みぶ

社会人8年目。ただの労働者。小さなことに喜び、悩んで、人間として生きることを謳歌してい…

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社会人8年目。ただの労働者。小さなことに喜び、悩んで、人間として生きることを謳歌しています。気まぐれに、長文でエンタメへの愛を語ります。twitter→@mibu8120

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  • 「じぶんと向き合う」について

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最近の記事

ストレスがない人生ってどう?

医者行くと、小さな不調の原因ってだいたいストレスっていわれるよな 究極、ストレスがなくなったらこの世から病ってなくなるんかな などという話をした。 楽しいことだけ味わえる世界っていいよなあ、と言う兄。 ストレスが、悩みが、微塵もない人生って…それって人間なのかな、とつぶやく私。 こんなに極端に育つもんかねえ、と首を傾げる母。 ほんとに、この差はなんだ。 いや、別にどっちでもいいんだけど。 生きることをありのままに受け入れ、そのうえでわくわくを追い求める兄。 いや

    • こんな30歳になるなんて聞いてないんだが

      深夜に腹を下した。 昼から嫌な予感はしていたが、深夜にしっかり下した。 絶対に寝たい私と絶対にトイレに行きたい私がせめぎ合い、寝室とトイレを往復し続けた。 一旦落ち着いたような気がしたので、横になってみる。 疲労感が半端ないのに腹痛で寝られず、ますますイライラした。 深夜2時に思い出す。おい、今日誕生日やんけ。 まじでなんだこの誕生日。 これが三十路ってやつなのか…?と仰向けになりながら、半目でぼやーっと考えていた。 年齢を重ねることに特にどうとも思わないタイ

      • 何も決めつけずに優しくできるのか

        SNSで有名人が離婚の報告をする。 それはもう、いろいろなコメントがつく。 「今はお辛いでしょうけど、時間が解決してくれます。私も経験者です。」 「新しいスタートです。気にすることないです。」 「こちら側は最高ですよ。」 有名人は大変だなと思った。 私だったら、勝手に人の気持ち決めつけるなあー!!と思ってしまいそうだ。 報告した人は嬉しいとも悲しいとも書いていなかったので、なんで勝手に決めるのだろう、余計なお世話では…と思ったりした。 でも、みんながみんな私のよう

        • 人類学に触れて同棲を決意した話

          「そろそろ彼氏と一緒に住むんだ」 「え、うそ、彼すごいね」 周囲に伝えたとき、表現は違えどみんなの反応は同じだった。 「あなたに同棲を決断させた彼、すごいね」という意味だ。 そう、彼はすごいのだ。 28歳の独身が、4年近く交際した人と一緒に住むのは、世間一般から見たら自然な流れと捉えられることも多いだろう。 私に対する反応が異なるのには、当然理由がある。 ひとりでいるのが大好きだからだ。 「一番の仲良しが自分」みたいな感覚で、ひとりは最高に楽しい。 喜んだり、

        ストレスがない人生ってどう?

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        • 「じぶんと向き合う」について
          14本
        • 「生きる」について
          6本
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          6本

        記事

          わたしがこうなのも、あなたがそうなのも、理由があって

          いろいろ考えるより、とにかく行動する方がいいらしい。 たくさん失敗する方が、学びもたくさんあるから、失敗を恥じる必要はないらしい。 でも、無理なのだ。 いろいろなリスクが目について、一歩を踏み出すのには人一倍の勇気がいるし、失敗してる姿は見られたくない。 失敗してあの人にがっかりされたかな、って心配したくないし、自分に期待して傷つくのも嫌だ。 失敗して学ぶよりも、何もネガティブなことが起こらない現状維持の方がわたしにとっては大切。 わたしの失敗なんて誰も気にしていな

          わたしがこうなのも、あなたがそうなのも、理由があって

          じぶんを「受け入れる」と「諦める」の違いってなんだろう

          ずっと何者かになりたくて、でもなれなくて。 今で十分幸せじゃないか。 働いて、自分で家賃を払って、ご飯も食べて、健康に生きていけているじゃない。 やりたいことがあるわけでもないのに、これ以上何を欲しがるの。 あなたはあなたのままで、幸せになるしかないんだよ。 とずっと自分に言い続けてきた。 だから、これまでのnoteには、わたしがわたしのままで幸せになるためにどうしたらよいのか、こねこねと考えたことを記録してきた。 でも、どうにも上手くいかなくて、焦燥感や罪悪感が拭えな

          じぶんを「受け入れる」と「諦める」の違いってなんだろう

          大丈夫かもしれない、という希望

          約半年ぶりにcotreeでカウンセリングを受けた。 根本的な悩みというのは、ここ10年近くずっと変わっていない。「このままの私ではいけない、もっと頑張らないと」と思い続けるのが辛い、という話だ。 何か成し遂げたい目標があるわけではないし、高級なものが欲しいとか、いいところに住みたいという欲もそんなにない。自分で稼いで、きちんと自立して暮らしていければ十分だと思っているはずなのに、どうしても罪悪感や焦りがある。何があれば満足なのかわからなくて、どこに向かって走ったら良いのか

          大丈夫かもしれない、という希望

          スタートアップ:夢の扉が教えてくれる、大人になる喜びとほんの少しの寂しさ

          大好きなドラマがまたひとつ、終わった。 土曜の夜に疲れをいやし、日曜の夜にパワーを与えてくれた。 これから何を楽しみに頑張っていったらいいのだろうか…。 Netflixで配信されている「スタートアップ:夢の扉」は、超絶ざっくりまとめてしまうと、韓国のシリコンバレー「サンドボックス」を舞台に、成功のために奮闘する若者とその周囲の人たちの物語。 キャラクターは皆、才能に溢れた人たちが多いから、眩しすぎて自分を重ね合わせるなんてとてもできない。でも、スケールは違えど、誰しも抱

