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努力できる才能

ビリギャルの方の努力についてのツイートがちょっとバズってました。
追加で言い訳的なツイートをしてたんですけど、言い訳がよくわからなかったです。でもそれはどうでもいいです。

努力…みなさん努力好きですか? できますか?

私は努力が好きでもないし、したくもないし、しようと思ってもできません。

夫は「努力ができるというのも才能のうち」って言ったことがありまして、彼は多分その才能を持っています。才能がないと努力もできないわけですが、確かにそう。私には努力する、努力できる才能が皆無なのです。残念なことに。

でも夫は逆上がりはできないので(逆上がりに対して努力したかどうかは知らないけど)努力できる才能も万能じゃないんだなとも思います。ちなみに私も逆上がりできないし、子どもたちもできないし、逆上がりなんてできなくてもいいじゃんね、という共通認識で家庭運営しております。

私が「努力する才能がないな」と自覚したのは中学生の時だったと思います。バレエのレッスンをしているときに、努力できない、頑張れない自分に気づいてしまいました。

何かをするときに、ちょっとした壁みたいなものにぶつかることがあります。努力して乗り越えろ! って話でもあるんですが、努力する才能がなく、努力できない、努力したくない、ということで壁にぶつかったら乗り越えることなく方向転換。

そんな人生をずっと送ってきています。

前述の逆上がりにしても、小学校の先生が「小学校の先生になるためには逆上がりが必須で(今もそうなのかな?)、お腹にあざができるまで練習してできるようになり、試験に合格して、小学校の先生になれました」と話せば、そこまではしたくないなあ、小学校の先生にはなれないなあ、と思う子どもでした。

ピアノも弾けたらいいなあと思うだけで家で練習しないので、あまり上達せず、ソナチネに行く前にやめました。

バレエはそれでも割と好きで長く続けたし、大人になって再開したりしたけど、体が硬くて断念。柔軟を家でちょっとやったこともあったけれど体が柔らかくなる実感もなく長続きせず、楽しい趣味としてしかやってない。

フルートとピッコロも中高の部活で最低限やってただけで、周りの部員みたいに朝練昼練の自主練はしたことがなかったし(朝も昼も自主練したい、努力したいという気持ちがさらさらなかった)、ガチにゴリゴリやってたわけじゃなくてふわふわっとしか取り組んでいませんでした。だから大学に入ってもオケで楽器続けようとかにもならず。

書道も大人になってから始めたのですが、やはりここから先はガンガンに書きまくる努力が必要、というところで渡米したことをいいことにやめてしまいました。何枚書いても大体最初の1枚が一番いい、みたいな感じなので何枚書いてもあまり意味がないんじゃないかと思ってしまうくらいのヘタレなのです。

勉強も中学までは特に何もしなくても大丈夫だったんだけど、高校では色々とついていけなくなり、数学と物理化学についてはとりあえず出席して卒業しようという方針をとることに。苦手科目を勉強して克服して国立大学に進もうじゃないかという気持ちはどこにもなく、苦手科目はさっさと諦めて(もちろん指定校推薦も諦めて)私立文系の試験一発勝負で行こうぜ!! ととにかく頑張らない努力しない方向へ。

会社に入ってからも必要な資格は取りましたし、資格試験の勉強も楽しいものは楽しかったのでよかったです。消費者検定とかめちゃくちゃ楽しかったし。でも向いてないなーと思う資格試験はもうこれ以上無理と思って勉強やめたりしました(簿記三級は取ったけど二級はちょっと…みたいな)。

これまで苦手なことからは努力せず逃げ回り、好きなことも好きだけで済ませられる領域でしか楽しまず、のらりくらりと生きてきたわけです。そのせいか逃げ回れない英語と対峙しても全く身が入らないし、なるべく向き合わないように背中をようにしています。

残念なことにこの私の努力しない、できない、したくないというスタンスは子どもたちにしっかり遺伝しており(夫に似たらもしかしたら努力の才能が手に入っていたのかもしれないのに)、子どもたちも頑なに努力しない人生を送っています。

努力できる才能を持った人間は一握りなんじゃないかなと、その才能が皆無の私なんかは思っちゃうのですが、実際どうなんでしょう。私は努力に対する才能もなければその才能がないことを克服しようという気持ちもないので、このままずるずると易きに流れる人生を送り続けて全うしようと思っています。努力できる才能をお持ちの方はぜひその才能を生かしてバリバリゴリゴリ努力して思う存分活躍できますよう、祈ってます。

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