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『月の文学館』ノート

和田博文編
ちくま文庫刊
 
 前回の『森の文学館』に続き、複数の作家の〈月〉をテーマにした作品を集めたアンソロジー『月の文学館』を取り上げる。
 
 編者が収集した作者は、芥川賞や直木賞その他の文学賞を受賞した小説家や詩人、歌人など43人の作品が取り上げられている。これまでの2冊より詩人の比率が19人と多い。
 
 最初に「月の出と蛙」と題して掲載されている作品は草野心平の詩。
「月をめがけて吾等ゆく夢の脚」
というわずか一行の詩である。これは『第百階級』という草野心平の初めての詩集(私家版)に収録されている。草野心平の詩にはよく〝蛙〟が題材として取り上げられている。この詩にある脚は蛙の脚である。わが国では月とくればウサギであろうが、チベットや中国では月にはカエルが住んでいると考えられていた。だから草野心平のこの詩は決して突飛な発想の作品ではないと思われる。
 
 芥川賞作家の川上弘美は、『月の記憶』と題して書いている。
川上は月を見るたびに、イタロ・カルヴィーノの『柔らかい月』という短編集の一節――「それは近づいていた」――を思い出す。
 この短編集の表題作『柔らかい月』では、月が地球の引力に引かれて、地球すれすれまで寄ってくる。主人公とその妻は、肉眼で月の表面が見えるくらいになると、地球の引力で月の表面が瘤のように隆起し、それが蝋の滴りのように地球に向かって伸び出しはじめる……というSFともいえない不思議な話だ。

 浅田次郎の『月下の恋人』は、高校時代のクラスメイトで、長年愛し合ってきた恋人たちの話。
 主人公の男は、その夜のうちに別れ話を切り出すつもりでいたが、相手の女は、海を見に行こうと提案をし、男は拒む理由もなく海に向かって車を走らせる。
 夜の海岸通りをひた走り、見知らぬ岬の付け根の入り江に面した宿を見つける。
 その旅館の駐車場には、彼らの車と同じ白いロータリークーペが停まっていた。二人はよしずを張っただけの露天風呂に入って、渚に目を凝らすと浜に引き上げられた釣り船の脇に浴衣姿で抱き合っている人影が見えた。
 部屋で料金の割に豪勢な料理を食べ終えると、雅子はさりげなく、「ねえ、話を聞いてくれる?」と言いだし、男は別れるつもりだったので、彼女が先に別れを言い出してくれればいいくらいの感じで、「はい、どうぞ」と答えると、彼女はこう言うのだ。
「私と死んでほしい」
「冗談はやめろよ。言いたいことはきちんと言ってくれ」
「あなたと別れたくない。今晩ここで、私と死んでほしい」
――女は本気だった。そして泣き出した。
 
 男はしばらく考えを巡らせながら、自分でもおどろくほど呆気なく、女と共に海で死のうと決めた。
 二人は月明かりの浜に出て、先ほど風呂から見えた恋人たちのように釣り船の陰で抱き合った。男の足元には脱ぎ捨てられた浴衣の帯が落ちていた。そして足跡は汀に呑まれていた。
 遙か沖に、ほんの一瞬だけ葡萄の粒のような二つの頭が見えたが、じきに消えてしまったのを二人は見る。「おおい、おおい」と沖に向かって叫ぶが、自分たちに死のうとする恋人たちを呼び止める資格はない。
 かすかな潮騒だけが耳に迫る静けさの中で、彼らを縛めていた死の縄が少しずつ緩んでいくのであった。
 
 駐車場に止まっていたはずの車はなく、ナンバーは自分達の車とナンバーは同じであった。
 
 彼らが見た車や恋人たちの姿は自分たちの〝ドッペルゲンガー〟だったのだ。自分たちが死を決意してから見た船の脇に隠れるようにして抱き合っていた二人……渚に行ってから沖に消えた二人はすべて自分たちのドッペルゲンガー(二重身)……死の前兆だった。それを見たときに二人は死の淵から逃れることができたのだった。
 
 このドッペルゲンガーについては河合隼雄の『影の現象学』(講談社学術文庫)の255ページに出てくるので、興味のある方は読んでみてください。

 私たちの誰もが見ることのできる一番身近な天体である〈月〉をテーマにした作品をこのように集めると、ある種の競作集のように読めて、作家の個性が際立って面白いということに気付かせてもらったアンソロジーであった。

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