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847/1096 不倫を考えるなら堂々と

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で847日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

847日目。こうして一日のどこかでパソコンに向かってブログを書くのも847回目だ。朝起きてすぐに書くようになって長い。

薄い板の上に乗って、次の日はそこにまた薄い板を重ねて乗って、とやっているうちに、ふと見下ろすとすごい高さになってしまったような感じがする。落ちたら死ぬ、という錯覚を覚える。たしかにこれまでの投稿がぜんぶ消えちゃったりしたら、猛烈に辛いだろうと思う。

そういえばまだ500日にも満たない頃はよく、800回を超えているときの自分って、一体なにを感じているのだろう…!!と思ったものだった。
おおーいその時の自分よ、今の気分はこんな感じだぞー!!すでにだいぶ高い所まで来ちゃって、落ちたら死ぬって思ってるぞー!!

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今日はなんとなんと、ここ数日ビタミンCを大量にとって好転反応が起こっていて、書くのが非常に辛い体調です。マンマミーア…

こんな日は、恋愛系に走るべし!!というわけで、不倫について書いてみたいと思います。

みなさんは不倫についてどう思いますか。反対派か賛成派かという議論もよく見かけますよね。わたしはいろいろと考えた結果、結局どちらかというと反対派に着地しました。というのも、ちょっとした浮気ではなく、本格的に恋愛をするということには賛成する要素がなくなってしまったのです。

結婚していて他に好きな人ができて本気で関係をスタートさせたいのであれば、結婚している相手にそのことを伝える。それとは逆に、好きな人ができたけれども、もし結婚している相手と別れたくないのであれば、好きな人を諦めるべし。だと思っています。

「どうしても好きなのです!」とか「運命の相手に、結婚してから出会ってしまっただけなんです!」とかいう人は、だったら離婚してから晴れてお相手と仲良くなってはいかがでしょうか。そんなに好きなんですもんね。もしくは、結婚相手に話をして気持ちを明かして同意を得るしかありません。

金銭的な事情などなどで今は好きな人とは一緒になれない、かつ結婚相手に打ち明ける勇気もない、という場合は、諦めるほかないのだと思うのです。そうまでして、誠実でいたほうがいいと思います。

どうしてなのかというと、隠し事をすると、ほとんどの人がほぼ無意識に罪悪感を持ってしまうからです。罪悪感って、結局はやはり、その人の現実にそのまま現れてしまうのです。知らずのうちに自己評価が落ち、その自分に見合ったような現実を創ってしまいます。結局は、自分の罪を罰するようなことを自らの現実に起こしてしまうのですね。

不倫を誰に隠し通すことができても、自分の目からは逃れられません。これは多くの人にとってまずもって良い要素になり難いため、隠し事としての不倫は賛成か反対かと訊かれたら、反対だと答えるようになりました。

もうひとつの理由は、結婚は自分ひとりでしているものではないからです。結婚生活をキープしているのは、結婚相手の協力があってのことですよね。二人の同意があって成り立っています。そして、相手がその協力を続けるための条件は、相手が決めることです。それを、こちらが勝手に「不倫を隠されているという状況でも協力すべし」というふうに決めてよいことではないと思うからです。

自分が不倫をして隠していても、結婚の持続に協力してもらおう。というのは勝手すぎます。それなら事前に、「この先不倫して隠していても結婚生活を続けてくれるか」と訊いて、同意を得ておくべきです。結婚はある側面では一種の契約であり、相手は隠して不倫され始めたら、結婚生活の持続に協力したくない、という条件の持ち主かも知れません。

でも、例えば結婚している相手に堂々と伝えて、相手もそれを了承しているというのであれば、罪悪感がありませんよね。結婚相手と、互いの合意の上でそのようなポリアモリーな関係を築いている人は、それを楽しんでも良いのではないでしょうか。もちろん、誰でもそれぞれの信念に従って動けばいいと思います。これは、あくまでもわたし個人の意見です。

ちなみに、わたし自身は今現在外に好きな相手がいるわけではないのですが、もしもこの先好きな人ができたら夫に真っ先に言います。常日頃、もしも自分に好きな人ができたら紹介すると伝えてあり、夫はそこににこやかに全面同意をしており、まったく反対をしません。このあたりのことが一般的な夫婦とは違った感じになっています。なのに、自分にはぜんぜん好きな人ができる気配がありません。同意はあるにはあるのですが、それを行使する時が来そうにありません…

それから、相手の男性に家庭がある場合、わたしはその相手と不倫関係には進みません。互いにどうにもこうにも惚れたというのであれば、お互いに独り身になるか、パートナーに話して不倫への了解をもらってきましょう、それができなければご縁がなかったということで。と伝えるしかないと思うのです。もうそこは、しゃーないです。コソコソと奥さんにばれない範囲で二番手として付き合ってもらっても、俺のプライドが許さねえ&結局つまらないからです。もっとこう、バリバリに堂々としたいじゃないですか!!真っ昼間の遊園地に手をつないで行きたい…!!ツーショットをSNSになんの心配もなくあげたい!!のです。

大抵の人にとって、もしも他に好きな人ができてしまったのだとしたら、それはすなわち現在のパートナーへの気持ちが冷めているということだと思います。ほとんどの人が、好きな人ってひとりに絞られるものなんですよね。複数の人をみな好きだというときは、ほぼ100%、どの人のこともさほど好きではありません。それらの相手は、アクセサリーのように楽しんでいるか、もしくはなにかを埋めてくれる相手なのです。たとえば、「自分には異性から見て魅力があるのだと思いたい」という欲求を埋めてくれる相手。あるいは単に性的な欲求や、誰かに恋をされている優越感などを埋めてくれる相手。だから、他にそれをもっともっと満たしてくれる相手が現れた場合、その人でなくても気にならないような、替えのきく相手でしかないのです。

どうしてそんなことを言うのかというと、不倫ではありませんが、自分にも複数の人を好きになったと感じ、散々迷った経験があるからです。自分がものすごく精神的に弱くて、辛かったころでした…今不倫を反対だと思えるのは、単に倫理的なことではなくて、自分が恋愛でさんざん傷ついたり弱かった頃があってのことです。

欲望に負けて、”バレたら自分を貶めるであろうこと”を安易に選ぶのは一旦待ってみてはどうでしょうか。そして、『結婚相手に堂々と打ち明けて、離婚をするか、あるいは同意を得る』ということまでするべきなのかどうかを考えてみると良いと思います。それは、自分や相手の将来に真剣に向かうことに他なりませんよね。それは、わたしたちにとって、とても良いことだと思います。

他の人がどう生きていようと勝手にしてくれればいいのですが、わたしは野放しの野生人でいることを、個人の勝手だ、その権利があるはずだ、それが自分の幸せだ、だからコソコソ不倫してもいい!とは考えません。そこにパートナーの同意がないのなら、結局自分や周囲を傷つけるだけです。「じゃあ我慢しろってか?」と言われたら、わたしは「ウン、同意を得るか離婚するか、あとは我慢だよ!全部嫌なら死ねばいいんだ」といいます。(ああ~~嫌われるよ~~

自分さんが、なるべく罪悪感を持たずに生きられるようにいたいですね。そこには優しさが必要なのだと思います。

というわけで今日は、好転反応中で簡潔に書いてしまいましたが、不倫についてのわたしの感覚をシェアしてみました。みんな結婚に安心をもって、罪悪感に泣かないで過ごせたら、いちばんではないかと思います。乙女たちよ男子たちよ、どうか幸せでいてね。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)