心の深部に、触れたのかもしれない件

自他境界線というものが、発達してきたみたいです。他人のネガティブな感情が侵入してくることがなくなり、誰かの代わりに役割をこなそうとする姿勢がなくなりつつあります。

同時に起きた変化、というか、以前より更に深化したことがあって。
それは、絵画や音楽に共鳴して、それをきっかけに、深いところに隠れていた思いが、水門が開いた時のように、強く吹き出してくることです。
以前からこの傾向はありましたが、近頃では、ずっと激しく、わかりやすい形で、それが現れるようになりました。
他人に乗っ取られることがほぼなくなり、自分に集中できるようになったからだと、思っています。

先日行った、ゴッホ展で出逢った、ゴーギャンの『花束』という絵。

ゴーギャン『花束』※撮影可の作品です。

画像では伝わりませんが、艶やかな赤い絵の具か厚く塗られています。
なんだか、勝手に共鳴してしまって。同じ震え方な気がしていました。
当時のゴーギャンは、かなり経済的に困窮していて、精神を病んでいたと聞きます。
赤い色が、心から滲み出る血液のように見えてしまいます。

そこから数日旅に出て色々あって(このことはまた別の記事で書きます)、戻ってきてから、ある音楽家の弾き語りライブを聴きに行ってきました。
この日は歌が染み渡るようで、感情が溢れて、でも満たされていて。
客席の一人が、終演後、保育園に息子さんを迎えに行き、戻ってきました。5歳くらいの、ご機嫌で、とても可愛い男の子でした。その子が椅子につまずいて床に手をついてしまった時。とっさに私は、何も考えず、「大丈夫?と」と声をかけながら、その子の脇を支えて、立ち上がる手伝いをしていました。
ふだん子供と接触のない私は、その肩や腕のか細い感触に驚き、こんな小さな子供に暴行を加えるって、やっぱり私の家族は全員、頭のおかしな人達だったんだな、と、頭の隅で考えてしまいました。

その夜は、倒れ込むように眠りに落ちました。

夢の中で、私は出産しました。
ふわふわの、可愛らしい赤ちゃんでした。
妊娠した覚えも産んだ痛みもなかったので、驚きながらも、徐々に愛しい気持ち、喜びが湧いてきて、写真関係でお世話になっている、両親世代のご夫婦に見せたら驚くかなとか、うきうきしたところで、目が覚めました。

目にしたもの、耳にした音、出逢い、
それら全てに刺激されたのだと思います。
奥底にあった、人を愛して慈しみたい心、喜びを人と分かち合いたい願望が、目の前にやってきました。生命力の、すぐ近くにあるもののような気がしています。

(その赤ちゃんは、私が愛する対象なのか、もしくは私自身なのか。両方、という捉え方もある気がします。
心理学的には、もっと説明できることがあるのかも知れませんね、、)

夢の中のような状況は、私の現在にも未来にも、存在しない。その通りに叶う事がなくても、私の内部を大きく占めるそんな原始的な欲望と、ただ寄り添えば良いのかもしれません。




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