絶望からの離れ方を、学んでいる

以前にも何度か書きましたが、快復の過程は、螺旋階段のようだと思います。

何度も、家で虐げられた記憶に戻ります。
トラウマ治療前は、いつも同じ絶望感の中にいました。
家族と連絡を断ち、治療が進むにつれ、希望や楽しみを感じる時間ができ、その間は家族の事を思うことがなくなりましたが、それでもまた、ふとした時、同じ虐待の記憶が戻ります。反応は変わって、絶望感の代わりに、彼らに対する怒りだったり、混乱が生じました。
怒り尽くし、彼らへの期待がなくなり諦念の域に達すると、今度は、彼らの行為に対する軽蔑の念が強まりました。
今では更に進んで、日本語でどう言えばいいのか、alienという感覚になりました。
つまり、相容れない。異なる。道端でギョッとするような言動の他人を見た時のような。怒りも悲しみも期待もなく、ただ一瞥もせずに立ち去りたくなるような。
いよいよ、家族や家族の記憶と、かなりの距離が出てきました。

相変わらずの下手なドローイングで、図解してみました。

かつては、家族や私の人生に鎮座する絶望感から離れるためには、死ぬしかないと思っていました。
今は、出口は、生きている世界にも複数あると、信じ始めている気がしています。

昨日みた夢です。
私は、中学校の教室にいました。後ろの席の男子生徒が、右手で私をロックオンし、左手で背中を殴ってきました。
(現実に起きたことではないので、比喩なのでしょう。なお、兄からは、このような行為はよくありました。)
その手のいやらしい感覚を、覚えています。とてもリアルな感覚でした。
その男子生徒はサイコパス的で、仕返しをしたら刺されそうだったので悩みましたが、先生に席替えをお願いすると、あっさり、窓際にある風通しの良い安全な席へ移してくれました。
この夢はメタファーですが、不条理に耐えてやり過ごす必要もなく、自分さえ居なくなればという思考も、まして死ぬことも必要でなく、ただ自分を安全な場所へ移してあげるというのを、夢の中でも達成できていることに、何だか安心感を覚えたのでした。
きっと徐々に、板についてきているんだろうな、と。

かつてはこの世は絶望でできていて、絶望から抜け出すには死ぬしかない、という考えがべったりと染み付いていました。
それ以外のドアを、今になって、少しずつ見つけ始めているのだと思います。


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