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時空を越える母との闘い

「お父さんに電話を掛けたいんだけど、番号がわからない」
そう言って、電話の前で戸惑っている母…。
想像を超える話をしてくる母に、戸惑っている私…。

優しくなんてしてられない!

こんな時は、どう答えるのが正解なのかわかりません。
認知症の方に対する返答方法として、否定してはいけないということをお偉い先生方がおっしゃっていますが、せん妄の場合はどうなのでしょう?
「そうだね、何番だったかな?私もわからないよ」って、上手く逃げるのが良いのでしょうか?
私には出来ません。こういった際の私の返答は一貫しています。
否定します!

母は、父がすでに亡くなっていることはわかっています。そのうえで、「電話を掛けたい」と言っているのです。
もう、理解不能です。
「あの世には、電話を掛けることは出来ない」と伝えても、「何故?」と返ってきました。
私の頭の中は、高速回転して答えを探し、人が亡くなるということは、どういうことなのか、そして、父が亡くなったときのこと、葬儀がどんなふうに行われたかを、母に思い出させるように話しました。
少し、現実的過ぎて、母にとっては残酷なことだったかもしれませんが、焼却して遺骨になって、それをお墓に納めに行ったことまで丁寧に説明しました。
「あんたは冷たいね…」母はそう言って、涙ぐんでいましたが、その場は納得してくれました。

何事にもそうです。間違っていることは、否定します。そして、私にできる精一杯の説明を、毎度毎度行います。
母は、母で言い張りますが、絶対に私は曲げません!そうしないと、私の心が壊れてしまうからです。お互いに言いたいことを言い、ぶつけ合うことでストレスをためない様にしています。

どんな向き合い方が正しいのかわかりませんが、長く付き合っていくとなると、自分も守らないと、結局、どこかで爆発していまうことを人生の中で学んできました。
介護を職業にしていたり、限られた短時間、向き合うだけだったら、否定せず、上手になだめて笑顔でいることも出来るでしょう。でも、24時間向き合う家族には無理です。

特に、我が家の母の場合は、何でもない状態の場合もあり、突然スイッチが入り、別世界に行ってしまうわけですから、なんとか戻そうとこちらも必死になるわけです。

母にとって、別世界へ行ってしまういくつかのスイッチがあります。


テレビ傾倒

そのスイッチのひとつが「テレビ」です。
退院後の母は、必然的に、家でボンヤリと「テレビ」を観ている時間が長くなりました。ドラマやスポーツ、バラエティー番組、報道番組などはまだよいのですが、旅やグルメ番組はヤバいです。「テレビ」の中で起こっていることを自分の体験としていまうのです。それで楽しい気分になるのなら、まだ良いのですが…。
最初のうちは、そのことに気付きませんでした。
「家に連れて帰って欲しいんだけど…」と、私に声を掛けてきます。
私は、一緒に「テレビ」を観ているわけではないので、何を言っているのか訳が分からず、「ここ、家だけど」とこたえると、「電車に乗ってきた」とか、「クルマ(タクシー)を呼んで」とか言い出します。場合によっては、自宅が「駅」に変わってしまうこともありました。「電車が来るのを待っている」状況です。
この症状が「テレビ」のせいだと気付いたのは、『ポツンと一軒家』という番組を観終わった時でした。母は、いつものように「そろそろ家に帰りたいから連れて戻って」と言い始めました。「こんな山奥にいるのは怖い」と。

母は、「テレビ」に連れて行かれたのです。私は、ここが自宅であること、ただテレビ番組を観ていたに過ぎないこと、を何度も何度も説明しました。比較的落ち着いている時は良いのですが、日によっては、ひどく興奮状態にあることもあり、そんな時は、「じゃあ、私だけ帰る!」となります。散々、やり合った後ですから、私も「どうぞ、ひとりで帰ればいいじゃん!私はここにいるから」と、言い放ちます。
母は、ひとりで歩行器を使い、玄関まで行き、靴を履こうとするのですが、当然ですが、ひとりでは出来ません。
やがて、諦めたのか、玄関に取り付けた手すりにつかまったままの母を連れ戻そうとすると、「痛いっ!放してっ!」と叫ばれる!また、言い争いが始まりますが、私は、絶対に負けません!じっと母の目を見て、同じことを何度も何度も話します。少し、キツイ口調にはなりますが…。
やがて、母は落ち着きを取り戻し、何も言わなくなります。
その時を逃さず、私は、母に伝えます。「お母さんの脳がテレビに乗っ取られただけだよ。それが、今、お母さんが罹っている病気なの。だから、言い張らないで。こんな風に喧嘩するのは嫌でしょう?」と。
すっかり落ち着きを取り戻した母は、「そうね」とこたえます。

