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多重「人格」のこと(6.5) + 恐怖心の溶解

※家庭内暴力について、記しました。心配な方は、読むのを控えることをお勧めします。


私の中の主な別人格「希死念慮さん」と、徐々に打ち解けて来ている。「希死念慮さん」は、ほとんど話さない。代わりに、私から隠された記憶を、少しずつ引き渡してくる。

ヨガマットに横たわり、ストレッチをする私の隣に、「希死念慮さん」は居た。「今まで酷い事ばかりして、本当にごめんなさい。これからは、辛い目に遭わせるような人達や行為には近寄らないようにする。一緒に居よう。」と、話しかけた。

その晩、凍りつきを確固たるものにした出来事の記憶が戻って来た。厳密に言うと、この出来事は、記憶から消えてはいなかったが、改めて、私本体の目線で再生された。

あれは、小学生だったか、中学生だったか。複数の似た体験が混ざっている可能性も有る。母親は、学校時代のクラスメイトとの同窓会に出席し、帰宅した。夜だったが、子供が起きている時間帯だったので、深夜では無かったと思う。父親は、酔っていたかも知れない。不穏な雰囲気だった。父親は、帰宅した母親を怒鳴りつけていた。「一体何時だと思ってる、子供が寂しがってるじゃないか」といった内容だったと思う。(なお、寂しいと言った事実はない。母親を非難する為に子供を利用したと思っている。)

父親は、私と兄をその場面に呼びつけた。「いいかお前達、よく見てろ」と言うか言わないかのうちに、父親の拳が、母親の顔面、目の辺りを殴打した。母親は、崩れ落ちたような気がする。声を覚えていない。父親は、「子供の為」に、「悪い母親」を、「罰した」という体で、満足気な表情だった。私は凍りついた。その晩のその後の事は、一切記憶にない。

翌日か翌々日か、母親の顔は、紫色のコブが張り付いたように腫れていた。父親は仕事だったのか、家には居なかった。母親は、カメラを私に手渡し、その顔を写真に撮るよう告げた。言われるがまま、写真を撮った。正面から、横から、カメラが可能な限りのクローズアップで撮った。

母親は、どこかよく覚えていない行政機関や、親戚の家へ、私を引き連れて行った。長々色々話をしていた気がするが、内容は覚えていない。ただ人形のように連れられるまま、同席した。何も感じなかった。

学校の友達と一緒に居た時、サングラスの母親が車で乗り付け、何か用事を言い走り去った。サングラスの下の怪我が見えてしまうのでは、と動悸がした。友達は、気付かなかったようで、「お母さん、かっこいいね。」と言った。安堵の気持ちと、別のよく分からない気持ちが共存した。

その後、どうやって戻ったのか、二人は夫婦を続け、家族を続けた。全員揃う時は、当たり障りの無い家族の顔をし、母親は私と2人になると、どれだけ夫が酷い人間か、あの写真がいざとなったら証拠になる事等等、延々聞かせた。私は、やはり人形のようだった。

何か気に入らない事があると、「もう動けないようにするしかないな。」と指を鳴らす父親の声がこだまする。私は凍りつくだけで、中身を避難させたまま、身体はそこに留まった。今思うと、「希死念慮さん」も、身体に留まっていたのだと思う。

怖い気持ちがやって来た。その時感じる事の出来なかった、恐ろしさに震える心。長い長い年月を経て、凍った恐怖心が溶けた。私は、向き合い、慰めた。「本当に怖かったね、もう大丈夫だよ」と、私の恐怖心に何度も声をかけ、その内に眠った。深い眠りだった。

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