まだよく整理がつかない、抽象的な話

ここ数日、不思議なことが続いて、なんだか導かれているような気分になっていた。
霊感もなければ、霊的なことをあまり信じていない私でも、理解できないことに出会うと、何かしら大きなもののせいにして納得する方が簡単で、ついそうしたくなる事がある。

似たような事だと、過去に解離して怒りが暴発した時。「悪霊に取り憑かれたのかも」と、うっすら思い付き、つい検索してしまったことがあった。
悪霊なら不可抗力だし、理解できない事象は、そこで思考停止した方が、楽で合理的だった。

ミレニアムあたりから急に普及した「生かされている」という言葉。
あまり好きではなかったし、今も好んで使うことはない。
運やタイミング、人や出来事との出逢い等等、確かにその言葉がぴったりくるような時もある。
好きになれなかった一番の原因は、私の生い立ちかもしれない。
ACEスコア10分の9の私は、むしろ、「死なせてもらえない」と言う方が、近く感じていた。
「生かされている」における、どこか運命論者的で受け身なところにも、抵抗を覚えるというのも、ある。

人は一人では生きていないし、見えるところ見えないところ両方で色々助けてもらって、今ここに居る、というのを理解した上で。
「生き抜いた」という言葉もまた、しっくりくるようになりつつある。
Survived.

導かれたと感じた出来事に、話を戻す。
それは実は、深層の無意識が身体と心を操縦して、後から意識上で意味付けをしているのかもな、とも思う。
かつて、「死にたい」と思いながらも、無意識と生命はただひたすら生きたくて、なんとか生き抜けるように動いていた時のように。

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