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882/1096 断捨離を透明な『今』のために

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で882日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

882日目。自分が何かにハマったときの勢いを調整する機能がほしい。一日中”Red Swan”を聴き続けて4日目になってしまった…

進撃の沼に落ちてしばらく上がってこれそうにない。あの設定も残酷な場面の数々も、ストーリーの運びも好きだけれども、登場人物たちが現実離れしていて不思議すぎるのが好きだ。

わたしの感覚ではミカサがエレンのためならためらわずにいくらでも人を殺すようなサイコパスぎみなストーカーなのが好きだし、そのミカサの過剰な保護を受け入れ続けるエレンが女の尻に敷かれる気質で好きだ。エルヴィンは知性・勇気・美・信頼・誠実さ・強さなどをすべて兼ね備えた完全無欠な模範人間すぎて死のフラグにぴったりすぎて悲しすぎて最高だし、リヴァイ兵長はあのような過去を持っていながら正義感に溢れ、かつ超排他的なのが解せなすぎてエロい。好きすぎて好きと言えない。見る限り人類の救済にしか興味がない印象だけれど、それではあの色気はどこから来るのだろう。おかしい。ハンジの巨人オタクも言うまでもなく振り切った狂人で好きだし、アルミンに至っては性別がなく、コナンくんのように推理力のある妖精で好きだ。不思議な世界だ。孫悟空並みに不思議な人物ばかりである。そしてこのミステリアスな登場人物たちがこの作品の魅力なのだと思う。こんなにも誰にも死んでほしくなくてたまらない気持ちで追った作品があっただろうか。

だから、今、アニメの続きが観たくて気が狂いそうなのである。
しかしわたしは今日も書く。この毎日投稿をやめるわけにはいかない。人間の決心こそが、立体機動装置のガスなのだ。狙った場所にアンカーを打つ。あとは飛べばいい。

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このところ、断捨離が進めたくてたまらなくて、家の中に声が響いてしまうくらい、空っぽにしちゃいたい!とまで思ったりしている。なので、今日明日で進撃の巨人のアニメを観られるぶんだけ全部観切ったら、思い切ったのを敢行しようと思う!

というのも、終活をしっかりと意識していこうという気持ちになっているのだ。いつ死んでもおかしくないし、あの世にはなにも持っていけないのだもの。常に身辺整理をして、できる限り真摯に、死ぬことを覚悟して生きていたい。そのすっきり感とともに、その日その日を完結して生きられたらいいなと思うのである。

わたしはこの世に好きなものがたくさんあって、数え切れない。リヴァイ兵長をずっと見ていたいのに、それも生きている間だけのお楽しみ。ジェイミー・ドーナン氏を、デイヴィッド・ギャンディ氏を、スクリーン越しにずっと見ていたいのに、それも生きている間だけ。

苺の香りも好きなのに。マンゴーの味も好きなのに。この惑星のある大陸にはベトナムと呼ばれる国があって、そこのフォーという食べ物が大好きなのに。青空を、夕焼けの空を、星空を、こんなに愛し好きになったのに。毎年毎年ずっとこの自分の感性をもって桜の花を見ていたいのに。このエメラルドグリーンの海を、未来永劫見ていたいのに。それほど地球を、宇宙を、好きになったのに。なのにそれらと離れ離れになるのだ。こんなに、恋人のように焦がれ愛しているのに。好きなままでいつか、バイバイだ。わたしは、死ななくてはならないからだ。クソ切ないよ。

だからわたしが、””自分で居る””ということは、なんと幸福なことだろう。自分でなければ、この気持ちを味わえないのだ。こんなに好きな気持ちを。自分の生まれた環境と、これまでのすべての経験がないと、このおかしな感性にはならない。わたしの感じることは、わたしにしかわからないのだ。

自分がなにかを好み愛することを、自分史上最高の快挙だと思う。自分よ、よくぞ自分になった。そしてよくぞ独自の感覚とともに生きて、よくぞこうしてなにかを好きになった。素晴らしいことだ!!おかげでリヴァイ兵長が好きで夜も眠れないよ。大好きなものがいっぱいあって最高だよ。最高で、ギガ切ないよ…

どんな人も、その人と完全に同じように世界を見て、まったく同じものを愛し好み、まったく同じ感性をもって、同じことを感じている人はいない。あなたの好き、あなたの嫌い、あなたのあんな感じこんな感じはあなた固有のもので、それは誰にも侵されない聖域だ。あなたにしか感じられないものを感じ、その振動を放ち、この宇宙にその固有の貢献をしているのはあなただけだ。あなた、たったひとり。その感じを持つのは、あなただけだ。

どんなに説明したって、語り明かしたって、あなたの””感じ””はあなたにしかわからない。この世のすべての人が、そうなのだ。完全にわかり合い、完全に同じになることはできない。だからこそわたしたちは『ひとつ』なのだ。

わかりあえないということを、祝福し礼賛しよう。もしわかりあえるのが前提だったら、この世は地獄になってしまう。わかりあえるはずなのだとしたら、わかってくれないことを恨んでしまうから。つながることはできても、わかりあうということはできなくていい。どうにもこうにも、わたしたちは孤独なのだ。みーーーーーーーーんな、そうなのだ。切ない俺たちさ。。

あの人もこの人も、彼も彼女も、みんなみんな。みんな固有で孤独な意識体。友だちが多くたって、わたしみたいに少なくたって。結婚していたっていなくたって。わたしの感じは誰も知らず、わたしは誰かの感じを知ることができない。できるのは、ただ好きになり、愛し、長くても死ぬまで愛して失うことだけ。あの世にはなにひとつ持っていけない。わたしの感じたことしか、持っていけない。

このことを、忘れないでいたい。いつもそれを、自分に突きつけていたい。自分がモノを感じ、なにかを好きになることを祝福して生きていたい。好きなものはたくさんあるけれども、それは今、生きている間にだけ堪能できるのだと気づいたままでいたい。あの世に行ったら触れないぞ、食べられないぞ、観られないぞって、いつだって自分を崖っぷちでヒヤヒヤさせておきたい。必ず別れ、終わるのだという認識をもっていたい。それを独占欲で、所有欲で、曇らせてしまいたくない。

だから断捨離が好きだ。いつか恋して買ったものも、この世にいる間に話し合って別れたい。世話になったものにも、黙ったまま死に別れるのではなくて、お礼を言って終わらせたい。できる範囲でいつも関係を整理して、常に終わりの隣りギリギリにいたい。するとね、『今』が輝いてくるんだよ。

『今』からフォーカスがズレてモヤモヤしているときというのは、ならばフォーカスを思いっきりズラして『終わり』を意識するとリフレッシュできますよ。「必ず死ぬということ」をワイパーにして心に滑らせると、「生きていて当たり前」という曇りがとれて、『今』が透明になります。たまには思いっきり両腕を広げて、自分が死ぬことを思ってみましょう!

というわけで今日は、断捨離と死についてのわたしの好きな観点のシェアでございました。自分の中の、不要な”もったいないオバケ”を駆逐するぞ!

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)