日常のささやかな自分軸(2)

今日、残った発芽米で、マッシュルームのリゾットもどきを、自分一人だけの為に、作りました。
ホワイトマッシュルームを、みじん切りにしていた時。ふと、思い出したことがありました。

かつては、自分ひとりの為に作る時は、食材の切り方が雑でかなり適当だったこと。そのくせ、人(とくにパートナー)に出す時は、食べやすいように、美味しそうに見えるように、丁寧に切っていたこと。更に、一緒に食べていた時は、相手の反応ばかり気になって、自分の味覚や食感を充分楽しめなかったこと。
その時はただ、一所懸命でした。自分を蔑ろにしていた自覚が、まだなかった頃です。思いやり、気配り、そんな言葉でくるんでいた時代です。

今思い返すと、私がもし相手の男性だったとして、そんな召使のような根性の人との食事や暮らしは、長期的に楽しめなそうだと思ったりします。

ありがたいことに今では、自分が美味しく食べられるように、切り方や調理の仕方を工夫する事を、当たり前に出来るようになってきたみたいです。
細かく刻んだマッシュルームには味がよく染みて、飾り付け用に大きめにスライスした部分は食感がアクセントになって、美味しく頂くことができました。

かつては、ひとりの時間の日常の部分は、本当にどうでも良かったみたいです。日々の営みに興味があまり持てず、非日常にすくい上げられることばかり考えていました。

最近も実は、時折、一人で生きることに虚無感を覚えてきてしまっていましたが、今日、そうやって、自分が自分の為に工夫して作った料理を美味しく頂いているうちに、行きたいところや見てみたい景色、やってみたいことなんかが、また少しずつ、見えてきました。

日々の小さな事全てにおいて自分と向き合うことを積み重ねて初めて、先に続く希望や願望や、生きがいのような大きなものを知ることができるようになるのかもしれないと、漠然と考えています。


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