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言語の著作物における朗読音声ファイルの無許可によるネット公開について(改定版1)

前からまとめたいと思っていた、朗読実演または公演された動画または音声に対する公開に対して、著作権者の了解が必要かどうかです。
2005年「こがわ法律事務所」の古川健三弁護士が、あくまで趣味であると、公言され持論を展開されたものがベースとなり、僕が解釈しなおすものです。また断っておきますと、世間のマスコミ等が認識している解釈を真っ向から否定しています。あくまでも決めるのは裁判所であり、問題が提起されなければ、NHKの受信料裁判と同じく白黒つかないことを伝えておきます。

無許可での公開の根拠となる条文

著作権の切れていない本を、勝手に公衆に聞かせていいのかについて、許可なしに勝手にはダメだが、聴衆からお金を取ったり見返りを要求しないなら勝手にできます。
つまり、見返りを要求しないなら、不特定多数の人を集めて、最新の小説などを読んで聞かせて構わないということ。

(営利を目的としない上演等)
第三十八条 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

しかし、インターネットにアップして不特定多数の人たちが聞ける状態にする場合、著名な弁護士さんなんかは、ダメだって言ってます。
でも裁判されたことはまだ一度もありません。だから自分でよく考えない人は、そうなんだろうって思ってしまう。
僕はいいんじゃないかって思ってる。作家さんからしたら「しないでくれ」っていうかもしれないけど。

もう一度ダメって言ってる人と、いいじゃないかと思ってる少数派の人の意見を考えてほしいところです。

まずダメ派はなんていってるのか?

 まず、朗読を録音した音声データをネットにアップすることは「公衆送信権」と「複製権」が問題となるので、ダメって言ってます。
公衆送信権とは、著作権法第23条にあります。

(公衆送信権等)
第二十三条 著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する。
2 著作者は、公衆送信されるその著作物を受信装置を用いて公に伝達する権利を専有する。

まず小説作品を、公衆送信するということはどう解釈したらよいのでしょう。公衆送信には、テレビ(音声と動画)ラジオ(音声)インターネット(音声、動画に加え、データ)があります。
テキストデータをアップロードしたり、テキストデータを動画にしてアップロードしても公衆送信ということになりますので著作権者の許可がいるのは理解できるでしょう。
またテキストデータをただ音声言語化し、公衆送信を行えば、罰せられそうです。いやたぶんNGでしょう。原著作物をそのまま送信していることになるからです。

次に複製権ですが以下の規定となります。

(複製の定義)
第二条 
十五 複製 印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいい、次に掲げるものについては、それぞれ次に掲げる行為を含むものとする。
イ 脚本その他これに類する演劇用の著作物 当該著作物の上演、放送又は有線放送を録音し、又は録画すること。

(複製権)
第二十一条 著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。

今回の問題は、映像作品ではなく小説や脚本など言語の著作物となりますので、「私的使用のための複製」を超えた無許可行為はNGとなります。
また、脚本など演劇用に作られた言語の著作物の場合、上演ですら複製とされ、それを録音、録画しても複製になります。ただし「無償の上演」に関して言えば、第三十八条が有効になりますから「複製権」そのものの侵害にはなりません。しかしインターネットによる公開は複製を多数作り出すのでダメだと思われます。

では小説はどうなのでしょう?

朗読した音声ファイルが、複製の定義に合うと解釈されれば、無許可によるアップロードは複製を多数作りだすことになるので、ダメだというわけです。

公衆送信権の侵害について

公衆送信権についてですが、言語の著作物から音声言語化したデータまたはテキストを動画に変換したもの、またはテキストデータそのものを公衆送信すればNGと定義しました。
また公衆送信してはいけないものとは、著作物の複製のことです。これは将来の裁判所の判断によりますが、朗読作品が複製ではなく、実演、上演、口述されたものと定義するならば、公衆送信権の侵害とはならないでしょう。

複製権の侵害について

朗読作品が複製ではないと定義するならば、インターネットでの公開は複製権の侵害とはなりません。ただし第2条1項十五号のイの「脚本の実演は複製」という定義に接触すれば侵害と解釈されます。

ではなにが問題なのか?

