宮島ひでき

只今人生修行中。探すは旨い昼酒の飲める方法。 文章書くのが好きですよ。カレーと餃子は大…

宮島ひでき

只今人生修行中。探すは旨い昼酒の飲める方法。 文章書くのが好きですよ。カレーと餃子は大好きですよ。 合気道六段、産業カウンセラー。 木曜、日曜にエッセイ投稿いたします。

マガジン

  • 生きるためにやって来た仕事のはなし

    なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です

  • 研師(とぎし)ヒデの話

    無用の長物である日本刀の嘆きを聞くことのできる、現代を生きる研師ヒデの話

  • 飲み屋に恋する男のはなし

    酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、

  • 日々考えることのはなし

    毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました

  • 餃子ラブ、魅惑の中華料理たちのはなし

    美味しいものは生きる糧、そのなかでも大好きな餃子と中華料理への私のラブです

最近の記事

私の人生の軌跡(ゼネコン営業マン編)『たけのこの思い出』

もうずいぶん以前になるが、ゼネコンで営業マンをやっていたことがある。 建設業は決まった製品を作り売る製造業とは違う。何もないところに事業や建物を構想して一から作り上げていくのである。 「まずは土地ありき」と思われがちであるが、そうばかりではないのである。 どのゼネコンも官民の担当を分けていた。飲み食いが当り前の民間営業と官庁営業を一緒にしてしまうと贈収賄にもつながりやすく、第三者の目から誤解を受ける可能性もある。だから分けられていた。しかし、きちんと分けれるのは本社や支店の営

    • 研師(とぎし)ヒデの話 「猫姫」泣く、そしてヒデの純情

      智はヒデと別れて自宅へ帰り、晩飯もそこそこに部屋にこもってSNSの世界を駆け巡った。そして見つけたのである。その手の連中がいつもするようにぼやかしてはいるが、この世に不要な小動物に正義の鉄槌を下していると得意げに記していたのである。 しかもそのぼやけた写真にはっきり写った男の右小指に智は見覚えがあった。中学の同級生徳田文雄であった。体育の時間に運動の苦手な徳田はバスケットボールでひどい突き指し、おかしな方向に曲がってしまった小指はもとに戻ることはなかった。徳田の父親は地元出馬

      • 研師(とぎし)ヒデの話 眠り続ける「猫姫」

        ヒデは智と別れ、心地よい酔いとともに自室のあるマンションに戻った。そこで待っていたのは自分では決して切ることのできない鯉口から声を上げる団子刺しであった。 団子刺しは鎌倉時代の業物の一刀「八丁念仏団子刺し」である。 智の祖父から研ぎを頼まれ、それが縁で智と付き合いだした。今の世にある刀剣の多くは鞘に納められ人間に決して聞くことのできない声を上げて泣いている。それを聞くことのできる男がヒデだったのである。刀剣は人を斬るためこの世に生み出され、決して美術品としてコレクターの愛玩

        • 研ぎ師(とぎし)ヒデの話 「猫姫」との出会い

          「研師(とぎし)ヒデ」 ヒデは数少ない本物の刀の研師、刀と話して刃研ぎをしながら、ある意味平和な今の世で、自らの本来の生きる道を断たれ刀たちを慰めているのである。 ヒデはマルの店にいた。その日初めて智をマルの店に連れてきたのであった。智はあの事件があってから変わった。障害者支援施設で今は相談員として地域の障害者を抱える家庭と話をしながら本人たちがより人間らしく生きていく方法を探っていた。 「ヒデさんお酒好きなんですか、なんだか楽しそうですよ」智はヒデに聞いた。「ああ好きだ

        私の人生の軌跡(ゼネコン営業マン編)『たけのこの思い出』

        マガジン

        • 生きるためにやって来た仕事のはなし
          78本
        • 研師(とぎし)ヒデの話
          9本
        • 飲み屋に恋する男のはなし
          42本
        • 日々考えることのはなし
          487本
        • 餃子ラブ、魅惑の中華料理たちのはなし
          17本
        • 家族の介護で考えたはなし
          22本

