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草いきれとねぶた

 とにかく暑い、「真空の真夏の太陽」である。
 昔も日本海側ではフェーン現象があり4~5歳の頃、あまりの暑さに、それこそ死にそうで身動きできないくらいであったのを今でも憶えており、。冷暖房機器なんかなかった時代のことである。
 大人になり、子どもの時の記憶なのか、青森の「ねぶた」の時期になると、『「ねぶた」「ねぷた」の語源には諸説あるが、「眠(ねぶ)たし」「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」「七夕(たなばた)」「荷札(にふだ)」などに由来する説がある。』と書かれてあるが、「ねぶた」とは死にそうな暑さによって「眠気を襲うさま」であると思っている。
 津軽弁の「「馬鹿くせ」とは、青森の「ねぶた」の根底にあり、カミュの「シジポスの神話」であるというのが、個人的な思いである。
 
草いきれ
 大学時代、河野多恵子の「草いきれ」に触発され、物語にもならない文章をノートしたことがある。大まかには、「真夏の太陽が容赦なく照りつける草いきれする草叢の中で、少女と交わっていた。きがついて振り向いたら、それは少女ではなく屍であった。」
 なぜ少女であり、屍であったのかは、いまでも思い出せない。
 大学の比較文学論で学んだ、シェークスア「ソネット18番」、ボードレール「腐肉」、河野多恵子「草いきれ」が、「重なり合った」のかもしれない。
 真夏の太陽・少女(少年)・死者が「重なり合った」のでは、と時間が経ち考えるようになったが、もしかしたら、ようやく大人のとば口に立っていたのかもしれない。
 
「津軽」と「国境の南、太陽の西」村上春樹
 「ねぶた」「ねぷた」の語源には諸説あるが、「眠(ねぶ)たし」「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」「七夕(たなばた)」「荷札(にふだ)」などに由来する説がある。
 
 「眠い」を「ねぶたい」ともいうように「ねぶた」も元は「睡魔」を指し、これを追い払うのは神の災禍を受けぬ用心であったという。神の来臨するお盆の夜に眠ってはいけないと古人は信じ、「ねぶた流れよ 豆(まめ=健康)の葉よ とまれ」と歌って家内の息災を祈った。
 
国境の南、太陽の西
 「国境の南、太陽の西」と彼女は言った。
 「なんだい、その太陽の西っていうのは?」
 「そういう場所があるのよ」と彼女は言った。「ヒステリア・シベリアナという病気のことは聞いたことがある?」
 「知らないな」
 「昔どこかでその話を読んだことがあるの。中学校の頃だったかしら。何の本だったかどうしても思い出せないんだけれど・・・、とにかくそれはシベリアに住む農夫がかかる病気なの。ねえ、想像してみて。あなたは農夫で、シベリアの荒野にたった一人で住んでいるの。そして毎日毎日畑を耕しているの。見渡すかぎり回りにはなにもないの。北には北の地平線があり、東には東の地平線があり、南には南の地平線があり、西には西の地平線があるの。ただそれだけ。あなたは毎日東の地平線から太陽がのぼると畑に出て働いて、それが真上に達すると仕事の手を休めてお昼ご飯を食べて、それが西の地平線に沈むと家に帰ってきて眠るの」
 「それは青山界隈でパーを経営しているのとはずいぶん違った種類の人生のように聞こえるね」
 「まあね」と彼女は言って微笑んだ。そしてほんのちょっと首を傾げた。 「ずいぷん違うでしょうね。それが何年も何年も毎日続くの」
 「でもシベリアでは冬には畑は耕せないよ」
 「冬は休むのよ。もちろん」と島本さんは言った。「冬は家の中にいて、家の中で出来る仕事をなしているの。そして春が来ると、外に出ていって畑仕事をするの。あなたはそういう農夫なのよ。想像してみて」
 「しているよ」と僕は言った。
 「そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの」
 「死ぬって、どんなものが?」
 彼女は首を振った。「わからないわ。何かよ。東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく太陽を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたの中で何かがぷつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩きつづけて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。それがヒステリア・シベリアナ」
 僕は大地につっぷして死んでいくシベリアの農夫の姿を思い浮かべた。
 「太陽の西にはいったい何があるの?」と僕は訊いた。
 彼女はまた首を振った。「私にはわからない。そこには何もないのかもしれない。あるいは何かがあるのかもしれない。でもとにかく、それは国境の南とは少し違ったところなのよ」
 
東北文学は可能か 三浦雅士
 娘は十五歳だと太宰ははっきり書いています。そして二十歳ばかりの学生の死を目撃する。それから間もなくこの会話があるわけです。その後、娘は父親に襲われそうになって身投げするわけです。
 
 「何のために生きているんだ」「判らない」「だったら死んだ方がいいじゃないか」「そうだな、そうだな」。この会話のなかに太宰が死にたいと思ったポイントが隠されています。
 
 「馬鹿くさくて馬鹿くさくて」というのは津軽弁です。これは標準語の「阿呆らしい」とか「馬鹿みたい」というのとはちょっと意味が違うのです。一所懸命仕事をして、けれどもそれがまったく無意味だという、そういう時に出てくる言葉です。
 
 この「馬鹿くせ」という方言について、やはり津軽出身の作家である長部日出雄さんがよく引き合いに出す話があります。津軽に仕事熱心な百姓がいて春に何日もかけて苗を植えた。人心地付いて晩酌しながら、苦労して田植えしたって、どうせ夏は寒いに決まっている、寒くなかったとしても台風が来るに決まっている。そう考えるうちにだんだん腹が立ってきて、その晩のうちに田に引き返して植えた苗をぜんぶ引き抜いてしまう。どうせ寒い夏が来て、嵐が来て、俺が懸命にやったことはぜんぶ無駄になってしまう。「馬鹿くせくて馬鹿くせくて」こんなことやってられない。津軽弁の「馬鹿くせ」というのは、そういう「不条理」な気持を示す強烈な言葉なのです。それ以外には使われないほどです。
 
 「魚服記」のいちばん大きいポイントは、「馬鹿くせくて馬鹿くせくて」というこの言葉に潜んでいる。年頃になった娘は学生を見て「世の中にはあんな格好いい男もいるんだ」と思ったに違いない。ところが滝壷に滑り落ちて死んでしまう。どうでもいいような父親は生きている。娘は自分はどうなのか考える。そして「馬鹿くせくて馬鹿くせくて」と思った。つまり生きていることは「不条理」だと考えた。娘は太宰なのです。だから「葉」の冒頭、『晩年』の冒頭に「死のうと思っていた」と書いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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