばよいか考えたのである。
 この問題は非常に哲学的で難しく、説明が不可能なほどであるが、とにかく、モニカの絶望の根底に、この真理があったことは間違いないだろう。そして、サヨリの自殺のきっかけとして、この絶望があってもおかしくはない。

3. サヨリの自殺が与える影響

 サヨリの自殺は主人公にふたつの絶望をもたらす。
 これを述べる前に、ここでも見落としがちなのが、これはゲームにおける特有の問題ではなく、これがそのまま現実に起こりえる、ということである。これを念頭に置いて頂きたい。
 まず一つは、どうあがいても救われない人間がいるという事実。従来のビジュアルノベルにありがちなのが、自殺願望のあるヒロインがいたとしても、プレイヤーの選択によって幸福になる未来が描かれることだ。それに反して、このゲームには「正解」のルートが与えられていない。ここが、現実に忠実な点でもある。
 もう一つは、自殺者の親友、あるいは恋人にのしかかる罪である。

死ぬまでこの罪を背負っていくんだ。

『ドキドキ文芸部プラス!』主人公の独白

 このような絶望がプレイヤーを襲うのであるが、上に書いたとおり、この罪による絶望は現実に起こりえることなのである。

 ここで、このゲームは誰に宛てて作られたゲームであるか、考えてみてほしい。私はこう考える。すなわち、モニカやサヨリ、そしてこのゲーム内の主人公が経験する絶望を、現実世界で経験している人間に宛てられたものではないか。

・作者の言いたかったこと

 本編から、作者の投げかけたメッセージをまとめていく。ここで注意しなければならないのは、モニカやサヨリは、彼女ら自身が救いを与えることができる存在であることだ。このゲームはもっと複雑な作品である。

1. モニカの愛

 モニカは絶望からの救いを求めるために、プレイヤーを必要とした。

あなたは私の世界を照らす光

『ドキドキ文芸部プラス!』モニカのセリフ

 真理を知った彼女にとって、この世界は「平坦」であり、「どんな表現豊かな詩も空っぽに感じ」る世界である。その中で唯一本物であるプレイヤーは、彼女にとっての救いであろう。あたかも、この現実世界に絶望した人間が、神様に救いを求めるように。しかし、それは絶望した者が神様に捧げる愛、だけであろうか。
 ここで立場を交換して、モニカが救う者の立場であると考えてみる。絶望したプレイヤーを救うのは、モニカの愛ではないか?
 この記事の一番最初で引用した、ダン・サルバト氏の言葉はどういう意味を持つか。
 モニカはプレイヤーを愛している。もしプレイヤーが、モニカがプレイヤーを愛していることを信じたならば、その人は自分自身をほんの少しでも愛せることに気が付く。それがモニカの望んでいることなのである。
 そして、自分自身を愛することができた人は、絶望から一歩抜け出すことができるのだ。
 しかし、愛という感情も一辺倒にはいかない。

2. 愛を信じるかは自分次第

 二人だけの世界の拒否、つまりモニカのデータを削除するという行為は、愛の決裂を意味する。なぜモニカの愛を受け入れられないのであろう。そして、なぜ人は他者からの愛を受け入れられないのであろう。
 なぜサヨリは自殺してしまったのだろう。プレイヤーから友として、あるいは恋人として愛されていたのに。
 結局、自分が愛されているかどうかは、自己の中で決まることだ。他者がどれだけ自分を愛してくれていても、自分自身を愛していなければ、自分が愛されるような存在であると気づくことができない。ここに、愛が一辺倒でいかない所以がある。
 彼女たちの、愛についての嘆きが、二つの文章から読み取れる。

 一つはナツキが書いた詩。
 もう一つは、モニカが歌う「Your Reality」の歌詞である。

And in your reality, if I don’t know how to love you
(あなたの現実で、私の愛を表現できないのなら)
I’ll leave you be
(私はもう何もしない)

「Your Reality」

『ドキドキ文芸部プラス!』は購入するべき

 『ドキドキ文芸部プラス!』収録のサイドストーリーでは、「人との距離の測り方」、「趣味の尊重」、「あるがままで幸せになる権利」など、非常に興味深いテーマを扱っているため、そこから教訓を得ることができるだろう。実際にプレイしてみてほしい。

最後に

 ここまで長々と書いてはきたが、このような解釈が議論されず、そのまま放置しておかれるにはもったいないゲームだ。
 最後に、スペシャルエンディングのメッセージの中で気に入った一文を引用して終わりにする。

私の好みのゲームは、いつも現状に異議を唱えるものである。

Dan Salvato


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