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研師(とぎし)ヒデの話 「ヒデは走る」

普段は走ることなどないヒデが走っていた。
深夜の街を足音を立てることなく走っていた。
もちろん片手には極上の日本刀、まだ人を斬ったことのない愛好家たちの間では名刀と呼ばれる飾り物の日本刀であった。
隠れ愛好家たちは届を出さずに闇から刀を手に入れる。そして夜な夜な眺めるのである。そしてヒデに預けるのである。ヒデの研ぎを受けた刀たちは飾り物、美術品の域を抜け出す。ヒデは刀に生を吹き込むのである。
ヒデは彼らと会話する。この世に送り出された不運を嘆き、本当の刀になりたいとヒデに言う。ヒデは黙って彼らの話を聞く、誰もが言うのはこの時代に生まれてしまった不幸と不遇である。でもそれは致し方ないこと、今の見せかけの泰平の世が変わるわけは無く、お前らの出番は無いんだよ。また来なよ、いつでも俺が愚痴を聞いてやると刀たちに言い含めて鞘に戻すのであった。

時々、おかしな刀に出会うことがある。その前の晩もそうだった。珍しく寡黙なその刀の刃文が落ち着かないのである。ヒデの心をざわつかせた。そこに電話はかかってきた。
「ヒデさん、サトさん死んだよ。」
ターさんはヒデが長年付き合っている土木会社の若い社長である。ヒデが一時期サラリーマンをしていた会社の先輩がサトさんである。ヒデは会社の経営がおかしくなったことを早くに知って辞めた。サトさんはそのしばらく後にリストラで辞めたのである。
そして、サトさんはヒデの住む町の建設会社の女社長に拾われて営業課長として元気にやっていた。人の良いサトさんは同じリストラされた後輩を拾って同じ会社に入れた。それが大悪党だったのである。名前はモリである。

その時、ガンで気落ちしていた女社長をだましてモリは3年後には社長になっていた。会社の金を使いまくり、大っぴらに業界で談合のまとめ役を買って出て、時代錯誤の危なっかしい営業は会社の未来を暗いものにしていた。
サトさんは自身に非を感じ、女社長に苦言を呈したがその時には恋に落ちたバカ女になりきっていて、そんな話など耳に入れることはなかったのである。そしてサトさんは首を切られ、ターさんがしばらく面倒をみてくれていた。サトさんはおかしくなっていた。家族に見捨てられ働く気力もなくして独り借りたアパートで生活していたのである。
そこにある日気になったターさんが訪ねるとサトさんは自身でネクタイで首を絞めて死んでいたのである。よほど強固の意思が無ければできることではないと検死官は言っていた。

すべて調べはついてた。所業の全てをヒデは調べ上げていた。しかしサトさんが自分で命を絶つとは想像できなかった。
刀はおかしな刃文でそれを教えたんだ、そうヒデに言った。
ヒデはすかさず「どうしてそう言わなかった。」
刀は言った、「お前の思い上がりが鼻についた。俺たちのすべてが人を斬りたくてこの世に出てきたんじゃない。お前たちの人間の欲望のためにこの世に出されただけだ。人を斬るとは何なのかお前らには分からないだろう。本当に人を斬る意味は分からないだろう。」
それでまた刀は口を閉じ、刃文だけがヒデを嘲笑うように揺れ動いていた。

人を斬るは命を断つ、そう信じていたヒデは闇夜をひた走りに走っていた。
着いた場所は関西の高級住宅地、しばらくすると黒塗りのハイヤーは停まり中から女を連れたモリが降りた。自身の妻と障害を持つ息子は下町の古いマンション住まい、高級マンションにクラブ勤めの女と生活していたのである。
「モリ、」鯉口を切りながらヒデは声をかけモリの振り向きざまに横に真一文字眉間に一筋刀を入れた。
ヒデの「フン、」という息を吐いての渾身の一刀はモリには何のことか分からなかったが、鞘に刀を納めるヒデの姿と流れ出てきた血のにおいでなにが起きたか分かったようであった。腰を抜かし眉間に手をやった。地べたは小便の海となっていった。

殺してやりたかった。でも殺しはしない。殺したところでサトさんが生き返るわけではなく、モリには生涯自戒の意識を持たして生かしてやりたい。
ヒデにそう教えたのはこの刀だった。「先代たちは首の皮一枚残して斬首の手伝いをしたんだぞ。何百何千の咎人のなかには無実の人もいた。それを戦の無い人を斬る必要のない世にバカな侍たちは金を出して試し斬りを頼んだんだ。そんなバカたちに頼まれた首斬り役人の手にかかった俺の先代たちゃあ成仏できんと言ってたよ。」

ヒデはいつもそうであった。刀に話しかけ、悪を斬るのであったが命を落とすことは無かった。首を落とさず皮一枚を切り、死ぬまで消えない傷を顔に残し悔いと恥辱を持たせて生かすのであった。生涯刀を抜く必要の無くなった安寧の世に金と地位を持つ武士たちは高価な刀を持ちたがった。そして切れ味を知るために、斬首刑執行人にその刀で試し斬りをさせたのである。天下泰平の江戸時代にその斬首刑での首斬りで名を知られた山田浅右衛門やまだあさえもんがその一人である。世に言う「首斬り浅右衛門」である。浅右衛門の腕はたどれば京都北部の山家やまが家の谷衛好たにもりよしが始祖となる谷流の流れを汲んでいる。

京都にしばらくいたヒデになんだか関係がありそうである。
そこらのことはまた先に。
研師(とぎし)ヒデの話はまだ先に続きます。




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