        記事

          酒を飲まずに酒飲を考える

          自分が歳を取るだなんて考えることのない若い時代は誰にでもあるであろう。 自分が歳を取ることを真剣に思い詰めて生きる人間も少ないだろう。 行き着くところ辺りまで行って「ああ、歳を取ったな」、そう思うのではないだろか。 そして、それはやってはならないことをするのと同じじゃないかとも思うのである。普通の人は理性がそのやってはならぬことを止めるのだろう。 でも、戦争では理性の箍が外れてしまい、大義名分を持って人の命を奪い去り、それから胸を張って両親、家族、愛する愛される人の待つ家に

          酒を飲まずに酒飲を考える

          もう一人の森の話

          前回の記事で高校時代の同級生の森のことについて書いたが、実はもう一人森がいた。 森典幸(もりのりゆき)、いつもノリと呼んでいた。たぶん私の親友と言える男だった。 そして彼も真面目な男だった。一緒に通った高校は豊橋市と豊川市の境あたりの田んぼの真ん中の新設校だった。私の通学路は旧国道1号線、東海道を一直線、自宅から10分ほどの道のりだった。ノリの自宅は私の家からさらに20分ほど離れた東海道五十三次の赤坂の宿、御油の松並木を通り過ぎて少し行ったくらいだった。違うクラブに所属して

          もう一人の森の話

          咲けば散る、春は去る、

          清明、子どもの頃からまあまあ漢字が好きである。 この時期に春は私たちに清らかな生の喜びを振りまいてくれる。  日に日に陽は明るさを増し季節の移ろう躍動を感じさせてくれる。 清明はそんなこの時期にちょうどよい文字である。 不思議である。毎年この時期を通過しているのだがこの喜びや躍動感が薄れ行くことはない。それどころか歳とともにそれは濃さを増すこともあるように思えるのである。  高校一年の同級生に森清明という男がいた。明るく快活な男であった。真面目で嘘をつかずクラスで彼を厭う者

          咲けば散る、春は去る、

          風邪ひきの思考

          なんと、不覚というか、珍しく風邪を引いてしまいました。 熱は出るは、咳は出る。身体は重くやる気は失せ、仕方なくずっと寝ていました。自分でも驚くほど寝ていました。深く深く寝ていました。 飼い猫のトラが、まだ愛知で近所の番町猫だった頃に犬と喧嘩して、大けがをして帰って来ました。傷をブーニャンが舐め、トラは死んだように眠り続けました。そして二日後には復活しました。そんな二匹の姿を思い出しながら深い眠りに落ちていました。 精神論を健康に結びつけることはしないのですが、適度の緊張は

          風邪ひきの思考

          ものを考えるスタイル

          新聞の定期購読はいまだに日経です。「まだ日経なんか読むの、、」と年上の方から言われたことがありますが、ま、私の使う金であり、私の興味・知りたいことは日経にあるので自由にさせていただいています。今は電子版に変えて仕事にも便利に使っています。 社会人になりたての頃のプレゼンの資料作りはいつも半日図書館に籠りました。たくさんの紙の資料に目を通して、高い使用料を払ってコピーを取り、それをデータにしたり貼り付けたり(糊でですよ)、それをまたコピーして資料を完成させていました。今は自室

          ものを考えるスタイル

          人を待つ時間

          昨夜の関西はぐずぐずの雨模様だった。 たまってしまった仕事を朝から片付け、夕方人と会うためにとある場所まで足を運んだ。久しぶりにお会いする方、遅れるわけにはいかず余裕を持って出かけたが、あまりに早くついてしまった。初めて降りる駅であった。 初めての町に行ったら必ず駅の周辺をウロウロすることにしている。ゼネコン営業マン時代からのクセである。町にはそれぞれの特性がある。歴史があっての町の成り立ちがある。住んだ人たちによって作られるのが町であろうが、町が住人を育てるようにも思う。