          スタートアップ:夢の扉が教えてくれる、大人になる喜びとほんの少しの寂しさ

          「人の役に立ちたい」と思ったら、一旦落ち着こう

          私は、自信がなくなったとき、人の役に立つことでその穴を埋めようとすることがある。 人が嫌がることをすすんで拾ってみたり、自ら些細なことの犠牲になったりして。「役に立てているし、存在してもよいだろう」と安心したいのだ。 しかし近頃、この一連の行動が安心につながったことはない、という残念な事実に気づき、また自分の浅はかさに呆れている。 冷静になってみれば、そらそうだ。 「あの時のあれのおかげでうまくいっている!」なんて絶対にわからないのだから。 そういえば、世の中ってそ

          「人の役に立ちたい」と思ったら、一旦落ち着こう

          ていうか、人生にたいした意味なんかなくていいのかも

          私には、夢や目標がない。 夢や目標がないなら、せめて人の迷惑にならないようにしたいのに、仕事で大活躍するわけでもない。 何も成し遂げられないのに、何を成し遂げたいかも分からないのに、私が何かを楽しむなんておこがましいと思っている。 友人に誘われて行く旅行では、楽しみながらも思ってしまう。 「これって人生において意味あるのかな。他の人よりも出遅れているのに、こんなことしてていいのかな。」 コメディ映画を見ると、たっぷり笑ったくせに、なぜか悪いことをした気持ちになる。 「

          ていうか、人生にたいした意味なんかなくていいのかも

          やりたいことがない私は、幸せになれない

          「やりたいことがないから、幸せにはなれないんだ」 「やりたいことを見つける努力をしてこなかったから、幸せになる資格はないんだ」 ずっと、そう思ってきた。 世の中には、やりたいことを見つけて、仕事にしている人がたくさんいて(いるように見えて)、嫉妬が止まらなくなることが多々ある。 「私だって!」と、未来を変えたくて彼らを真似しようとしても、彼らほどの熱量がない自分に気づくだけ。 過去にヒントを求めて振り返っても、大した事件がない、平凡な人生にがっかりするだけ。 『彼ら』

          やりたいことがない私は、幸せになれない

          自己肯定感をあげるなんて無理

          「私はこのままではいけない」「存在することが迷惑をかけてしまう」と思い続けるのは辛い。 だから、どうにかして自己肯定感を上げようとする。 毎日、帰りの電車でその日できたことをなんとか思い出して、自分を褒めてみる。 自分を好きになれるように、仕事で成果を出そうとがむしゃらに頑張ってみる。 失敗したとき、次に生かせばいいよ、と自分を励ましてみる。 でも「やっぱりだめな私」がどうしても気になる。できたことを振り返っても、他の人との差に落ち込んだり、「てか、そもそもできない私を

          自己肯定感をあげるなんて無理

          2パターンの『好きなことを仕事にしている人』

          ああ、なんて誰にでもわかりやすいの、と感動したnoteでした。↓ 優しい方なんだろうなあ、と勝手に思っています。 仕事の関係上、私は個人の方の仕事に対する思いをよくお聞きします。 『好きなことを仕事にする』という正解のような、呪縛のような言葉について、いろいろな話を聞いたうえで感じていることをまとめます。私個人も、悩むことが多いテーマですので、参考になると嬉しいです。 まず、個人的に『好きなことを仕事にしている人』には大きく2パターンあるように思っています。 1つ目は

          2パターンの『好きなことを仕事にしている人』

          悩んでいるのではなくて、ただ暇なだけなのでは…?

          「なんか私って、めちゃめちゃ暇人じゃないですか…?」 「あ…気づいちゃった?」 いつも通り、上司と業務上の悩みや今後のキャリアについて話をしていたときに、自ら言ってしまった。 人からの見られ方を気にしたり、じぶんにはあれが足りない、これが足りないと考える。いつもじぶんのことばかり考えていて、驚くほど暇人なのではないかと。 「まあでも、そういう時期なんじゃない?」 気をつかってくれたのか、面倒になったのかは分からないが、優しく終わらせてくれた。 でも、もう私の頭から

          悩んでいるのではなくて、ただ暇なだけなのでは…?

          私と彼らにある、幻の分断を超えていく

          学生時代のあの仲良しグループみたいなものってなんだったんだろう、と思う。 ただでさえ狭い学校という世界の中で、さらに分断をして世界を狭くすることに一体全体なんの意味があったのか。 謎だ。 かくいう私も、ヒエラルキーを気にし、私は陽キャなんだ!と主張をしまくっていた。 「ねえ男子!ちゃんと掃除して!」のタイプ。 思い出すだけで恥ずかしすぎる。 あの頃は自分という人間がよく分からなかったし、いろんなラベルを自分につけて、他の人と差別化して安心したかったのかな、と思う。

          私と彼らにある、幻の分断を超えていく

          強みとか弱みとか、その前提がそもそも違っている?

          「人には強みも弱みもあるけど、強みを生かせばいいんだ!」とか「弱みも個性だ!」とか、何度も思おうとしたけど、とんでもなく難しい。 自分に自信がない人が、自分に自信を持たせるために「私には弱みがたくさんあるけど、強みだってあるはず!」と強みを探そうとすると、より一層辛くなる。 そもそも自分は何かをできる人間だと思っていないのだから、どんな要素も弱みとしか思えない。 強みを探そうとすればするほど、弱みがどんどん増えていく感じがする。 結局、いつまで経っても冷静に自分という

          強みとか弱みとか、その前提がそもそも違っている?