八甲田山死の彷徨

ちょっと前にテレビ番組で詳しく解説していた。人災&悪運がとにかく重なりまくって起こった悲劇。

事件が起こったのは、1902年1月23日のこと。片道20kmの軍事訓練。日露戦を想定したもの。この事件の主な原因は、寒さ、視界の悪さ、そして繰り返された誤判断。

以下に、だいたい時系列で要点をメモ。

・装備を油断していた。目的地には温泉があるからタオルだけ持っていく、みたいな人もいたらしい
・隊員は、東北出身者ではあったが、青森の大雪は初体験だった
・地元の人は「案内が必要」だと助言していたが、採用されなかった
・隊長は神成大尉という人。でも、その上官の少佐もメンバーに含まれていた。リーダーが二人いた状況だったか
・進むにつれて、雪や寒さが激しくなってきた。隊員から帰隊の提案もあったが、「せっかくここまで来たんだから」と蹴ってしまう。いわゆる、サンクコストへのこだわり
・「ここで引き返したら笑われる」というプライドもあった
・やがて、日没までには到着できないと判明する。本当は、この時点でビバーク(緊急的に野営すること)すべきだった
・隊員たちが歩いた道は、八甲田山の北麓。木がほとんどない場所だった。よって、目的地は見える。そこで「留まらずにこのまま行こう」という判断になった。一方で、「木がほとんどない場所」は、目印がないということだから、遭難の危険が高い
・このように「見えているから行く」となったのは、正常性バイアスが働いたものか
・やがて、あっという間に、雪は胸の辺りまでくる(このルートは、局地気象エリア)。これによって、食料を運ぶソリが進めなくなる。隊員たちは、ソリに乗せていた20kgの荷物を背負って歩くことに
・食事は凍ってしまって、食べられず。飢えにも苦しむことに
・竪穴を掘ってそこに入り、立ったまま暖を取ろうとするが、これはムリだった(気温マイナス21度&強風)
・隊員たちの着ていた服が綿製(乾燥しにくい)で、汗のせいで凍りつく
・暖を取ろうとするが、寒すぎて待てない。かといって、今進んだら迷ってしまうかも
・2:30am、基地に戻る決断をする。これが、いわゆる「死の行軍」のスタート
・雪のせいで、来た道も見えない状況
・帰路、隊員の一人が「ここからなら、目的地への行き方を知ってます」と訴えると、「やっぱり行く」ことにする
・この日、巨大低気圧が上空を覆っていた。気温は-25度、風速29km。ホワイトアウトが起こり、隊員たちは迷走することに
・「リングワンダリング」になってしまう。そのことに気づいたとき、大きな心理的ショックを受ける
・隊員たちは、低体温症に苦しむ
・晴れ間が見えると、やっぱり基地に引き返すことにするも、動き出すとすぐにまた天候悪化
・隊長が「天は我々を見放した」「もうここで死のう」と隊員たちに告げると、一同がっくり
・捜索隊が基地を出たのは、出発した日から4日目。訓練の日程としては2日で帰る予定だったので、捜索隊の出発も遅かった

結局、隊員210人中、199人が死亡するという、とんでもない悲劇となった。めちゃめちゃホラーストーリー。リーダーの判断は、困難な状況にあっては特に重要なんだなと思わされる。

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