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愛について

 愛とは他者を理解したいという願望である。他者に理解されたいという願望である。けれども、理解する前に理解されたいと望む人が多過ぎる。私自身も含めて。
 他者を理解するためには自己を理解することが必要である。自分の本質とは何か、人を愛するとはどういうことか、私は愛する人のために何が出来るのか、私は自分を愛しているのか。最後の自分を愛することとナルシズムとは似て非なるものである。私達は自分を愛することが出来て初めて他者を愛することが出来るようになる。自己を肯定出来ない人間が他者を満足に愛せるはずはない。
 シモーヌ・ヴェイユによると、神が私達を愛しているから、私達は自己を愛さなければならないのである。この迂回路を経ずして、人間に自己愛は不可能である。「他の人間存在の実存をあるがままに信じる、これが愛である」。
 自己を理解して初めて私達は他者を理解することが出来る。それは自己を愛して初めて私達は他者を愛することが出来ることでもある。けれども、それは簡単なことではない。他者を理解することと他者の幻想を理解することは、まるで違う行為であるが、現実には両者は混同されやすい。それは愛においても同様である。かくて相反する二つの欲求が結びつくのである。愛する相手をあるがままに愛することと、相手をいちから生まれ変わらせたいと望むことが……。
 愛することは信じることでもある。信じ切れない相手を恋することは出来るけれども、愛することは出来ない。信じ切れない相手を理解することも出来ない。他者を理解してその存在を心の底から願うとき、それは愛という言葉に相応しい感情だと言えるのである。
         fin

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