コミュニケーションについて、思い出したこと

今年は、特に秋口以降、新たなフェーズに入ったと感じることが、多々あります。

私の周囲でも、人間関係の形態やダイナミズムが、急激に変化してきています。

かつて近かった人達との距離ができ、逆に別の人達と心の交流ができるようになったり。

意図的にそうしているのではなく、心からの言葉や態度で関わっていくと、自然にそこへ辿りつく、といった感じで。
風や水の流れ、そういった自然現象に似ているかも知れません。

以前は、不思議だと思ったことが、今では、「そういうものなんだな」と、しっくりくるようになりました。

その流れで、大勢の人達と一度に同席する機会が、増えました。
その中には、自分の事ばかり話してエンターテイメントのように周囲を引き込もうとする人もいれば、それを見聞きして楽しむ人もいる。
誰かが何気なく発した一言に反応して、そこから話を深める人もいる。
私はと言えば、近くにいる人と、マイペースに軽い会話をかわしたり、お互いのことに耳を傾け合い、楽しい時間に身をまかせます。
盛り上がりたい人もいれば、会話を楽しみたい人もいて、前者は後者の話を聞かず、それぞれが別の楽しみ方を、別々にする。

こういった距離のとり方が、以前はいまいちできなかったと、ぼんやり思い出していました。
自分に興味のない人の気を引こうと、自分を証明しようとしたり、本心から遠い言動をとったりしたものでしたが、
今では、自分さえ自分に興味があれば満足なので、ナチュラルに、「去る者追わず」のスタイルになりました。
良い意味で、人の反応が、どうでも良くなったというか。

ふと思い出したのが、かれこれ15年前。日本に帰ってきたばかりの頃、現在の日本について学ぼうと、テレビを観るようにしていた時期に観た、ある婚活番組のことです。(ちなみに、もう10年以上テレビつけてません)。

その番組の中で、40歳くらいのシングルファーザー(死に別れ)と小学生の娘さんが、再婚相手の候補である二人の女性とお見合いをする、という企画がありました。

候補女性2名のうち一人は、バスガイドでした。
もう一人は、宝飾店の販売員だったと思います。
一人ずつ別々に、父娘と時間を過ごしました。

バスガイドの方は、とても明るく常に笑顔で、声が大きく、快活な印象でした。
娘さんと二人で過ごす時間になった時、「子どもは慣れてますから!得意です!」と言い、実際、終始楽しませていたし、たくさん喋っては笑わせていました。でも私は、なんとも言えない違和感を覚えていました。

続いて、宝飾品販売の女性が、インタビュアーに子どもについて聞かれた時、「子どもと話す機会が今までなくて……どう話せばいいかわかりませんが、会ってきます。」と言い、娘さんと二人の時間になりました。
こちらの女性は、ぎこちない様子ながら、女の子に話しかけました。「今日のお洋服、ピンクで可愛いね。自分で選んだの?」すると娘さんは、はにかみながら、その時のことを話し始めて、二人は微笑んで見つめあいながら、お互いのペースで、ぽつぽつ会話を続けました。

その父娘が選んだのは、後者の女性でした。

バスガイドの方は、悪い人ではないと思いますが、娘さんが考えたり意見を言ったりする暇がないほど捲し立て、受け身で笑う隙しか与えなかったのです。そして、娘さん個人に語るのではなく、「子ども」という属性に向かって対応していたように見えました。

販売員の方は、不慣れながらも、その子自身と向き合おうという姿勢を見せていました。
誠実な方なんだろうな、と思いました。

そういう私も、愛着トラウマ持ちの自覚がない時代は、自分を見せたり証明しようとするスタイルでしたが、今では、向き合える人と、言葉が多くても少なくても、考えや気持ちを交わそうとするようになりました。
(念為……件のバスガイドさんや、ショーマン的な方々みんなが愛着問題を抱えているという意味ではないので、あしからず)



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