それって呪いじゃないのかな。My Heart Will Go On - Celine Dion

Every night in my dreams
毎夜毎夜、夢の中
I see you, I feel you
きみに会える、いるのが分かる
That is how I know you go on
そうやってぼくは知る、いなくなりはしないんだと
Far across the distance
遠く離れているけれど
And spaces between us
隔たれたふたりだけれど
You have come to show you go on
会いに来て教えてくれる、いなくなりはしないんだと

Near, far, wherever you are
近くても遠くても、どこにきみがいようとも
I believe that the heart does go on
きっと必ず心はずっと先まで変わらない
Once more, you open the door
もう一度、きみがぼくを招いてくれて
And you're here in my heart
そしてきみはそばにこの心の中に
And my heart will go on and on
そうしてぼくの心はずっとずっと続いてく

Love can touch us one time
愛はぼくらに一度かすって
And last for a lifetime
一生涯の跡を残す
And never let go 'til we're gone
決して消えてはくれない、ぼくらが終わるまで
Love was when I loved you
それはぼくがきみを想った、
One true time I'd hold to
たった一度だけ抱いた気持ち
In my life, we'll always go on
生きてる限り、ふたりは絶えずずっと続いてく

Near, far, wherever you are
近くても遠くても、どこにきみがいようとも
I believe that the heart does go on
きっと必ず心はずっと先まで変わらない
(Why does the heart go on?)
(どうして変わらぬままなのだろう?)
Once more, you open the door
もう一度きみがぼくを招いてくれて
And you're here in my heart
そしてきみはそばにこの心の中に
And my heart will go on and on
そうしてぼくの心はずっとずっと続いてく

You're here, there's nothing I fear
きみそばにいるから何にももう怖くない
And I know that my heart will go on
そう、きっとこの心はずっと先まで変わらない
We'll stay forever this way
ふたりはそのまま永遠にこのまま
You are safe in my heart
きみももう傷つかない、心の中なら
And my heart will go on and on
そうしてぼくの心はずっとずっと続いてく

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 何で突然この歌を訳そうと思ったかというと、AIでフレディ・マーキュリーにカバーさせたやつを聴き、それの出来が大層良かったからだ。

残念ながらこれはフルではない。こっちは調整では劣るがフルで、ラストサビの歌い上げもある。

 この歌自体にはさほど思い入れはなかった。超有名曲で知ってる知ってるって感じでも歌の中身はよく知らなかったりするが、この歌は映画『タイタニック』の話をまんま反映している?ので、中身も大体思ってた通りだった。

 個人的には、永遠に、死ぬまで変わらない、変えることの出来ない想い、愛、というのは呪いと何も変わらないと思う。人間というのは、無常にも古いことはどんどん忘れ、したたかに変わり前進していくべきだ。生きてることのはそれだけで大変なのに、それが義務や償いになってしまったら流石にやってられない。新しいことを新しい人とやっていくべきだ。置いていった人を想う必要などない。過去ではなく、現在を生き、未来の方を見るのを好きでいた方が良い。

 だから僕はこの歌で語られる想いというのを100%良きことと受け取ることはできない。もしこの歌のようなことを歌わねばならない気持ちの人がいるとしたならば、それはもう過去に呪われている人だとしか言いようがないと思う。映画『タイタニック』に合わせるなら死別、そうでなくても何らかの理由で離れざるを得なかった相手を、自分の心の中で生かし続けることがその相手への償いとなり、自分への慰めとなる、そんな人間の、相手への好き半分、呪われた自分のやるせなさ半分の感情を吐露するような歌である方が僕にとっては座りが良い。だからそうした。つもり。
 あと、heart will go onは気持ちは変わらない、とか、あなたは心の中で生き続けてる、と訳してる先人たちが多いように思ったが、僕はシンプルに「ぼくの心は続いてく」とした。ただでさえ呪われてる人の歌なのに、この気持ちを保たなきゃとか生かし続けなきゃとか歌い上げ宣言するのは哀れすぎると感じる。呪いであるという自覚もありつつも、そういう過去さえもひっくるめて受け止めて、ぼくの心、つまりそれが宿るところのぼく自身は生き続けてく、という覚悟というかせめて自分へのポジティブさが篭りうる言葉にしたかった。

 あと、セリーヌ・ディオンが歌ってて、かつタイタニックとしてもローズからジャックへの歌なんだから一人称二人称は女性にするべきだろうなぁとは思いつつ、ぼくきみという言葉が好きなのでそっちにした。

 最後にこの歌といえば何よりこのバージョンである。

このバージョンがダントツで1番良い。僕は昔から、演技や表現というのはこういうものであるべきだと思っている。わざと拙くやれとか、ふざけてやれという意味ではない。このバージョンですらエモーションはちゃんと伝わってくるし、他のバージョンと遜色ないほどエモーショナルだ。ただそのエモは、完成された、表現され切った表現から伝わってくるのではなく、表現や伝達の失敗度合いからこそ伝わってくる。このあり方こそが表現のあるべきかたちだ。あるキャラが何かを表現しようとしたがうまく出来なくて歪んでしまう。その時、それは綺麗に表現できた時より遥かにその感情が如何にそのキャラにとって大事な物であるか、そのキャラが誠実な人であるかが伝わってくる。なまじ成功しているものより、失敗の方がずっと情報量が多いのだ。何故失敗するのかということからも情報が読み取れるからだ。
 ただ、僕が書き演出した芝居に出た俳優や、特に繰り返し出ている劇団員が芝居が上手いと外から褒められてるのを見たことがない。むしろ他所で出てる時の方が上手に見えるとさえ言われたことがある。つまりぼくの方法論は失敗してるのだろう。

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