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青い翼に憧れて

初めて飛行機に乗った日は、いつ何歳で…と思い出を辿ろうと書き始めたら、びっくりするぐらい記憶になかった。母に確認すると、5〜6歳の頃に九州を巡る中で乗ったのが最初らしい。

それからも何度か乗ったはずだけど、私にとって色濃い飛行機の思い出といえば、高校の修学旅行だ。行き先は中国の北京。脆弱な三半規管のせいで、飛行機に酔ってしまい大惨事だった。いまだに旧友と飲んだら酒のつまみになるぐらいの逸話である。

そんな体験がベースなら、飛行機をきらいになっても不思議じゃなかった。でも、20代以降の私は、割と搭乗回数の多い人生を送っている。旅行会社や情報誌の仕事であちこちを訪れ、地元も母国も離れて海外暮らし。

旅のはじまり。とりわけ離陸時には、いろんな感情が湧いてくる。

大勢のお客様をお連れする添乗員のときは、心配と不安とプレッシャーで降りた後の行程表ばかり見つめていた。
日本を離れてアメリカへ旅立つときは、家族の涙に胸を痛めながらも後悔しないぞと心を奮い立たせていた。
やがて母になり幼い子どもと国をまたいで移動するときは、まずは飛ぶまでが勝負だと彼らを制すのに必死だ。

いかなるときも非日常の緊張感に満ちていて、飛行機が雲の間を浮遊するごとく、空の上では私の気持ちもどこかふわふわと心許なく漂っている。

🛩

そんな飛行機の中でホッとできるのが、ANAの機内誌「翼の王国」を読んでいるときだった。

海外と国内の各地を巡る特集、ジオラマ写真や水族館の連載、働く人々のお弁当にまつわるコラム、吉田修一さんの小説、etc。

文字通り隅々まで読んでは、静かに心を踊らせていた。一つひとつの記事は常にシズル感を伴い、高い訴求力で旅情を誘ってくれる。いつか作る側に回ってみたいな、とひっそり夢を見ていた。

そうやって過ごしながら何年も経ったある日。翼の王国ではないけれど、一度ANAの会員サイトで、当時住んでいたサンフランシスコに関するコラムを書かせてもらう機会があった。とても誇らしかったのを覚えている。

疫病対策なのか時代なのか、現在の「翼の王国」はデバイス対応になったが、希望すれば機内で紙の本を貸してもらえる。ペラペラめくると、華やかに異国情緒の香りが立ち上がり、自分の芯のような部分に触れるのに気付く。

雑多な情報に囲まれる現代、自分が何を好んでいるのか、すぐに見失ってしまう日々にいる。だけど、これまでに集めたお気に入りの原石は、ちゃんと心の奥底に仕舞われているのだと思う。

ふたたび見つけたとき、取り出して磨くのも、また仕舞っておくのも、自由でいい。そう、自由。私が飛行機や機内誌に憧れるのは、向こう側に広がる自由を掴まえたいからかもしれない。

お気に入りの本を開く行為には、文章や物語の魅力だけではない受容力があって、ひとたび開くと私に素直さの養分をたくさん与えてくれる。「翼の王国」は、昔から変わらないその一つだ。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。