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民俗詩人・宗教詩人ディラン(1)

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

英詩の歴史で宗教詩人のことを devotional poet という。

典型例はハーバート(George Herbert, 1593-1633)で、「花」(The Flower)や「愛」(Love)などが有名だ。

ボブ・ディラン(Bob Dylan, 1941-)はシンガーとして出発した当初はフォーク詩人(folk poet)と呼ばれた。今はあまり使われないがその呼称を使った当時の文章が残っている。

その後、有名なニューポート・フォークフェスティバル(1965)での電化事件(エレキ・ギターに持ち替えたこと)で凄まじい騒動を巻きおこしてからはサウンドがロックになりロック詩人(rock poet)となった。

それから十数年をへたある日(1978)、ディランは神秘的体験をして、それを機に宗教詩人へと変貌した。音楽の内容もいわゆるゴスペル的なものに一変し、ステージではディラン自身が説教をすることもあった。これまたファンの間に騒動を引きおこし、コンサートの客足は遠のいた。

それから数年をへて、ディランは宗教色をコンサートから取りはらい、すべての要素を包含する、何でもありの詩人となっている。そしてノーベル文学賞を受賞した(2016)。それはホメーロス以来の口承詩人の伝統を受継ぐアメリカ詩人として、その全作品を対象としたものであった。

以上の変化をふまえると、ディラン自身のことばを俟つまでもなく、「ディランは○○詩人」などとラベルを付けることはディランの真実を知るきっかけにはならない。むしろ、そうした行為はディランの真の姿から遠ざかることを助長するだけだ。

それは承知しつつ、ディランの上記のフェーズを、ごく簡単にまとめ、「folk poet」期と「宗教詩人」期について書いておきたい。「ロック詩人」期は比較的よく知られているので今回は取上げない。ここに用いる「○○詩人」の言い方はラベルには違いないが、他に適当な呼称がないので便宜上やむをえず使う。前後編の2回に分ける。今回は「folk poet」期について。

目次
Folk Poet
 Cisco Houston (1959)
 Town Hall Concert (12 April 1963)
 Studs Terkel (May 1963)
 Geoff Johnson (1964)

「英詩が読めるようになるマガジン」の副配信。コメント等がありましたら、「コメント用ノート(201807)」へどうぞ。


Folk Poet

ボブ・ディランが 'folk poet' と呼ばれるのは主にウディ・ガスリーとの関係においてである。ガスリーが folk poet の典型と見なされたからである。となると、先人の影響が感じられた1963年4月12日の Town Hall 公演までということになる。それ以降は、シェルトン (Robert Shelton) の言によれば、ディランは「彼自身とのみ比較される」存在となってゆく ('From then on he could be compared only to himself.' ['No Direction Home'])。

[Robert Shelton, 'No Direction Home' (1986/2011)]

厳密に定義することは難しいが、folk poet の語について少し考えておく。folk poet とは、folk poetry や folk song の詩を作る人といえる。シェルトンが言うように、そうした詩歌の上質の歌詞を口承文学 (oral literature) として認めさせるべく民俗学者たちが努力してきた。言語学者 Francis James Child を先頭にしてハーヴァード大学のシェークスピア学者たちが古典的なスコットランドーイングランドのバラッドを擁護した。旧約聖書学者たちが旧約聖書の多くは書かれる前に唄われていたと主張する。Paul Oliver, Charles Keil, Samuel Charters らのブルーズ学者や、Lomax 親子らのバラッド収集家らは、ブルーズやフォーク・ソングやバラッドによって人々や共同体を描写しようとしてきた。folk song や folk poetry の泉が、マーラーやバルトークといった作曲家や、イェーツやサンドバーグらの詩人の、根っこを潤してきた。

つまり、民族の口承文学が、書かれた文学や聖典などの根っこにあり、共同体の人々が伝えてきた伝統的な詩歌のもととなっている。文字を知る人や収集家らが書きとめることもあるし、詩人自身が書きとめることもある。ともあれ、そういう詩歌を作る人を一応 folk poet と、ここでは定義しておくことにする。「民俗詩人」「民族詩人」「民衆詩人」などに当たる。

フォークロアや口承文学の研究者の研究対象となる folk poetry の場合と少し異なり、ボブ・ディランの場合は文学的宗教的引照の網の目が張りめぐらされており、凝った韻も多いので、folk poet の範疇に彼をとどめておくことは、もともとやや無理がある。無理があるのを承知のうえで、1963年頃までにディランが folk poet と見なされてきた経緯を見てみる。

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■ Cisco Houston (1959)

[Cisco Houston]

The late Cisco Houston told me [Robert Shelton] in 1959: “Woody is the greatest folk poet we’ve had. He is like the biblical prophets who sang the news. Woody never cared about material things, except a good car, a fountain pen or typewriter, and a good guitar. Those of us who traveled by the side-door Pullman and the sunburned thumb always wanted cars. Anyone who knew a hard way of life would feel that Woody spoke for them. They identified with him.”
(Robert Shelton, ‘No Direction Home’, 1986/2011)

Cisco Houston (1918-61) はウディ・ガスリーとの共演でも知られる米国のフォーク・シンガーだ。ディランの 'Song to Woody' の4連にも、ガスリーと旅してきた人々の一人として名前が挙げられている。

Here’s to Cisco an’ Sonny an’ Leadbelly too
An’ to all the good people that traveled with you
Here’s to the hearts and the hands of the men
That come with the dust and are gone with the wind

そのシスコ・ヒューストンが「ウディはわれわれの最も偉大なフォーク詩人だ」とシェルトンに1959年に語ったという。「彼は、知らせを唄った聖書に出てくる預言者のようだ」と続けている。「知らせ」(news) というのは新約時代になると「福音」(gospel, good news) になる。預言者は神の言葉を伝える。さらに「ウディは物質的なものを決して気にかけなかった、ただし、いい車と、万年筆やタイプライターと、いいギターは別だ」と語る。「つらい人生を知っている人はだれでもウディが自分たちのために唄ってくれていると感じただろう。ウディは自分の仲間だと思ったんだ」とシスコが語るとき、民衆の代弁者として信頼をかち得ていたウディ・ガスリーの姿がうかぶ。

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