原因がわかったからには、番組を選んで見せるようにはしていますが、常に見張っているわけにもいかず、バトルは今もなお繰り返されています。

こんな風に、「テレビ」のなかで起こっていることと「現実」がゴチャ混ぜになってしまう症状を「テレビ傾倒」と呼ぶことを後々、ネットで知りました。

寝ぼけ

もうひとつ、母にとってのスイッチは「夢」です。
母は、もともと不眠症で睡眠導入剤を服用していました。薬に対して「緩い」性格で、眠れない夜に服用するという感覚ではなく、寝る前に必ず飲む、それでも眠れないときには、更に飲むといった状態で、常々、私はやめるように言っていたのですが、「眠れる人には、わからない」と、けんもほろろに拒否られました。
入院中もずっと眠れない状態が続き、投薬されており、自宅に戻ってきても2種類の薬を飲んでいました。眠りにつきやすくする薬と、睡眠を持続させる薬との2種類です。もちろん、どちらもかかりつけ医から処方されたものでした。
薬の効果が表れるのが遅い体質なのか、服用してもなかなか眠りに付けない夜は、更に1錠増やしたりするので、翌日午前中は、ウトウトした状態が続き、結局、また夜は眠れないという悪循環を断ち切ることができませんでした。

浅い眠りのなかで短時間にみる「夢」は、母の脳を支配しました。身体は起きているのですが、脳は、「夢」に支配されているので、「テレビ」の時と同じ症状が現れます。
例えば、通常、私が起こさない限り起床してこない母が、自ら起きてきて「郵便局に支払いに行かなければいけない」と言いました。詳しく聞いてみると、何かしら購入したので、その支払いをしなくてはならないとのことでした。しかし、何を購入したのかがわかりません。どこに支払うのかもわかりません。当然のことですが、支払いのための用紙もありません。夢なので…。
そのことを母に伝えても、とにかく郵便局へ行くのだと言い張ります。私は私で、「どこへ、いくら振り込むのかもわからないのに、(郵便局)へ行っても仕方がないでしょ?」と迫りますが、聞く耳を持たず…。「別に連れて行ってとは言っていない。ひとりで行くからタクシーを呼んで」と、いつも通りの展開となりました。

また、別の時には、夜中に物音がするので起きてみると、母は寝室の隣の部屋にいました。そこは様々なものが収納されている部屋で、何かを探しているようなので訊ねてみると、「○○さんにあげる刺繍の額を探している」とのことでした。母が親しくしている友人の名前はおおかた知っていますが、「○○さん」は、聞いたことがありません。どうやら学生時代のクラスメートで、その人にあげる約束をしている(刺繍の)額を探していたようです。真夜中でしたし、私も眠たかったので、「わかった、じゃあ、明日探そう」と言うと、「今日、会いに行くから探さないと」と言ってきたので、それが夢であること、母が寝ぼけていることを伝えましたが、「違う、いつもあなたはそう言って…。本当のことなの」と興奮してきたので、「では、その人はどこに住んでいるのか?どこで会う約束をしているのか?」を訊ねると、案の定、答えられず黙り込んでしまいました。
その時は確か、母をなだめ、何とかベッドへ連れて行き寝かせることができました。
翌朝、そのことを覚えているか確認してみるとちゃんと覚えていました。寝ぼけていたことも自覚していました。
「テレビもそうだけで、夢のなかにも脳を支配しようとする悪魔がいて、お母さんは、その悪魔に取り付かれてしまう病気に罹ってしまったんだよ。」と、少し冗談ぽく伝えると、「そうね」と素直に、だけど少し寂しそうに話すので、「全部、現実のことではないから、私がそれを伝えた時は、素直にそれを認めて。言い張らないで!喧嘩になるのは嫌でしょう?」と母の目を見て伝えると、「わかった」と答えるのでした。

まあ、それはその場だけであることは、すでにわかっています。
何度となく繰り返される我が家の日常になり、闘いは続行中です。


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