見出し画像

ドイツ歌曲の話  マーラー Des Antonius von Padua Fishpredigt 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス

今日はマーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」から。

子供の不思議な角笛とは、同名の民謡詩集に作曲された歌曲集で、10曲からなります。この「魚に説教するパドヴァのアントニウス」は6曲目。

こんな詩です。

アントニウスが説教しに行くと教会は空っぽ
そこで彼は川へ行き魚にお説教
魚たちはおひれをパチャパチャさせて陽の光でキラキラしてる

子持ちの鯉がやってきた
口をパックリ開けて熱心に聴いている。

こんな説教は聴いたことがない
魚たちは気に入った!

とんがった口のカワカマス、いつも喧嘩ばかりしてる奴らだ
そいつらも急いでお説教を聴きにやってきた
あの妄想癖のある、いつも断食ばかりしてる奴ら
つまり干しダラのことなんだがそいつらも姿を現した

こんな説教は聴いたことがない
干しダラは気に入った!

上等のウナギにチョウザメ、やんごとない方々が召し上がるやつだ
そいつらもすまして説教を聴く
カニもカメも普段はのろまだが
水底から急いで上がってくる

こんな説教は聴いたことがない
カニは気に入った!

でっかいのもちっさいのも
やんごとないのも、下衆なのも
分別ありげに頭を上げている
神のご意志で説教を聴いている

説教が終わった
皆はくるりと背を向けた
カワカマスはやっぱり泥棒だし
ウナギは浮気性

説教は気に入ったがみんな元通り

カニは横歩き
干し鱈はデブ
鯉は大喰らい
説教なんて忘れてしまった

説教は気に入ったんだけど
みんな元通り

パドゥヴァの聖アントニウスとは


パドヴァの聖アントニウスというのはWikipediaによると「カトリック教会で、失せ物、結婚、縁結び、花嫁、不妊症に悩む人々、愛、老人、動物の聖人とされている」ということです。パドヴァというのはイタリアの地名ですが、他にも聖アントニウスという方がいるので区別するために「パドヴァの」とつけるようです。
下はイタリアのヴェネツィアで撮った写真。たまたま撮ってたのがこんなところで役に立ちました。街角や、もちろん教会でもこんなふうに祀られてる(っていうの?)くらい親しまれている聖人のようですね。失せ物の聖人というくらいだから、失くしものがあったら願掛けするのかな。

ヴェネツィアの街角で
ヴェネツィアのフラーリ教会

パドヴァのアントニウスはなぜ魚に説教したか

さて、このアントニウスさんは説教、説法がうまい方だったそうです。
そしてこんなお話があります。

アドリア海に面したリミニという街はキリスト教の異端者の温床でした。
そのリミニにアントニウスが訪れたのですが、街の指導者は彼を無視するように人々に命じており、教会は空っぽ、人々も無視。

そこで彼はアドリア海に注ぐマレッキア川の河口に来て、人にではなく魚に語りかけたのです。すると、なんと何千匹もの魚がきれいに一列に並び、彼の言葉を一つ一つ聞こうとしているかのように、水面に頭を突き出したではありませんか!

魚に説教
チョウザメにも説教

この奇跡を見たリミニの人々はアントニウスの話を聞くために集まりました。  彼らはアントニウスの言葉と回心への呼びかけに感動し、教会に戻ったのです。

それを知るとこの詩がただのシュールで滑稽な詩ではないということがわかります。こういうお話に基づいていたんですねえ。

ただね、この詩の後半。それがこの詩の本領じゃないでしょうか。
「説教が終わった途端、魚たちはくるりと背を向けて、説教なんて全部忘れてしまった。みんな元通り、説教を聴く前と何も変わらない。」

魚とは、つまり私たち人間ということで、これは強烈な風刺。
馬の耳に念仏、豚に真珠、猫に小判、犬に論語、そして魚に説教。

さてマーラーの歌曲
ニ短調3/8拍子「のんきに、ユーモアをもって」
(私はハ短調で歌います。)
そう、この曲はなんともユーモラスなんです。歌詞がなくとも。
私はオケ版ではなく、ピアノ版で演奏しますので、オケのことは省略しますが、まるでのっそりと這い上がってくる亀のような左手から始まり、なんともおかしみのある右手メロディーが始まります。ずっと動き続ける右手はまるでヌルヌルしたウナギのよう。

しかし歌詞にウナギが出てくる部分では伴奏は美しいんですよ。ト長調に転調します。私はここにくるといつもスーパーマリオの水中のBGMを思い出してしまうんですが。

そうそう「こんな説教は聴いたことがない!気に入った!」という部分は必ず長調です。それがまたマンガチックで面白い。

そして説教が終わって魚たちが背を向ける場面。新しい伴奏型が始まります。左手がオクターブでドコドコドコと。それが魚たちが一斉に帰っていくようで。前半は一種類ずつ現れる感じだったのが、帰りは一斉ですよ。知らんけど。

そして特筆すべきは後奏。
シューマンの詩人の恋の第九曲「あれはフルートとヴァイオリン」と同じなんです。もちろんシューマンが先ですよ。だからマーラーがそのメロディーをパク …いや使ったわけ。シューマンではではかつての恋人の婚礼の祝いに出くわしてしまった若者がその婚礼の音楽を耳にしながらヘナヘナとくずおれてしまうような描写。それと同じなんですよね。マーラーの意図はなんなんでしょうね。

魚が象徴するもの

この詩に登場する魚類は
鯉、カワカマス、干しタラ、うなぎ、チョウザメ、カニ、カメなんですが、
辞書の説明をよくよく最後まで見ると
鯉=馬鹿者
カワカマス=若者
干しタラ=うすのろ
カニ=スリ

とあるではありませんか。今まで何度か歌ったことのある曲ですが、これは大発見でした。

私はこれまでこの詩は、アントニウスが魚に説教するということ自体、すでにシュール、滑稽だと思っていたのですが、そこはカトリック信者さんには周知の事実というわけで面白いところじゃないんですね。それより面白いのはそれぞれの魚の描写、そして裏の意味(鯉=馬鹿者etc.)を知るともっと面白い。それから最後の説教は効かなかったというくだり。
それから私が歌っていて好きなのは詩が韻を踏んでいるというよりほとんどダジャレの域になっているところ。詩のリズムに口が喜んでいる。これは日本語にすると全く表せないから残念。

マーラーの指示通り、ユーモアを持って歌いたい曲です。

楽譜付きのYoutubeはこちらから。
https://www.youtube.com/watch?v=F3_dkWZcegQ







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?