見出し画像

研師(とぎし)ヒデの話 「猫姫」泣く、そしてヒデの純情

智はヒデと別れて自宅へ帰り、晩飯もそこそこに部屋にこもってSNSの世界を駆け巡った。そして見つけたのである。その手の連中がいつもするようにぼやかしてはいるが、この世に不要な小動物に正義の鉄槌を下していると得意げに記していたのである。
しかもそのぼやけた写真にはっきり写った男の右小指に智は見覚えがあった。中学の同級生徳田文雄であった。体育の時間に運動の苦手な徳田はバスケットボールでひどい突き指し、おかしな方向に曲がってしまった小指はもとに戻ることはなかった。徳田の父親は地元出馬の二世代議士、全く現世を知らぬその仕事ぶりは地元民をがっかりさせていたが、それがこの国の国民性なのか誰一人として面と向かって文句を言うものはいなかった。
そんなバカ親父の虎の威を借りて智の知っている頃から好き放題をやっている徳田だった。

「徳田に違いない」

そう確信した智はヒデにLINEを送ったのである。

公園は特定しないものの、その次の晩に決行を匂わす文章をもとに、ヒデは智と隣町まで夜回りに出かけた。

そして見つけたのである。


「おい、お前らちょっと待て」ヒデは大声で叫んだ。

気の小さな徳田は小遣いを与えて用心棒代わりの年下の男を二人いつも従えていた。
そんな情報も智はつかんでいた。
体格のいい男二人と徳田の三人はヒデの声に振り返った。

ヒデは智に言った。

「公園の入り口で離れて見ていろ。ややこしい奴らだ、お前は顔を合わさない方がいい」

ヒデは両手をだらりと下げ三人に向かって近づいていった。

体格のいい若い男の手にはどこかで捕まえてきた二匹の黒猫がいた。

「おい、嫌がっているじゃないか、離してやれよ」

落ち着きはらったヒデの態度に三人は一瞬ひるんだが、優しそうな顔のヒデを見てなめてかかった。黒猫を手から放し二人の男はヒデに指を鳴らしながら近づいていった。

多勢に無勢は先手必勝である。ヒデはものも言わずに、相手に見えぬ左腕前腕後部に握り持っていたトンファーで左からの一振りで一人の頬骨を打ち据え、返しの右からの二振り目でもう一人の顎の骨を砕いた。転がり痛いとわめき散らす二人は全く戦意を失ったうえに、ヒデの背後に目をやって急にガタガタと震えだした。

なんと、ヒデの背後には知らぬ間に、生ぬるい空気とともに智の事件で出てきた落ち武者の亡霊が五人やって来ていた。

「俺達はヒデさんのファンクラブ代表だ。団子の旦那にヒデさんの応援に行ってこいって連絡もらってな、選抜五人の精鋭でやって来たぞ」

ヒデは苦笑いしながら「ありがとうよ」とひと言口にし、腰を抜かしている徳田に言った。

「お前が徳田だな、これまで猫を切り刻んできたんだな」

徳田はおびえてすべてを白状した。
そして、自分の父親が猫を異常に可愛がり、説教をする時いつも愛猫を抱き、撫でながらだった。だから猫が嫌なんだと言った。

「そんなことで生き物の命を粗末に扱っていいのか、自分がされたらどう思う、自分の肉親がされたらどう感じる」
「俺はお前を殺さぬ、お前を決して殺しはしない。弱いものを相手に憂さを晴らして喜んで、お前はこの先どうやって生きていく。ここで性根を入れ替えてもらう」

ヒデはこれも逆手で隠し握っていた右手の猫姫を徳田の頬に沿ってなで上げた。徳田には何が起きたのか分からなかった。

「口を開けろ」

ヒデの低い声に驚き、ヒデの後ろで笑う五人の落ち武者がおどけ踊る姿を見て恐怖のまま徳田は口を開けた。ヒデは猫姫を左手に持ち替えて右手で徳田の耳をつまんだ。するとまるで人形のそれのように簡単に外れてしまった。

ヒデはそれを口に放り込んだのである。

「飲み込むなよ、お前の耳だ。そのまま持って帰れば医者が付けてくれる」

徳田はフガフガと自分の耳のあった場所に手をやり初めて自分の耳が口に入っていることを認識し、嗚咽し、声にならない声を上げて泣き出した。

「これまでやって来た事をすべてを思い出せ。えー、猫たちに何の落ち度があったって言うんだ、どれだけの猫たちがお前に身体を切り刻まれて死んでいったんだ」

でも、ヒデはそう言うだけで何の手応えもない中身のないこの男に説教する自分があほらしくなった。


するとどうしたことか、どこからか女の子のすすり泣く声が聞こえてきた。
なんとその泣き声の主は猫姫だったのである。

猫姫は永い眠りから目覚めた。
百五十年もの時間が過ぎようとも十二歳の猫姫はそのままだったのである。祖父、父の討ち果てる姿。祖母、母の、目を覆いたかったその姿。そのすべてを目にしてもそれでも泣くに泣けず、それからずっと殻に閉じこもっていたのである。そして今、ヒデの徳田に対する言葉を聞き、すすり泣きから堰を切ったように、十二歳の小娘らしく、わんわん泣き出したのである。悲しかったであろう、辛かったであろう、すべてを背負って自ら命果てた猫姫は今やっと普通の娘に戻れたのである。

「おじいさま、おばあさま、お父さま、お母さま、トラ、ブーニャン」

猫娘は百五十年前に出せなかった言葉を口にし、わんわん泣き続けた。
それを聞きそばにいたヒデは男泣きに泣き、その一部始終を見ていた智も泣いた。

ヒデは徳田に目をやり言った。

「親父に言いたけりゃ、言え。いつものようにケツぬぐってもらえ。その代わり、俺と、この落ち武者どもが一生お前について回るからな」

落ち武者五人衆はケラケラと笑いながら徳田をにらみつけていた。

「徳田よ、もう行っていいぞ。あと、言っておくがまさかお前は、親父のあとを継いで議員になろうなんて魂胆はねえだろうな。その時にゃ、俺たちが今度はお前の目玉くり抜いて、ケツの穴に突っ込んでやるからな」

後頭部から折れた槍の刺さった落ち武者は飛び出た目玉をぶらぶらさせて楽しそうに笑っていた。


「ヒデ様、ありがとう。ヒデ様は私のために涙を流してくれたのですね。この先ずうっとおそばに置いてくださいね」

猫姫は自ら命を絶ったその時からずっと正義の心を待ち求めていたのであった。
猫姫はヒデの熱い心と、まさにその正義の心で目覚めたのである。

そして言ったのである。 

「ずっとヒデ様のような方のもとで生涯を遂げたいと思っていました」

智からこのことは爺さんの耳にも伝わるだろう。
また一本、ヒデのもとには訳ありの一刀が増えた。

でもヒデはなんだか恥ずかしかった。まともに人間の女とも付き合いをしたこともないヒデは初めて女から好意を持たれる言葉を告げられたのである。照れ臭くなんだか顔が赤くなっているようで夜でよかったと思った。

「こんな時間じゃマルさんの店も開いてないしな。智、帰るぞ。家まで送ってやる」

ヒデは猫姫とトンファーを詰め込んだデイバッグを背負って妙に明るい月下を先に歩いて行った。


ここからご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?