彼らが本気で編むときは、

地球最後の日に何が食べたいかって聞かれたら真っ先に母が作るポテトサラダと答える。

母が作るポテトサラダは少し変わっている。じゃがいも、ゆでたまご、きゅうり、にんじん。ここまではごく普通の家庭のポテトサラダなんだけど、そこに僕の母はマカロニを投入する。そう、我が家のポテトサラダはマカロニサラダとポテトサラダががっちゃんこしている、阪神タイガースと読売巨人軍を1つのチームにする見たいな掟破りな事をしてるのだ。

けれどこれが絶妙に美味しいのだ!ポテトサラダには無いはずのモチモチとした食感と塩漬けにしたきゅうりのパリパリ感、そして沖縄でしか売ってないアメリカ産のサラダ用マヨネーズの酸味がとてもとても美味しくて、必ず実家に帰るときは作ってもらうほどの大好物なのだ。

あぁこんな事を書くと口がポテトサラダの口になってしまう。こんな深夜なのに腹が減ってしまう。こんな時間から何かを食べればデブ真っしぐらなのでひたすらに耐えるしか無い。

このポテトサラダを食べないとどんなに古くて狭い懐かしい団地の実家に帰っても「帰ってきた!」という実感は沸きづらく、やっぱり母のポテトサラダを口にした瞬間、「ああ帰ってきたんだな」としみじみ思うのです。今はお金もなく頻繁に帰ることができないので、年に1度あるかないかの母との言葉を交わさないこのコミュニケーションはとても嬉しいし、僕らは家族なんだなと温かい気持ちになったりする。

「彼らが本気で編むときは、」は生田斗真さんがトランスジェンダー役をした事で有名な作品だ。

トモの母親は男ができるとトモをほったらかして家を出て行ってしまう。トモはいつも通り叔父のマキオの家を訪ねるがそこに一緒に住んでたのが料理の上手で優しさのあふれる恋人リンコ。母親から愛情を受けてこなかったトモはリンコの優しさに惹かれていき、3人が徐々に1つの家族へとなっていく作品だ。

この作品を見ると将来、家族という枠組みが大きく変化していって欲しいと願いたくなる。昨今、結婚とは別に「事実婚」という新しい家族の定義が出来たものの、「血の繋がり」というものが家族には必須条項になっている。この「血の繋がり」があるせいで事実上は家族に括られるけれど本当に愛情を子を注がずに育児を放棄してる事例というのはザラにあると思う。

この作品ではリンコとマキオ、そしてトモは「血の繋がり」という観点では家族としては位置づけすることは出来ないかもしれないが、3人のやり取りはもはや一つの家族にしか見えなかった。3人で編み物を編んだり、3人で1つの食卓を囲み晩ご飯を食べたり、ゲームをしたり。本当にごく普通の家族の温かさが確かにあった。僕と母がポテトサラダで紡ぐ家族のやり取りと何ら変わらなかった。この作品を何が家族と言えるのだろうと考えずにはいられなくなる。この作品は少し救いようなある終わり方をしたけれど、世の中には救いようのない腹立たしい事例は山のようにあるだろう。

だからこそ家族の枠組みを広げなければならないと思う。どんな人達でも幸せになる為にも。

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