見出し画像

過去と未来の間

「人間はまさしく思考するかぎりでのみ、すなわち時間による規定を受け付けないかぎりでのみ、自らの具体的存在の完全なアクチュアリティ、つまり過去と未来の間の裂け目に生きる」。ハンナ・アーレントの言葉である。
 過去と未来の間の裂け目は近代の現象ではなく、地上に人間が存在したのと同じくらい古い。この時間の裂け目は精神の領域にあると思われる。個人的にはバタイユの言う「深淵」に近いと思う。
 私達は存在と存在の間に深淵と非連続性を持つ。それは横の繋がりの間にあるが、縦の繋がりの間にも裂け目は存在する。それが過去と未来の間の裂け目である。真理と時間の間の矛盾であり、真理と政治の間の矛盾でもある。その矛盾を引き受けて、誠実に生きることを彼女は「人間の条件」と呼んだ。
 アーレントの少女時代にプルーストは『失われた時を求めて』を執筆し、それからしばらく経ってハイデガーが『存在と時間』を上梓した。このことは無関係だとは思えない。20世紀前半に人々は時間に対して多大な関心を持つようになったのである。古くはベルクソンから。アインシュタインやベンヤミンも彼らの仲間と言えるだろう。
 アーレントの言葉は過去を追い求めたプルーストとは正反対に位置すると思われるかもしれない。プルーストの時間は連続性を持つように思われるから。しかし、プルーストにとって時間とは無意識的記憶の中に眠っているものである。エピソード記憶の総称を彼は失われた時と呼んだのである。
 つまり、プルーストにとっても、思考とは時間の規定を受けない領域にあるものであり、私達の存在自体は過去と未来の裂け目であった。だからこそ、彼は物語の最後をこう結んだのである。
「空間のなかで人間にわりあてられた場所はごく狭いものだけれども、人間はまた歳月の中にはまりこんだ巨人族のようなもので、同時にさまざまな時期にふれており、彼らの生きてきたそれらの時期は互いにかけ離れていて、そのあいだに多くの日々が入りこんでいるのだから、人間の占める場所は逆にどこまでも際限なく伸びているのだ…『時』のなかに」。
 プルーストは感覚から、アーレントは思考によって「過去と未来の間の裂け目」を見出したのである。そして、私達も自分の中にある時間の裂け目を見出す必要があるのだ。

        fin

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?