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多重「人格」のこと(6.6)

「希死念慮さん」が喋ったので、記録する。

9月上旬に初登場して以来ずっと一緒にいたものの、その日から今日まで、「希死念慮さん」が発話することは無かった。

今日、ここ数年、月一以上の頻度で通っている美容院でのこと。ここ5〜6回、美容師の方に、髪の仕上がりで満足していないことを伝えるも、聞いてくれなくなった。以前は親身に改善案等提案したり、創意工夫をしてくれたものだったのが、最近は、一応話は聞くものの、では来月とか、次来る時は、などと済まされるようになった。今日は、そこでもう一度頼んでみた。「すみません、やっぱり、出来れば、今直してほしいです。」と伝えるも、今出来る事はないから、一ヶ月して伸びたらまた来るように、とのこと。出来ないなら仕方ない、次回は別の所を試そうかなと考えながら、お店を出た。

帰り際、過去に嫌な思いや不満を伝えられなかったこと、愛着障害特有の、自己犠牲をもって虐待者と共存する行動パターンが癖となったこと、それから、他人以上に自分自身が私を尊重出来てなかったことなんかを、改めて思い出した。(美容師とのやり取りは大した事ではないし、彼は悪い人ではない。私の勝手な連想。)

家に着くと、パニックになりそうな心のざわつき、胸部の痛みがやってきた。原因が分からない涙が出てきた。そして言った。

「もう、こんな人生生きていたくない。何度も何度も、言ったよ。」

「希死念慮さん」だった。「希死念慮さん」は、寡黙なのだと思っていた。本当は、私が話を聞かないだけだった。「希死念慮さん」が諦めて絶望して黙るまで、無視し続けた。自ら虐待者に擦り寄り、痛みが来ると、私は、身体と「希死念慮さん」を見捨てて逃げ(つまり解離)、そのパターンをずっと繰り返していた。

私は、そのやり方で現実と折り合いをつけ、人生を良くしたかった。普通の頭で考えれば、どこからどう見てもおかしいと、一瞬で分かる。愛着トラウマ、愛着障害は、ここまで知能を限定してしまう。

「希死念慮さん」(=私)には、本当に酷いことをたくさんした。もう二度と、「希死念慮さん」と私の肉体を見捨てたりしない。大人の私は、自分の意志で居場所を選択でき、解離の必要が無い環境を具体的に用意できると、学び直している。

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