まずは第三の解を探したい

喫煙者のタバコ休憩に、一部の非喫煙者が腹を立てているらしい。
http://news.livedoor.com/article/detail/12550985/

「自分が他の人より不利益を被っている」と感じたときの反応のしかたは、大きく分けて2つある。
一つは、自分より良い位置にいると思われる人を、自分と同じ位置に引きずりおろすこと。
「非喫煙者は休憩せずに働いているのだから、喫煙者が休憩するのはおかしい!」という主張がそれである。
もう一つは、自分より良い位置にいると思われる人と同じ位置に、自分を引き上げること。
「みんな、ずっとパソコン見てたら疲れるでしょう。喫煙するしないに関係なく、たまには休憩しましょう」というようなことだ。
皆さんは、どちらが望ましいと思うだろうか。

私はできるだけ、後者のアプローチを取りたい。
限られたパイを奪い合うようなやり方は、奪った人には満足でも、
奪われた人の中に禍根が残る。
とはいえ、パイの配分を変えなければ、これまで不満を感じてきた人たちの思いはくすぶり続けることになる。
であれば、パイは本当に限られているのかということを再考したいと思うのだ。

パイの奪い合い論争になるのは、そもそも今ある状況を「変えられないもの」と捉えているからである。
本当に、誰もが休まず働かなければ仕事は終わらないのか?そもそも少しの休憩もとれないような仕事量が常にあるなら、仕事量に問題があるんじゃないか?人を増やしてもらうとか、フロー全体を見直すかして、全員が少しずつ休憩をとればいいんじゃないか?
そんなふうに、第三の解を探す視点から、問題解決に臨むことができないか。

誰かの権利を制限するよりも、より多くの人に権利を与える形での均衡。
「●●してはならない」という否定形よりも、「●●したらどうか」という肯定形での提案。
ゼロサムゲームよりも、そもそもの前提条件を疑ってみる。
こうして書いてみると、そうもいかないこともあるんだろうな、とは思うけれど、まずはそういう姿勢でいたい。
「そんなことは現実的ではない」というマジックワードで、はじめから思考を放棄することだけはしたくないと思うのだ。



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