朗読作品が複製でないとすれば、原著作権者の複製権も公衆送信権も侵害しません。
むしろ侵害の恐れのあるものは「上演権」と「口述権」に移行します。

(上演権及び演奏権)
第二十二条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。

(口述権)
第二十四条 著作者は、その言語の著作物を公に口述する権利を専有する。

以上の二つに対してのみ考慮すればいいはずです。本来なら著作権者に了承を得て行うのが筋ですが、そこを緩和し著作物の文化的発展という観点から許可なく行える行為として制定されたのが第三十八条です。
ここで無許可での行為がよしとされているのが「上演」「演奏」「口述」「上映」です。

第三十八条の「営利を目的としない上演等」に、伝達手段までは定義されていませんので、これまで複製ではないとすれば公衆送信はとがめられないと解釈できました。
でも、僕はある条文を見落としていました。この記事を大幅に書き直す必要が生じた原因となったものです。
第二条の定義の7項には「上演」、「演奏」「口述」には録画録音されたものを再生することを含むが、公衆送信または上映に該当するものを除くとあるので、「許諾がいらないことを確認する裁判」をしても負けるかもしれません。以下に第二条7校を示します。

7 この法律において、「上演」、「演奏」又は「口述」には、著作物の上演、演奏又は口述で録音され、又は録画されたものを再生すること(公衆送信又は上映に該当するものを除く。)及び著作物の上演、演奏又は口述を電気通信設備を用いて伝達すること(公衆送信に該当するものを除く。)を含むものとする。

この7項は「上演」「演奏」「口述」に関して、解釈の範囲を広げたものです。つまり録音録画の再生と公衆送信に該当しない「校内放送」等までがその範疇に入るということです。「上映」を除くとあるのは、上映そのものが録画されたものを再生する行為になるので、この7項には関係ないということでしょう。

「上演」「演奏」「口述」に関しとりあえず「公衆送信によるもの」は入っていないと定義はされても、第三十八条1項に伝達手段が定義されていないことは事実ではありますが、裁判所は以下のように結論するのではないかと思います。

「第二条7項の定義をみてもあきらかであり、第三十八条1項の記述は劇場等の公の場が想定されたことは疑いの余地がない、公衆送信は許可されていない」
となれば、実際は「口述権」「実演権」の侵害となります。

二次的著作物としての道

朗読されたデータが動画として加工されテロップが入れられ、一つのパッケージとなった場合、これは二次的著作物ということができます。
しかし、当の朗読部分の音声が複製なのか、または実演されたデータであるかは、その表現者にかかっているのかもしれません。また二次的著作物と定義される場合は、公衆送信したところで「口述権」「実演権」の侵害にはならないと思われます。同じ権利が朗読者にもあるわけですから。
以下、2条の11「二次的著作物の定義」の引用です。

十一 二次的著作物 著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物をいう。

ここから、朗読する人を対象にして述べたいと思います。
二次的著作物の定義に「変形」そして「翻案」とあります。ただ音声化した表現のない朗読、いわゆる音読とでもいいましょうか、そういうものはおそらく複製でしかありません。図書館にある音読録音媒体は複製だとされ(視覚障害者等のための複製等)第三十七条にも定義されています。
また「翻案」に関しては、朗読には当てはまらないでしょう。ただし、独自に脚色したり、言い回しを変化させるとすれば別ですが、朗読の場合別の権利の侵害になるかもしれません。
しかし「変形」に関しては、朗読者は表現を重視し、作品世界をまさに再構築するならば二次的著作物として「音声部分」も認められるかもしれません。
しかし二次的著作物と認められた場合、原著作者も二次著作物の製作者も同じ権利を持ちます。
つまり、二次的著作物といえども、原著作権者の権利を無視して自由にしていいわけではありませんが、著作権法でしっかり保護はされるわけです。この場合も、二次的著作物を公衆送信する場合、著作権の侵害とはならないまでも原著作権者が朗読者の公衆送信を止めることができる権利がでてきます。この部分は、コミケ等で有料無料問わず配布される二次的著作物と同じです。
以下は古川健三弁護士のブログ記事からの引用ですが、二次的著作物に関して原著作権者の権利と、朗読者の権利というのは、行政にもう一度、考えていただきたいところです。

