信頼と裏切りの真逆持論
ベジタスに独自の持論を持つ私ですが、精神的・哲学的な観点でもやっぱり、持論があります。
今回はそのひとつをご紹介します。
テーマは「信頼と裏切り」です。
うん、なかなか重めのテーマ。
おそらく、ややこしく回りくどい(いつものことですが)内容になりますが、興味のある方はお付き合いください。
「信頼」とは
私には、特異な持論があります。
それは
「私は誰にも裏切られることがない」
というものです。
何やらカッコよく(?)言っていますが、これは単に私が状況に関わらず人に対して「裏切られた」と思うことがない、というだけのお話です。
順を追ってお話します。
・「裏切り」の成立条件
「人から裏切られることはあっても、人は裏切るな。それが、信頼だ。」
幼い頃から、家族や先生に教えられてきました。
でも、それは本当でしょうか?逆ではないでしょうか?
私がほんとうに心から人を信頼しているのなら、私が人を裏切るカタチになることはあっても、私が人から裏切られると思うことはありません。
私はそう思うのです。
「お人好し」と言われればそれまでですが、私がそう思ってしまうのはどうしようもありません。
裏切りとは、信頼する側(裏切られる側)からの思いだけで、一方的に成立します。信頼される側(裏切る側)の意思とは、全く無関係です。
たとえば、どんなに信頼される側が悪意をもって裏切ろうと画策し、裏切りを実行したところで、信頼する側が裏切られたと思わなければ、裏切りは不成立です。
その逆もしかり。
裏切る側に裏切るつもりが毛頭なくとも、裏切られる側が「裏切られた」と思えば、裏切りは成立です。
少々理不尽ですが、裏切りの成立は信頼する側の思い一つで決まるので、基本的に信頼される側に打てる手はありません。信頼される側としては「自分が裏切り者になる」かもしれないのは不可抗力。あきらめるしかありません。
信頼とは、この人なら、たとえ裏切られても構わないと思えること。たとえ裏切ったと相手が判断しても構わないと思えること。
「信頼」がおける相手であれば、相手がどんな行動をとろうとも、私が裏切られたと思うことはありません。そして「信頼」できない相手であれば、そもそも信頼していないので、裏切りが成立しません。
結論、私はどう転んでも、人から裏切られることがないのです。
・「信頼」と「利用」の違いを明確に
相手の行動によって態度が変わる関係は、信頼関係ではありません。それは利用関係です。
もちろん、利用関係が悪いとは思いません。私自身も、多くのものを利用して生きています。これは本音です。
利用関係では、つい相手に「期待」してしまいます。
そしてこの「期待度」の差、特に信頼する側の期待度のほうが高い場合、裏切りは容易に発生しやすくなるのです。
相手に期待するのは悪いことではないし、至極当然のことです。でも、それは信頼関係ではないのです。
信頼と利用、似てはいますが、そこには大きな一線が存在します。全くの別物と言っていいでしょう。
私は「信頼を置く」と決めたものは、ひたすら信頼するだけです。信じて頼るだけ。
頼った結果がどうなろうと、私は感謝するだけです。私と関わってくれて、ありがとうと。
この世で何人たりとも、私を裏切ることはできませんが、願わくば信頼関係のある上での、裏切り不成立な関係を築いていきたい。
そう思う今日この頃です。
ほんとにややこしいお話でしたね。申し訳ございません!
あくまで私の持論なので、鵜呑みにしないでください。お人好しのおじさんの戯言ですから。
お付き合いいただき、いつもありがとうございます!まいけるでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?