          人を待つ時間

          一日の終わりに私が思ったこと

          昨晩は寒かった。 休みなのに珍しく酒を飲むこともなく、部屋でパソコンに向かい出してのことだった。 明日は始発に乗る用事がある。出来るだけ早くベッドに入ろうと思ったがなんとなくテレビが気になり、スポーツニュースだけ見ようと思ったのであるが、たまたま合わせたチャンネルで「天使にラブソングを」をやっていた。 テレビではあるが久しぶりに映画に見入ってしまい気がつけば10時となり、あわあわとパソコンにまた向かったのである。 ああ、こんなことが昔はよくあったな。日曜洋画劇場で淀川長治の

          一日の終わりに私が思ったこと

          我が人生に悔いは無く

          この年齢まで生きると、まあ自分の先が見えてくる。誰でもそれは同じだろう。ただ、それを満足するかしないかは、誰もが同じではないだろう。 ああ、あの時にああすれば、こうすればと振り返り考えるのが一般的なのかも知れない。 私にもそんなことがないわけではない。もともと大学には行くつもりは無く、レールに乗る人生が嫌だった。とにかく一人で生きていくことが目標であった。その到達目標が初めの頃は定まることは無く、とにかくまずは肉体労働が生きることと思って信じて疑うことのない時期があった。そし

          我が人生に悔いは無く

          あの頃見上げた青空

          もう四年も前のことである。 コロナがやって来る前のことだった。 何もないことが幸せであると振り返り気づかせてくれる時期であった。 合気道の稽古を行っているのは大阪市阿倍野区にある大阪市が再開発を行ったエリア内に建てられた市が分譲した住宅棟の隣の商業棟のレンタルスタジオである。本来であれば、畳の道場で皆に稽古をしてもらいたいが現在では各区に設けられた大阪市のスポーツセンターの道場を定期的に使うことは不可能になってしまった。レンタルスタジオを借りることができただけ幸せなのである

          あの頃見上げた青空

          私の人生における『餃子』の存在について

          私は餃子が好きであるが、毎日餃子ばかりを食べているわけではない。 ただ、私にとって餃子は特別な食べ物であり、この先まだ生きていく過程において餃子という存在が無くなってしまったら、かなり寂しい人生になってしまうことは間違いないと思う。 私は食べること、酒を飲むことが好きであり、その二つはいつもセットであったように思う。小学生低学年の頃、日曜の夕方に帰りの遅い父を母の指示でパチンコ屋に迎えに行かされた。その帰りに当時まだ珍しかった専門店『餃子屋富士』に寄り餃子を土産に買って帰っ

          私の人生における『餃子』の存在について

          美しき餃子

          五感で楽しむ「食」。 「美」を楽しむは五感の何であろうか。 入り口はさまざまあろうが、最終的に心に訴えるのが美であろう。 この note の世界にはいろんな住人がいらっしゃる。まさにこの「食」に携わる人。それから「絵画」、「宝石」、「花」、「写真」、「書」とこれらの視覚的芸術に長けた人たちの作品は一目で息を呑ませてくれる。 その一目に近いものを文章で創作出来ないものかと、私は出来そうにないことを時々模索している。 口に入れる前の餃子を見て美しい、と感じる私は変わっているだろ

          美しき餃子

          「蒸す」から餃子を考える 

          私が生まれた年、1960年は第二次世界大戦が終わって15年しか経っていない。小学校でそんなことを教えられて妙に不思議を感じた。私は焼け野原なんて見たことはない。でも人間とはなんて強いのだろうと思った。 高度成長期と後年に学者から名付けられた時代、私は愛知県豊川市で生まれた。父の勤めていた会社の社宅はその時代のスタンダード、昭和を知る人間であれば誰もが郷愁を感じる4階建て2DKの鉄筋コンクリートのアパートだった。 我が家ばかりが貧乏だったのではないだろう。当時、同級生の家に行

          「蒸す」から餃子を考える