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切り絵作家 柴田あゆみ 

 妻が外出し、お昼はひとりですませた。ちょっと一息と思いテレビをつけたら、「徹子の部屋」が流れていた。今日のお客様は「柴田あゆみ」という切り絵作家さんということで、何気なく眺めていたが、一瞬映し出された映像(作品)に立ち止まってしまった。
 森の木立のなかに女性らしい人影があり、天空に向かって両手を差し出し、何かを大事に抱えているような光景であった。それは、西洋の教会の原初的な始まりの出来事のようであり、まさしくわたしが長い間、仮説的に思い描いていた光景そのものであった。
 
 番組では、柴田さんがニューヨークに留学していた時のお話になり、ニューヨークの喧騒の中、街の教会行くと安らぎを憶えた、と語っていた。
都会の中の「シャーウッドの森」である。
 
西洋の教会とシャーウッド森
 想像であるが、かつてはシャーウッドの森のような森がヨーロッパ全土に広がっていたと思われる。木々は重なり果てしなく無限に続く森の中に一瞬、ある場所だけが穴ぼこのような空間が出現し、そこには天空からまばゆいばかりの光が降り注ぎ、いつしか大勢の人たちの声が聞こえてくる。もしかしたら神々にも遭遇していたかもしれない。
 西洋の教会はステンドグラスを通過する光と天空に向かって伸びる高い聖堂(森の光景)とグレゴリオ聖歌(ポリフォニー・声)という原初的な始まりを今なお継承し続けているように感じられる。
 
柴田あゆみ 「かみがみの森」展
 偶然だが、僕の住んでいる街で「かみがみの森」展が開かれていた。早々に妻を誘って展覧会にお伺いしたが、結構人気らしく大勢の人たちでじっくりと見て回ることはできなかった。「徹子の部屋」で見た切り絵を再確認したく探したが、残念ながらその作品はなかった。
 勝手な感想だが、最初に受けた印象は作品を見て回り、そんなに的外れではないように思われた。
 
かみのてのなか
 ガラス瓶の中の切り絵(重なりあった切り絵)。ガラス瓶の上部からは照明があてられている。
 
 横山大観の「母子観音像」に、透明な球体の中に赤子がおり空中に浮いている。そばには観音様が寄り添うように描かれてある。「かみのてのなか」に「母子観音像」を見たような気がした。
 
何重にも重ねられた切り絵
 一枚一枚の切り絵の重なり、反復。終わりのない物語を見ているようであり、いつか見た風景のようでもある。二度と同じではない唯一無二性。そんなことを思いながら、何人かの建築家を思いだしていた。
 
ルイス・カーン「入れ子の構造の建築」
毛綱毅曠「反住器」
藤本壮介「HOUSE N」
フランク・ロイド・ライト 「モリス商会」
 
世界共通の切り絵
 中国でもバリ島でもベトナムでも切り絵に近いものを見たような記憶がある。日本の水引なども切り絵といえば切り絵ではないかと思う。インドやイスラムの飾り格子窓・西洋のステンドクラス・日本の障子の格子や欄間など 人々は風土にかかわりなく「切り絵」に熱心である。それこそ世界共通であり、原初的なブレークスルーであったのかもしれない。
 
切り絵・パラパラ漫画・アニメ
 柴田あゆみさんの何枚も重ねられた「切り絵」を見ていて、パラパラ漫画を思いだし、ついにはアニメまで行きつきました。
 
「宮沢賢治スペシャル 100分de名著」山下聖美
 賢治が作品に活かしたさまざまな自然のモチーフのうち、最も重要なものが「風」です。賢治の童話では、風が吹くとそこから物語が始まります。
 風が吹くと異世界が立ち現れる。こうした風の役割は、賢治を敬愛していることで知られるアニメーションの巨匠・宮崎駿の作品にも受け継がれています。
 
 そもそもアニメーションという言葉は、ラテン語で「霊魂」を意昧するanima(アニマ)からきており「命を与えて動かす」という意味があります。
賢治の童話でも宮崎アニメでも、風は、物語に眠る怪しいものに命を吹き込むための大いなる息吹としての役割を果たしているのです。
 
マティスの「切り紙絵」と柴田あゆみの「切り絵」
 柴田あゆみさんの後、マティスの20年ぶりの回顧展(東京都美術館)があり、お出かけしました。
 マティスの「切リ紙絵」を無頓着に「切り絵」と呼んでいましたが、展覧会で作品をみたことが大きいのですが、ある雑誌で「切り紙絵」と書かれてあるのを知り、それ以降は「切り紙絵」ということにしました。高校生の時に購入した「ブルー・ヌードⅡ」は、いまでも手元にあり、長い時間一緒に過ごしいろんな出来事にも遭遇してきました。高校生から半世紀以上も私の傍らで同伴してきてくれたように思います。少し黄ばみシミがあったりしていますがこれからも今まで通り一緒に過ごすことになるでしょう。
 偶然ではありますが、同時期に二人の「切り絵」と「切り紙絵」を見る機会を得たことは、新たな発見であり、再確認でした。どうして高校生の時、マティスの「切り紙絵」を購入したのか何となく理由がわかりかけてきたような気がしています。この年齢になりようやくわかるということがあることも同時に知りました。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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