【唄語り】菅原道真さんのブルースその2

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【唄語り】『菅原道真さんのブルースその2』

彼は延喜三年、西暦で言うと903年に
亡くなっているのですが
彼の死後、謎の疫病が京都にはやります。

また、天皇や貴族たちが会議をしている御所に雷が落ち、道真さんの左遷に与した人たちの多くが亡くなったり怪我をします。
道真さんの追い落としに加担した貴族や政治家が次々と変死します。

足を引っ張った張本人、
藤原時平も39歳の若さで病死します。

京の町の皆が、そういう事件の起き初めの頃は心の内で思います。

「これは祟りではないだろうか?」

そして藤原時平が亡くなったり、御所に雷が落ちたりする頃には

「間違いなく祟りじゃ。くわばらくわばら。」

と、京都中の皆が口にするようになります。


延喜23年には、朝廷は道真さんの名誉回復を宣言します。
そして天歴元年には京都に北野天満宮が作られ、神として祀られます。

最初から学問の神様だったわけではありません。
むしろ、

「これ以上祟らないでください、怒りをお鎮めください」

という意味の方が強かったようです。


日本では厄をもたらしたものを祀ることで、そのことを鎮め、むしろ厄払い、厄除けの神とするという、
とても柔軟な、あるいは逆転の発想というか、そういう考え方があります。

悪をもたらすものだから、
徹底的に追放、
とか 
完膚なきまで叩きのめす、
ではないのですね。

神として祀り上げ、その悪しき部分を福や徳に転換していく、
というのは すごい発想だなぁと思います。

昔の日本人、エライ!


そうやって神様になった 菅原道真さん。
全国の天満宮や天神社に祀られるようになります。


人々は長い年月をかけて、道真さんの魂を鎮めていきます。

たくさんの人が祈りました。
長い時間をかけて祈りました。

人々の記憶からも
『祟り』の生々しいあとが、
だんだんと抜けていきます。

時が経つ、というのは
そういうことですよね。

祈りの結晶が
天満宮のそこここに残っています。
神社の近くに住む人たちは、
そこを大事に大事にしてくれます。

いつしか、
道真さんのかたくなな心も 少しずつゆるんでいったことでしょう。
道真さんが 無念を抱えて亡くなって、
そして京都中を恐怖に陥れたのも もう遥か昔。

長い長い時を経た、ある時

「もう恨むのはよそう」

道真さんは独り言を言いました。


その瞬間。

全国の天満宮で祈っていた人には、巨大なる黄金の龍が、神社の本殿から、宙高く舞い上がっていくのを見た、
と言います。


「ああ、道真さん。
本物の神様になりおったぁ」


その時から、彼は 学問の神様となり、
世の人に、新たなご利益を授けるようになりましたとさ。


@相模の風レコード

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