著作権法の規定する著作者の権利のうち,上演権および演奏権(22条),口述権(24条)は,他の権利,例えば複製権や公衆送信権などと異なり,行為者の創作的な表現行為を必要とし,それゆえそこから新たな二次的著作物が生まれる可能性を持っている。その場合,そこから生じた二次的著作物に対する原著作者の権利と,上演者,口述者の固有の権利(ないしは上演者,口述者自身の作品に対する自由)をどう調和させるのか,このあたりが検討課題である。
https://web.archive.org/web/20080306004242/http://kogawa-office.cocolog-nifty.com/webnotes/2005/07/post_b715.html


要点のおさらい

ダメな場合 
朗読作品が小説の「複製」と判断されれば、公衆送信権と複製権を侵害する。また第三十八条1項の規定が、第二条7項の定義に準じて、公衆送信は許可されていないと結論すれば、「実演権」「口述権」の侵害となる。

かまわない場合
朗読作品が複製でなく「単なる上演等」であると定義すれば、公衆送信権と複製権は侵害されない。そして第三十八条の条項により、公衆送信を禁じていないのであればおとがめがない。
また朗読の音声部分が二次的著作物とされるならば、二次的著作物の権利者である朗読者がみずからの「公衆送信権」を利用しネットによる配信は可能。さらに原著作権者から公開の拒絶を表明しない場合に限る。

でもダメな場合
第三十八条1項の伝達手段の解釈が「劇場等の公の場でのみ」であるとされればとがめられる。
また朗読の音声部分が二次的著作物とされるならば、原著作権者が、みずからの「公衆送信権」を行使する場合はやはり公開を中止しなければならない。

以上となります。

あとがき

結局のところ許諾を得るのも簡単ではありません。
朗読に対するJASRACみたいな「朗読著作権協会」も存在しませんし、出版社に問い合わせても、印刷して頒布する権利しか出版社はありません(いや本来なら出版社は著作者や翻訳者ともパイプがあるはずですから「著作権協会」作ってほしいわけですが)。
海外作品の場合、原著作者、翻訳者とも権利を持っていますが、翻訳者ならまだしも海外の原著作者から、許諾を得ることなどほぼ不可能です。
しかも亡くなってる作者はあまりにも多く、遺族の行方も分かりません。個人にはどうすることもできません。個人情報保護法もあるし住所が分からないし、作者に手紙も不可能。ツイッターアカウントでもあれば別ですが。

それでは、大好きな作品の大好きな朗読を、インターネットを使用せず公の場で行えばいいわけですが、昨今の新型コロナの影響で現実的ではなくなりつつあります。やはりネットを通じて聞いてもらいたい。そう思います。便利だもの。

比較的新しい作品を朗読して公開する場合は、著作権法とは別の罪で訴えられる可能性があります。最近は本は、音訳作品としても販売されており、朗読ファイルの公開が原因で、本や音訳作品が売れない状況はありえます。作者や出版社から損害賠償請求で訴えられる可能性はあるでしょう。

朗読者のスタンスとしては、自分の朗読を「二次的著作物」として認め、金銭等の見返りを求めず、絶版本なら出版社には復刊を請い。聞いてる人にも本を買ってほしいと訴え、自分で声に出して読んで楽しんでほしいと願い、原著作者に敬意を払いながら、もしダメだったらいつでも公開をやめます! どうぞご連絡ください。という態度でなら……いいんじゃないかと思う。思いたい。

インターネットアーカイブからこがわ法律事務所Webnotes
https://web.archive.org/web/20080306004247/http://kogawa-office.cocolog-nifty.com/webnotes/2005/07/post_f2fc.html


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