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研師ヒデの嘆き『立ち飲み屋〇(マル)の話』

マルは『立ち飲み屋〇マル』の女主人、開店前の仕込みの最中だった。この日は死んだ弟の武士タケシを思い出しながら武士タケシの好きだった餃子を包んでいた。

開店前のマルの店、まだ半分閉まっているシャッターをガラガラと開けてヒデは中に入ってきた。

「マルさん、久しぶり」

ヒデはいつもの笑顔で餃子を包むマルの前に立った。

「あれ、ヒデちゃん、今回早くない、まだひと月たってないわよ」

マルは毎日包丁を研ぐが、どうもこの包丁研ぎだけは苦手で、月に一度だけ研師を生業とするヒデの手で大切な包丁の面倒をみてもらっていた。

「何言ってんだよマルさん、今日は武士タケシの命日だろ、あいつの事を思い出してマルさんがめそめそしてんじゃないかと思って気になってやって来たんだよ」

マルの弟武士タケシとヒデは中学からの同級生、仲の良い兄弟のような二人だった。ヒデは中学入学と同時にこの町に住む一人暮らしの祖父に引き取られてやって来た。両親と死別し、頼れるのは母親の父、ヒデの祖父しかこの世にいなかった。その祖父も三年前に他界して、ヒデは天涯孤独になっていた。マルはヒデの死んだ両親のこと、この町にやって来るまでどこで生活をしていたか聞いたことは無い。弟武士タケシの友達であってくれるだけで良かったのである。

マルはビールの栓を開けていた。コップを三つ並べてビールを注ぎ二人で武士タケシに献杯した。

「マルさん、あのニュース聞いたかい」

マルはテレビでニュースを見てずっと引っかかっていた。この地方都市で唯一の娯楽である演劇団の団員がどうも自殺したらしい、という内容だった。地元を走る鉄道会社のグループである演劇団ということもあって皆が関心を持つニュースだった。

「マルさん、武士タケシからどこまで聞いてた」

ヒデは空けたコップをカウンターに返し清酒の一升瓶に目をやりながら言った。

「どこまでって、どういうこと」

マルは空いたコップになみなみと日本酒を注ぎ聞いた。

武士タケシが死んでしまう前に悩んでいたことだよ」

ヒデは武士タケシが死ぬ前にすべてを聞いていた。武士タケシはその鉄道会社の子会社の建設会社で営業マンとして働いていた。ある日、付き合いのある大学の理事者に呼ばれ同グループのバスを最寄駅から学校に向けて走らせて欲しいと要請を受けた。武士タケシはグループにとっていい話だと思い、会社に戻り社長に話したがいい顔はされなかった。バス会社に行きそこの社長にも「お前はどこから給料をもらってるんだ」となじられた。
学生の輸送はバス会社にとって面倒な事らしい。ターミナルの確保、春、夏の長期休暇期間の対応、煩わしさ以外にあるものはないらしい。山の中腹にある大学の周辺には古くなったニュータウンがあり高齢化した住人たちからの要望もあったが受け入れてもらえることは無かった。
出来ない理由をうんざりするほど並べて、大学に断るよりなかった。
ようは、グループ会社のサラリーマン社長たちは自分の任期中は余計なことはしたくない。可もなく不可もなく任期を終えて法外な報酬を手にして卒業したいのである。危ない橋を渡ってまでするマイナス評価を受ける危険を避けたいのである。鉄道をもとに文化を創造しようとした創業者の意志など影も形も残ってないのである。そしてグループ内には多くの心の病を持つ人間を生み出し自殺者も少なくないことをマルに話した。

マルも酒を口にしていた。

「知らなかった。武士タケシはそんなこと言わなかった」

涙声でマルは言った。
ヒデはマルの泣き声を聞きたくなかったしそんな顔を見たくもなかった。でもいつかは話さなければならないと思っていた。
そしてヒデは武士タケシが死んでから武士タケシがいた会社とグループのことを調べていた。厳しい受験戦争を生き残り優秀と言われる大学を卒業し入社してきた男たちのなかでまずは生まれて初めての挫折感を味わうのがこの会社組織の中である。そんな中をうまくゆるゆると生き抜いてきた男たちに会社を代表する公人としての意識はない。そして異分子の排除を無意識で執行していく。努力せずとも生きていける仕組み、先輩たちが努力の末に作り上げた鉄道事業という大きな日銭の入ってくる打ち出の小槌がそうさせるのかも知れない。

立ち向かわなければならないのは巨大な組織、切っても切っても際限なく続く巨大な金太郎飴のような無責任な男達の層の厚さにヒデは驚き嘆いた。抜いた刀をどこに向けて走らせたらいいのか分からずヒデは嘆くのであった。


こちらをあわせて読んでいただければマルとヒデが分かります。


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