心と形について、考えた

若い時分の私は、形式が嫌いだった。
始まりは、形ばかりまともに見せて、その内実は正反対ということを軽蔑していて、
それが拗れて、形式をきちんとすることに対して、反抗的になったのだった。

マナーだったり、TPOに合わせた立ち居振る舞いや服装を、馬鹿馬鹿しいと感じていた。
そこに心があるなら、形なんて問題じゃないという言い分だった。

もちろん原因は、私の機能不全家族。
スーツを着て立派な社会人みたいな顔をした父親は、家では、気分次第で言う事が変わり、他責的で、女子供を殴りつける卑怯者で。
学級委員なんかをしていた兄は、その更に上を行く。
荒れた家庭の罵り合いの最中でも、かかってきた電話に出るやいなや、声色を変えて鷹揚な主婦を演じ出した母親。
そんな芝居じみた外面を保つ彼らが、本当に嫌だったし、そんな人間がまともな社会人だとカウントされる世界も、嫌になった。

人間、知っていることを通してしか、理解できない。人生経験のまだ少ない十代二十代の私などは、よく知る家庭というフィルターを通してしか、世界を見る事が出来なかった。

そんなフィルターを通して、
体裁=嘘、欺瞞、虚
という理解になっていった。

今になってわかるのは、
私は、公における人々の行動原理を、ずいぶん歪んだ色眼鏡で見てしまっていた。
そして、心がわからなくなり、
良い人に思われる筈の言動を、見よう見まねで、表面的になぞるようになった。
まさに、私が忌み嫌っていた、家族と同じ行動をとっていた。その他の術は、知らなかった。
今思うと、私が私の家族に抱いたような嫌悪感を、そこまでじゃなくても違和感を、まともな人達は感じていたんじゃないかと思う。
私が頑張って、愛や思いやりのある態度や行動を演じても、いつも、「これは正解なんだろうか」とか、そんな不安が渦巻いていた。

人から受ける時も、優しさなのか、優しさに見せかけたどす黒い何かなのか、判断が難しかった。感じることができなくて、言葉に頼るところがあった。違和感や不快感があっても、自信が持てなかった。

逆に、当時知らなかったことは、狭い機能不全家族の歪なローカルルールの外側には、風通しの良い、自由で率直な心と行動がある、ということ。
思いやる気持ちがあると、自然と形として出てくる、ということ。
相手を思って差し伸べる手とか。
寄り添う言葉とか。
心地良くなって欲しくて、快適になるように用意されたものとか。
その場に添った服装だって、そのひとつだったりする。
それは形だけれど、形だけじゃない。

二ヶ月ほど前のこと。
例の、マウントを取ったり挙句叩いてきたりした「元友達」の女性から、久々にラインが来た。誕生日を祝う、明るく親しげなメッセージだった。
未読のまま、消した。まるでDV男みたいだな、、という感想だけ。
以前の私なら、せっかく気にしてくれているんだし……と、礼儀正しくお礼の返信をしたと思う。

この年齢になって、ようやくこんな簡単なことを感じられるようになったんだな、と嬉しいやら遅すぎてやるせないやら。

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