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『素数はなぜ人を惹きつけるのか』ノート

竹内薫 著
朝日新書
 
 スマートフォンを使い始めた頃、ゲームが出来るのが珍しくて、たまたま見つけた「Prime Number(プライムナンバー)=素数」というゲームを入れて遊んでいた。
 画面のあちこちからいろんな数字が出てきて、それが素数であればその数字をタップし、そうでなければ画面外へ弾き出すという単純なゲームだ。この本を開いてみて思い出したのだが検索しても見つからない。OSのバージョンが上がって、使えなくなったのかも知れない。レベルアップするほど桁が大きな数字が次々と速く出るようになり、ほとんどギブアップしてしまうのだが、頭を使う面白いゲームであった。
 
「素数」という存在に興味を持ったのは高校生の頃で、社会人になっても本屋で背表紙に「素数」という文字を見つけるたびに購入していた。「Newton」というムックの特集などは素数の説明がビジュアル化されていて面白かった。ということで関連本も手元に何冊かあるので、いつかは取り上げようと思ってはいたが、数学の素養が不足しているので、果たして書けるのかはなはだ心許ない(と言いつつ書いているのだが……)。
 
 ある小学生が、「どうして九九の表には11、13、17、19、23みたいな数が抜けているの?」と母親に質問したそうだ。この素朴な疑問は、「素数はそれ以上他の数字で分解できない」という極めて重要な素数の本質に関わるものだ。この質問をした小学生の着眼点は素晴らしい。
 
 古代から現代に至るまで、数学者と呼ばれる人たちは素数の法則を探してきたが、現時点で、素数が現れる「完全な法則」は存在しないし、すべての素数をつくる式や、一部の素数だけをつくる式もいまだ発見されていない。
 唯一、それに近い法則を発見したのは、フランスの神学者であり数学者のマラン・メルセンヌ(1588年~1648年)である。彼はすべての素数を表す公式を探すという研究をして、その中で、「2のn乗-1」で表される数が素数であることが多いということに気がついた。彼が証明したことを正確に書けば、「2のn乗-1が素数ならば、nも素数である」ということであった。この公式に従って発見される素数を「メルセンヌ素数」という。
 ただし、2のn乗-1の形をしても、例えば2の11乗-1=2047は23×89と素数のかけ算であらわすことができるように素数でないものがほとんどで、それらは単に「メルセンヌ数」と呼ばれている。
 
 このメルセンヌの公式は、最大の素数を発見する試みに使われており、1996年に発足したGIMPS(Great Internet Mersenne Prime Search の略称)というプロジェクトではメルセンヌ素数の発見を目的として、分散コンピューティングによって、参加者を募ってそれぞれの人のコンピュータの余剰処理能力などを利用して解析、検証作業を行っているそうだ。
 このプロジェクトでは、今までに17のメルセンヌ素数を発見しているが、そのうち15が発見時には最大のメルセンヌ素数であった。
 2022年4月現在発見されている最大のメルセンヌ素数は 〈2の82,589,933乗-1〉である。10進法表示では24,862,048桁の数となる。メルセンヌ素数としては51番目となる(この本には2015年刊行なので48個発見と書かれている)。しかしこの51番目の素数より小さな未発見の素数がまだはたしてあるのかないのかはわからないのだ。
 素数が無限に存在することの証明はまだされていないし、双子素数(3と5、5と7、11と13、29と31、41と43のように差が2の素数)は無限にあるのかという問題も未解決だ。
 なお、取り上げた本とは別の本には、三つ子素数は3と5と7の一組しか存在しないことの証明が載っている。
 
 人類は、なぜこんなことを研究しようとするのだろう。世の中の事象に何らかの法則性・規則性を見つけたがるのは何故か。
「素数の研究が何の役に立つの?」の問われても、きっと数学者たちは、「さぁ……」とクビを捻るばかりだろう。現実には「役に立つか立たないか」には関係なく、大部分の研究者たちはその好奇心や探究心に忠実に仕えているのだと思う。
 もっとも現在、身近なものでは、通信やクレジットカードの番号の暗号化に素数は欠かせないものになっているし、万物の根源は点ではなく〈ひも〉であるという「超ひも理論」や、原子核のエネルギーと素数(正確にいえば、自然数と素数の関係式を発展させたリーマン・ゼータ関数)と関係があるのではないかという研究も進んでいる。
 
 素数の歴史をみると、紀元前4世紀のギリシャのユークリッドが、素数は無限に存在することをその著書『原論』で証明しているので、2300年余り経ってようやく何かの役に立つのではないかという地平が見えてきた訳である。
 いまの風潮は、「その研究は何に役立つのか」ということをすぐ問おうとする。もちろんすぐに役に立つ研究も大事かもしれないが、もっと長いスパンで物事を見ることが必要だろう。気が遠くなる話であるが……

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