自然体と品。理性と欲について
最近は、書くだけではなく、気になる人のnoteを見たりしている。
なんとなくオススメに乗った記事を読んでいる。
そこで、出合った記事でとてもいいなと感じたので取り上げて今日は話すとする。
この記事が凄い好きなんですよね。
この世の中、欲と理性で回っているとおもうのですが、すごいこの記事には品とゆうものを感じるのですね。
それも、かしこまった固い品ではなくて、自然体の品を感じるのです。
人間には、4通りの生き方があると思っていて。
・欲を入れて欲を出す人
・理性を入れて理性を出す人
・理性を入れて欲を出す人
・欲を入れて理性を出す人
・欲を入れて欲を出す人
芸能人やYouTuberや大企業の社長など、みんなの欲を受け入れて行ってそれを仕事によってどんどんと膨らませていくイメージ。
・理性を入れて理性を出す人
これは、企業に務めている会社員の人が多いイメージ。決まり切った規則の中で一定の給料を貰って働くというイメージ。
・理性を入れて欲を出す人。
これは、子供のイメージ。安全な場所で生活して、自分の欲を周りに求めていく。
・欲を入れて理性を出す人
自分やみんなのこうしたいという欲を受け入れて、理性的にこうした方がいいだろうな?と判断して動いていくイメージ。個人事業主や中小企業の社長の人が多い気がする。
欲を欲で回すというのがアメリカ的な考え方だなと思うのですが。
少ない中で回すという事をして、工夫して生活をするというのに理性というものを感じるのです。
当然何も入れない中で回すというのはできないと思うのですが。
欲というものをどんどんと入れていき、どんどんとお金を入れる為に回していくという資本主義的な考えというか、そういうものになんだか、自分には違和感がある。
それは、自分にはあまり欲がないからだと思う。現在自分が満たされた後にどうしたいのか?考えたりする。
更に欲を求めて行動していくのか?全体が上手く回る為に行動するのか?自分は考えたりする。
欲ばかりでは、いざこざや衝突が起こりやすいので、ルールや規則などそういうもので規制している所が多い。
全体が上手く回る為に行動している人は、理性的に考える事が出来る。思いやりとか自分がこうしたら相手がどう感じるか?とか考える事が出来る。
それが、規則とかマナーではなく、自然体で出来る人を品があると思っている。
循環という言葉がこの記事には書かれている。
まず、出す事によって、動く事が出来るのだと書いてあるのだけれども。
自分の器という物があって、それが小さくてすぐに満たされてしまうのだと感じている。
だから段々とお金が貯まっていく資本主義的な言葉よりも、循環という言葉になっていくし、搾取という言葉があまり好まないのだと見ていて思う。
入れて出す入れて出すというのを小さく毎日やっていくやっていくイメージだろう。
この人の言葉の節々からとても感じるなというのが、この人の器というものに、長く使えるアンティークのような品の良さを感じる。
なんか無理せずに動いている気がする。だけども、こうした方が良いだろうなというものに欲で動くというか、理性で動く部分が少なからずある気がするのだ。
正直言うと、この文章やこの人のYouTubeを見るまでは、酒飲みの人は欲を欲で膨らませていく様な人が多いなと勝手に感じていた。
だけども、文章やYouTube見ていても、知性というか品を大切にしている感じが凄い伺えるのだ。
まぁ、人に見せる為の表の姿なんだろう?と思う人もいるかもしれないし、そういう所も多少はあると思うのだが。
意識してではなく、自然にそういう感じに磨かれている気がするのだ。というか、そうでは無かったとしても、なんだかそういう方向性に向かっている最中に感じる。
自分も昨日から、毎日自画像を1時間描くと決めてやろうとしている。
なんか、絵を描く為に、ずっと入れる事ばかりやろうとしていて、画材買ったり講座を受講したりしたのだが、なぜか気持ちが沸き立たなかった。
人生には、欲を入れる事によって余裕というもので動けるものもあるのかもしれないけども。程よいストレスや理性的な行動を自分に課す事によって動ける事もあると思う。
人には段階というものがあって、余裕がない人には、まずは自分で自分を満たす事を。難しければ人に協力を得て自分を満たすのもいいと思うのだが。
やはり、自分を自分で満たす事が出来て余裕があるならば、理性や形から少しずつ出していくという事をしていき、自分を磨くという事をしていくのがいいのだと思う。
後は、出すものや入れるものを精査して行くのも大切だと思うのだけれども、それはこうやって考える事を文章に出していき整理していくといい気がする。
最近は、1000文字で良い所が2000文字で書いてしまっている。
まぁ、まとまっていないとも言えるし、全然と品のない文章を自分は書いているとは思うのだけれども。
1000文字くらい書いてようやく書きたいものが書ける様な感じがしている。
1000超えてから書きたい文章が沸いてきて、とまらなくなってくる。
今後は1000文字を書くのが準備運動になるという感じになっていくのかもしれない。
やはり、描きたいものを描いていきたい。
感情を絵に乗せていきたい。
絵を描くというのも、1時間自分の顔を描くというのが、本当に描きたい絵を描く準備運動になる時が来る様になるといいな。
(ちなみに欲を入れて欲を出すような資本主義的な人を批判している訳ではなく、自分は違うといいたいだけです。)
今日も1時間自分の顔を描いた。
昨日より濃く描いて、背景も描いた。
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