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研師(とぎし)ヒデの話 (多様性の森に彷徨う若者)

ヒデは揉め事は好きではない。しかし弱い者いじめは子どもの頃から許すことが出来なかった。だから揉め事によく巻き込まれた。

ヒデの仕事場はマンションの一室、窓の無い陽の入ることの無い静かな部屋であった。そこで一刀、一刀と向かい合う。もちろん誰とも口をきくことなく刀を研ぎ続けるのであった。
そして刀たちと心で会話をするのであった。

ヒデに託される刀のほとんどはわざと無造作に荷作られた宅配便で届けられる。「測定用工具」と記名された荷に疑いを持つ業者は一人もいなかった。
いつもは梱包に手紙など入らずただ刀剣のみが送られてくる。その前にヒデのスマホに依頼の連絡とその時に決める金が振り込まれる。
でもその時は違った。刀剣とともに手紙が入っており、振り込まれた額を見直したが  0  ゼロが一つ多かった。
手紙の内容はざっとこんなものであった。
「前略 失礼申し上げる。かようなルール違反はご無礼と思いながらも、年のお若いあなたは確かな腕を持ち、刀と心で会話をし、人を心で斬ることが出来ると噂に聞いておる。我が孫が心の病を患い不憫で仕方ならん、一度孫の話を聞いてもらえんだろうか 不一」
はた、厄介な手紙だとヒデは思ったが梱包の刀に目を奪われた。噂では焼失してこの世には無いとされていた『八丁念仏団子刺しはっちょうねんぶつだんごさし』だったのである。この団子刺し、鎌倉時代の業物わざもので、雑賀衆さいかしゅうの頭領鈴木孫一が、ある晩男を後ろから袈裟懸けけさがけで斬ったが何事もないように念仏を唱えて歩き進むのでいぶしがって刀を杖代わりにしてついて行くと八丁先で身体が二つに割れたという。そして杖代わりの剣先には石が団子のように串刺しになっていた。そんな謂れのある八丁念仏団子刺しだったのである。

関西の古都、その北に位置する大きな神社にほど近い閑静な住宅が並ぶなかの一軒が団子刺し爺の家であった。ヒデは今ではあまり見かけなくなった広い縁のある和室に通された。そこに団子刺し爺が孫を伴い入って来た。
孫はしばらく引き籠り家を出なかったのであろう。青白い顔に伸び放題の髪であった。団子刺し爺は挨拶もそこそこ「孫の話を聞いてやってくだされ」と部屋を出て行った。そして孫はヒデが来るまでずいぶん考えたのだろう。ぽつぽつと口を開き始めた。

孫の名はさとる、まだ20代の半ばであった。福祉を志して大学を卒業し障害者支援の施設で働き始めていた。そして、そこでのある出来事で身動きが取れなくなっていたのである。若い智には仕方ないことと思いつつ聞いていたが、それはヒデも眉をしかめてしまうような話だった。

智の勤める障害者施設はデイサービスと夜間のショートステイを行っている。60手前の施設長と40過ぎの副施設長が取り仕切る出来たばかりの施設だった。知的・精神・身体障害者がショートステイで夜を過ごし、そのほとんどは智と変わらぬ年齢だった。ある利用者は夜に眠ることが出来ず、ある利用者は食べたくとも自分で食事が出来ず、ある利用者は何の因果があるというのか一人で排泄が出来なかった。
そんな彼らを相手にしながら智は一晩考えるのであった。彼らの両親、家族の日々の苦悩としんどさを。この世に出したことを悔い、自身を責める母親のことを。
そして智自身がたまたま生まれた場所を。たまたま数が多い健常者と呼ばれるグループに生まれ落ちたことを。
ならば、少しでもご家族のためになろう。ご家族の休息の時間を作り、彼らには気持ちよく朝を迎えさせてやろう。そう思い、そう決心して障害者福祉の世界を歩き始めていたと言った。

そんな時に智は事件に遭遇したのである。
しかし、ヒデは思うのである。若い智にはまだ理解し難いことではあるがこの世にはバカとワルのほうが多いのである。そんなこの世を乗り切るためにも、一度智の常識を真っさらに塗り替えてやるかとヒデは思ったのである。そう決心し、ヒデは団子刺し爺に、しばらく彼との時間を作らせて欲しい、そして八丁念仏団子刺しをしばらく預からせて欲しいと言い残し、智とLINEの交換をして帰路についたのである。
東の山から降りてくる風はまだ冷たかった。ヒデはこの町が好きではなかった。あまりに多くの刀剣たちの泣き声が聞こえてしまうのである。初めのうちはきらびやかな飾りにうつつを抜かす間抜けな刀剣の歌声であり、持ち主の果たすことのできなかった志を嘆く怨念であったが、彼らは皆ヒデがやって来たことに気付き昔を思い出し泣き始めるのである。ここから連れていってくれ。俺に本当の生き方を与えてくれと。

そしてヒデはマンションでヒデの研ぎを待つ八丁念仏団子刺しが何かをつぶやきだそうとしているのを感じたのである。



ヒデの話は続いています。
そしてこの先も続きます。


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