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書くことは、手放すこと。

 noteをはじめて2年ほど。
大きなブランクもあったけど、これまでいろんなことを書いてきた。


記事を書くときに思っていたことはそれぞれで、

小説家になりたいなら毎日200文字書くことが訓練になる

とか

思っていることを言葉にする練習

とか

忘れないために・・・

とか

感動したから描きたい!

とか。


たいしたネタがなくても、表現することに意味がある。
とにかく書こう!

と、せっせと文字に起こしてきた。
自分なりに試行錯誤しながら、結構楽しんで書いていたと思う。




 あれこれ書いてみると、「書く」という行為について、その本質がより深く見えてきたような気がする。

とりわけ、衝撃だったのが、「書くことは、手放すこと」という気づきだった。




 いくつかの思い出を言葉にしていく中で、自分の中の変化に気がついた。


書いた出来事の記憶が、以前より、ぼんやりしている


 日常生活の中で、ふとした瞬間。
それまでどこかあたりまえに思い出していた人生のいくつかの場面が、どうしたことか。
うまく思い出せない。



 この感覚は言葉にするのがなかなか難しい。


思い出す回数が減った、みたいな単純なことじゃない。


 良いことも悪いことも、書き出すことでいつのまにか私の中から薄れていった。
なんだか急に自分が「空っぽ」になったような心地がした。




「嫌なことがあったら、紙に書き殴って破るとすっきりするよ」

と誰かが言っていたのを思い出した。
それと似たようなことかもしれない。

 トラウマめいたものから解放されるのはいい。
思考の断捨離みたいな。
自分の中に新しいスペースができるような。
何かにとらわれることなく、循環してる感覚。



 一方で、大事な思い出までうまく再現されなくなったのには困惑した。
思い出が一気に遠のいてしまったようだった。

普段は忘れていても、そこに変わらずにあることを知っていた何か。
いつでも取り出せるようにしていた何か。
私を構成していたもの。



大事にしまっていたはずなのに。
どこにいったんだろう・・・
いつのまにか忽然と消えてしまって見つからない。


代わりに「文章」としてここにあるけれど…。




戸惑いとともに、怖い気持ちがした。

それまで、いろんな体験を記録したくてがむしゃらに言葉にしてきたけれど、そんな気持ちになったことはなかった。



 言葉にすることにまつわる畏怖の念を初めて抱いた。




 一度文字にしてしまうと、もう同じようには思い出せない。
私は自分でも知らない間に、大事にしたかった記憶を壊してしまったような気がした。
書いてみてしばらくして、あれは書くべきことではなかったのだ、と直感的に思った。

なにか取り返しのつかないことをしたんだと思った。


 ただ単に年齢を重ねて、昔ほど鮮明に思い出せなくなったというだけのことかもしれないし、文字として記録していなければ、もっと忘れている可能性だってあるけれど。

なんとなく喪失感に襲われる。

私の考えすぎかな。




 けれども読書をしていく中で、これは私だけが感じていることではないことが、程なくしてわかった。



 ライターとして活躍されているさとゆみさんの『書く仕事がしたい』という本を読んだ。

ライターになりたい人に向けて、仕事をとる方法や、金銭的なこと、ワークライフバランスなどの内情が書いてあって、とてもおもしろい。

 この本の最後の方に、こんな章があった。

書くとは世界を狭くするということ

 ここには、私がそれまでモヤモヤと考えていたことを言い当てるように、書くことで何が起きるのかが書いてあった。

 父が亡くなったあと、父との思い出を言語化しました。
書く前から、それをすることによって、「この先、父のことを思い出すときは、私が書いた文章のように思い出すだろうな」という懸念を持っていました。
 つまり、書いてしまうことで、私の経験が固定されてしまうだろうと思ったのです。「私はこんなふうに感じた」と書くことで、それ
以外の感情は忘れてしまうだろうと思いました。


 『チップス先生、さようなら』というイギリスの作家、ジェイムズ・ヒルトンの小説にも…。
 パブリックスクールに長年勤める老教師が、今まであったことを一冊の本にまとめようと試みている。
筆が進まない理由にこんなことが書いてあった。

書き物をすると心身の両面が疲れてしまうということだった。また紙に文字として書きつけると、いきいきとしていた思い出が輝きをあらかた失ってしまうことも理由だった。




 やっぱりそうなんだ。


書くという行為には、思い出を固定し、色褪せさせる作用がある。

私にとってはそれが、「手放す」ということに感じられたらしい。

 ずっと心にしまっておきたい思い出も、自分でもなかなか理解できない心のしこりも、書くことによって目の前に文字として表されると、実体をともない、自分の中から出て行ってしまうのだ。


 これまで、なんでも言葉にすること、できることが大事だと思って、書いてきた。
忘れないうちに、新鮮なうちに、記録することが一番だと思っていた。

言葉にならないこと、あえてしないことの価値があることも、なんとなくは理解していたつもりだったけど。いま、本当の意味でわかったような気がする。





わざわざ書かなくても自然と心に残っていることって、自分が思っている以上に大切なものなのかもしれない。


これからは、もっと慎重になりたい。
ならざるを得ない。


うまく使っていこうと心に決める。

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