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人生で一番尊敬する祖母の話

皆さま、こんにちは。段々、寒さが厳しくなってきましたね。体調など崩しておられないですか?私は、先日、84歳の祖母が急逝しまして、今週はずっと愛知にいます。今日は、私事で恐縮ですが、自分の気持ちの整理のために、少し祖母の話をさせてください。

人生で一番尊敬する人

母として、おばあちゃんとして、経営者の妻として、そして一人の人として…。私が一番尊敬するのが、祖母でした。そんな祖母が、12月6日に、急逝しました。

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祖母の人生

19歳でお嫁に来た祖母。9歳年上の祖父は、当時には珍しい再婚。名古屋の今池という栄えた場所から、小牧というド田舎へ嫁ぐということで、苦労もあったと思います。それでも、祖母は、祖父が創業した「ガス水道屋」を軌道に乗せるべく、毎日奮闘。もちろん営業もやるし、雨や雪の中でもガスを運ぶし、銀行周りをして資金調達もするし、社員さんたちには温かく、厳しく接していました。当時は住み込みの従業員さんも何人かいて、そのお母さん代わりもやっていました。

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2人の娘は、そんな両親のことをそばで見ながら、きっと寂しい思いもしたかもしれません。しかし、「そんな両親が誇りだ」といつも言っています。

祖母と私

私が9歳の時に、母が離婚し、私と弟と母の3人は実家へ出戻り。祖父母、母の姉夫婦、2人の従兄弟と9人家族で育ちました。その時に、祖母の存在があったから、私たちは、居候の身でありながら、伸び伸びと生きられたと思っています。

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小さい頃は、夏休みに、祖父母と、従兄弟2人+弟+私の6人で、毎年旅行に連れて行ってくれました。沖縄の久米島、屋久島、宮崎、青森、北海道…。初めての海外旅行は、祖父母といったハワイでした。旅行が大好きな家族なので、親戚との20人でグアム旅行にも行きました。

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祖父の米寿、祖母の喜寿をサプライズで祝う旅。これは本当に思い出深くて、旅行の最中、祖父は祖母に、「ばあさん、本当にありがとうな。愛しとるよ」とキスするシーンが何度もあり、祖母は「まぁーわかっとるわ」と鬱陶しそうに言いながらも嬉しそうで、印象に残っています。その時に、全部の企画・手配をやったのが私で、祖母が御礼に、ティファニーのネックレスをプレゼントしてくれました。このネックレスは、今でも欠かさず身に着けています。

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私が中米のベリーズに移住した後は、「美佳と話したいから」とスマホを買って、LINEでしょっちゅう連絡をくれました。更に、80歳を超えていましたが、ベリーズにも遊びに来てくれて、シュノーケリングもやりました。

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おしゃれで、豪快に笑い、人情味があふれ、愛情深く、お酒をよく飲み、日本舞踊を嗜み、友人がたくさんいて、人への感謝を忘れない人でした。

「借りた金は、すぐに返せ」
「人に会いに行く時に、手ぶらで行くな」
「食事は、良いものを少し食べるようにしなさい」

そんなことをよく言っている祖母でした。

つい先日まで、いつもと変わらずに元気だった祖母が、急に体調を崩し、数日で突然、逝ってしまいました。

祖母の最期

先週の土曜日。震える声で弟から電話。
「姉ちゃん…もう、おばあちゃん、やばいよ。今すぐ、今すぐ、来て…」

私は、その場で泣き崩れ、そのあと、楽しみにしていたTwitterのイベントがあったのですが、今、新幹線に乗らないと、今晩中に愛知に着けないという瀬戸際の状況。

「仕事の代わりはいるけれど、家族の代わりはいない」
その言葉に背中を押されて、適当に荷物を詰め、新幹線に飛び乗りました。

新幹線の中でも、祖母との思い出が走馬灯のように思い出され、涙が止まらない。隣の席の人は、「え、なんでこいつ泣いてんの…?」とヤバイやつだったと思います。

実家に到着。そして、本来であればコロナの関係で、入院している祖母には会えないのですが、何とか抜け道を見つけて、祖母の病室へ。

体中に管が付けられ、苦しそうに息をする祖母は、もう、話ができるような状況ではありませんでした。唯一、少しだけ、目を開くことができるような、そんな状態。私は、「おばあちゃん、、、、美佳だよ。わかる?私は、おばあちゃんがいてくれたから、今がある。一番、尊敬している人だよ。まだ、旅行も行きたいし、将来私の子どもも抱っこしてほしい。死んじゃヤダよ…。おばあちゃん…」と泣き崩れたときに、祖母は、クッと指が動き、顔が私の方を向き、目が開きました。それが、祖母が私にしてくれた最後のリアクションでした。

それから程なくして、祖母は息を引き取りました。

これから、祖母孝行をしたいと思っていた矢先の出来事で、私も、まだ祖母の遺影を前に、信じられないような気持ちでいっぱいです。

93歳の祖父は、葬儀の時に、涙一つ流さずに、「寿命だから」と。そんな祖父の姿に、私がちゃんと立たなきゃ、と勇気をもらっています。

祖母の最期の死に目に会えて、良かった。


土曜日に愛知へきて、それから1週間。ずっと愛知で仕事をしています。

リモートワークって、本当に温かい。ありがたい。

これからも、祖母の意思を継いで、私も頑張っていこうと思っています。そして、唯一の絶対的な味方である、家族を大切にしていこうと改めて誓いました。

おばあちゃん、ありがとう。天国から見守っていてね。

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本日は、以上です。

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