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「普通の人は、自分の重要さに耐えきれない」

最近見た中でも、いちばんと言っていいほど面白かった。

Netflix「ズカルスキーの苦悩」

ブログタイトルは冒頭のズカルスキーの語りから引用。この一句から一気に惹き込まれた。

重要な人とそうでない人がいるんじゃない。自分の重要性を受け入れるか否かというだけ。


ヨーロッパの激戦地・ポーランドから、これまでの作品をほとんど失いLAに移り住んだズカルスキー。「LAで死んでいる」と本人は語っていたようだけれど、アメリカ随一の多様で開かれた雰囲気の街で、それまでの原動力であった「価値観」「世界の見方」の前提となる根拠が崩れたのかな、と想像した。過去からの反動のように、LAの地で極端な世界観を追求し始める。

環境が性質や思想、価値観に及ぼす影響は、自分が想像したよりもずっと大きいとわたし自身は実感している。

ズカルスキーの作品を初めて目にして、わたしはとても魅力的に感じた。(ポーランド時代の作品は象徴的に利用されていると後から知ることになり、何とも言えない複雑な気持ちになったけど、予告編で目が離せなくなるほど惹かれたのが正直なところ)

この作品を見てから寝たら金縛りにあった。脳がとても刺激を受けたみたい。


ブログタイトルに引用した最初の語りにインパクトがあって、改めて英語字幕で見直したら、ネトフリの日本語訳が合ってるのかちょっと疑問も湧いた。

Commonplace people cannot stand the idea that he has such importance. So they dig a hole between him and themselves. So this is  struggle between quality and quantity.

Stanislav Szukalski

〈Netflix訳〉普通の人々は、自分の重要さに耐えきれない。だから自分との間に穴を掘る。これが苦悩。質と量の間で起きる。

〈直訳〉平凡な人々は、彼がそれほどの重要性を持っているという考えに耐えられない。だから、彼と自分との間に穴を掘る。つまり、これは質と量の間の闘いなのです。

「彼」が誰を指しているのか、映像からはわからなかった。この語り自体がポーランド時代に作られた彫刻作品の解説で、制作当時は「彼ら」と「彼」に線引きしていそうな気もする。個人的にはネトフリ訳の解釈が好きだけど。詳しい方教えてください。

ズカルスキーのパワフルな魂は思想を超えて惹かれるものがあった。いつか作品をこの目で見てみたい。

この世のために新しいものを創造したければ、誰の言うことも聞くな

Stanislav Szukalski



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